EDを書く

和風総本家・緑の詩


陽が温かく差し込んでいる。
そう。それが本来のあるべき姿だ。空にお天道様が昇っていて、空が広々と明るくて、冬から春になれば温かい陽が照って、凍った土が溶けて草の芽が芽吹く。
ちぐはぐだったものが正しく組みなおされた、元通りの世の中だ。

夢を見ていた。
これは夢だなと自分でわかっているのもおかしな話だけれども、あの自分勝手な白狐が、――さよならって言って消えたはずのあいつが――呑気にへらへらと私に向かって手を振っている。ちょっと一発ぶん殴ってやりたくなる。
「ああよかった。元気そうだね、美千瑠。さすがだよ」
「何が元気そうだね、っての。さんざん好き勝手したくせに」
「そうだねー。まぁ、ちょっと余力があったものだから、最後に一言言いに来ようかなと思って」
「やっぱり、消えてしまうの」
「そういう約束だったからね。依り代を失ってしまったから、見事に霊気が霧散しちゃってね。姿かたちをとどめておくのは、これ以上はどうしても無理かな。でも、その代償に、都は平和になっただろう」
陽向は微笑む。無邪気なようで、小憎らしい顔。
「泣き出しそうな顔しないでよ。あなたはもう、子供じゃない。頼りない見習いの小娘でもない。一人前の妖絵師じゃないか。あなたは、自分の力で都を救ったんだ。もっと誇らしげに胸を張っていればいい」」
「泣いたりなんてしてない」
「じゃあ、笑っていてよ。そのほうが僕も嬉しいし、あなたを慕うみんなも幸せになるよ。人の寿命なんて八十年くらいだろうけど、だからこそ、一生懸命笑って、一生懸命幸せになってよ」
「あなたが消えてしまうなんてわかっていたら、妖を封じる仕事なんて、私は協力しなかったのに……」
陽向は、困ったように微笑みながら、私の頬に手を伸ばし、そっと撫でた。
「美千瑠、今はまだ納得できないかもしれないけれど、これから話す僕の言葉をちゃんと聞いておくれよ。そして胸に留めて、ずっと覚えていてほしい。先代と約束したから、それだけの理由じゃないよ。僕が、あなたを犠牲にしたくないと、自分の意志でそう思ったからだ。先代も、先々代も、普通の人には見えない、土地に巣食う妖を見ていた妖絵師は、自分が見つけた妖を懸命に描き留めて、対話して、交渉し続けた。妖を描いて捕まえるうちに、自分がこの妖をしっかり捕まえておかないと、都に巣食って、人の魂を食い荒らすんだと、わかっていたから。自分がどうにかしなければならないと、見て見ぬ振りができなかったんだ」

先代はずっと、妖を描き続けていたんだという。一人で、ただひたすらに閉じこもって、絵筆を握り続けていた。
そうすることで確実に自分の寿命が磨り減ると、わかっていたはすなのに。

「美千瑠は生まれたときから僕のことが見えていたし、先代の力も受け継いでいたはずなのに、頑として絵筆を取りたがらなかったよね。面白いなぁと思って眺めていたんだけど。でも結局君が先代と同じ選択を選ぼうとするのが見えたから……なんだか、放っておけなくなったんだよね。美千瑠に、死んでほしくなかった」
「私だって、陽向に消えてほしくないよ。私はね、陽向も知ってる通り、自分勝手でわがままなのよ。自分が楽して自由に好きなことできればそれでいいの。自分のことしか考えてないから、本当は、都が丸ごと消えてしまったって、どうでもよかったのに」
「自分の命を投げ出そうとしたくせに、今更そんな、可愛げのないこと言うのかい。素直じゃないなぁ、美千瑠は。そういうところ、子供の頃からずっと、変わってないよね」
「そうよ、ずっと私は自分勝手だし、子供の頃から何も成長してないの! だから、だから……、陽向……」
だから、行っちゃ嫌だ。消えちゃ嫌だ。
子供のように泣きじゃくって、駄々をこねて、無理やりすがりついてみたかった。
だけど、言いたい言葉は、もどかしい嗚咽のように、喉につかえて口から出てこない。
「うん、うん。本当に、ずっと変わらないよねぇ。わがままで、自分勝手で、幼稚で、かまってほしくて、認めてほしくて、寂しがり屋で、愛してほしくて……、そして、一途でまっすぐで、自分の痛みと同じくらい、人の痛みにも敏感で、放っておけないんだよねぇ。本当に素直じゃなくて、本当は誰より優しい子だよね。僕はちゃんと知っているよ。今の美千瑠には、美千瑠のことを理解してくれる仲間がいっぱいいるじゃないか。僕が消えてももう、寂しくないはずだよ。だから、とても安心しているんだ」
「そんな勝手なこと言わないでよ。そんな、自分だけ満足して幸せみたいな顔して笑わないでよ。すっごく腹が立つ」
「うんうん、だからね、美千瑠ももっと、笑ってよ。僕に負けないくらい。ね?」

夢はそこで、途切れてしまった。
身体がふわりと水に浮かぶような感覚がして、目を開くと、そこは縁側で、目の前に独楽が一つ転がっていた。見覚えのある独楽だった。
「なかなか目を覚まさないから心配しちゃった」
千鶴が、私に覆いかぶさりそうな姿勢で上から覗き込んでいた。ゆるゆると上体を起こして、周囲を眺める。なんのことはない、いつも茶飲み話をするときの縁側だ。いつの間にかうたたねをしてしまったらしい。まだ靄がかかったようにぼんやりする頭。夢なのか現実なのかもはっきりしない。ついこないだまで霜柱が立っていた庭の土には、緑色の草が敷かれている。いつも手入れなんかせずに放っておくから、好き勝手雑草が生えるんだよねぇ。せっかくだから、蓬でもむしって団子でも作ろうか。そしたら千鶴が喜ぶだろうな。
陽向は、いつか帰ってくるだろうか。それとも、これっきり本当に消えてしまったのだろうか。
屏風絵に描かれた、黄金色の百鬼夜行は、まるで漆喰で上塗りされたみたいに綺麗に消えてしまったのだ。
まだあまり自分が生きている実感さえなくて、夢の中にいるような覚束ない心地がする。
「今日はね、兵太と一緒に遊ぶから、美千瑠姉ぇも呼ぼうって話してたの」
「あ、ああ。そうなのね。それで、この独楽ね」
「うん。でも不思議ね。この独楽、前みたいに空中をくるくる回ったりしなくなっちゃったの。普通の独楽になっちゃった。ちょっとつまんない」
独楽にとりついていた駒鳥の妖も、どこかへ去ってしまったのだ。
それを無邪気に、つまらないなんて言って惜しんでいる千鶴の幼さが、なんだか微笑ましかった。
「そうね。つまんないね。でも、勝手に動いたりしなくなったから、それは今度こそ本当に千鶴の独楽になったのよ。大事にして、沢山遊んであげようね」
私の言葉を聞いて、千鶴は不思議そうに首を傾げる。わかったようなわかってないような微笑みで、素直に頷いてくれた。
「それでね、種彦も自分の独楽がほしいって言ったものだから、楠じいが新しい独楽をくれたのよ。種彦すっごく喜んで、これからあたしたちで、独楽の回し方教えてあげるの。ねぇ、美千瑠姉ぇ、種彦の独楽に絵を描いてあげてくれない」
ああそうか。
もう私にできることはないなんて思おうとしてたけど、まだ、私のことを必要としてもらえる場所もあったんだな。
「うん。でも、勝手に飛んだり跳ねたりしない、普通の独楽になるけど、それでもいいなら、好きなもの描いてあげるね」
「わぁよかった。何かかっこよくて強そうなのがいいって言ってたなぁ」
「恐い絵は描かないよ。猫か金魚か狸なら描いてあげよう」
「えー」

不服そうな千鶴の声が、なんだか可愛らしくて思わず噴き出した。

「まぁ、短い人の命でも、生きていれば、珍しいことの一つや二つくらい起こるでしょう」

何回聞いたかわからない、おなじみの台詞を繰り返す。
陽向が悪戯っぽい笑みを浮かべてこの言葉を言うたびに、無性に腹立たしかったものだけど、今では嫌な気持ちはしない。不思議なものだ。


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