「2・桜プロジェクト」





翌日、残業続きで疲れの取れない体をのろのろ叩き起こして出勤する。
まだ二十代だもん。勤務歴もまだほんの数年しかない私が、更年期みたいなこと言ってられない。覚える仕事も、これから経験しなきゃいけない仕事も山ほどある。
制服に身を包むと、シャキッと、折り目のついたシャツのような気持ちになる。人は見た目が大事って言葉は正しい。メラビアンの法則。人間は目から入る情報に、大きく思考を左右されるのだ。
ふと気づく。オフィスに、花瓶が増えていた。
おや。誰が飾ったのかしら。
「誰か、お祝いごと? 昇進かな」
「いや、なんかね、今日ミーティングで詳しく聞かされるらしいんだけど、新しく始まるプロジェクトと関係あるらしいよ、それ」
「ふうん」
 適当に相槌を打ったものの、室内の空気がどこもかしこもピリピリと張りつめている。何か大きなことが起こるのだろうという緊張感がある。これは呑気に仕事開始前のつまみぐいをするべきではないな。引き出しの中から携帯食を取り出してコーヒーを飲みたいと思っていたところだけれど、今日はやめておこう。
「実は、百年前に消滅してしまった桜の大樹を復活させようというプロジェクトが立ち上がっている」
課長が神妙な面持ちで切り出した。五十人弱の職員が、見えない糸で釣られたかのように背筋を正している。
新しいプロジェクト。公務員の使命感と存在意義を問われる重要な局面。
都心部での自然現象は、すべて環境保護省で管理統括されている。天候、気温、自然現象、街路樹の育成に至るまで、諸々の微細な生活環境の調整を担っている。
そして、「自然」をコントロールするために、万物に存在する霊的なものを取り扱うのが、私の所属する環境保護省神功課だ。
「桜を復活させる?」
「ソメイヨシノは二〇六八年に絶滅が確認され、それ以降、毎年春先には、品種改良されて生き残っていた桜が出回っている。天然の桜は今はや幻。私達は偽物の桜しか見ることができない。が、近年の環境保護省神功課の功績が評価され、天然のソメイヨシノが全筒してからちょうど百年の区切りになる二一六八年に向けて、桜復活プロジェクトが立ち上がることとなった」
ということで、私たちの仕事は大きく言ってたった一つ。
姿を消してしまった、桜の精霊を呼び出すことだ。

新プロジェクトの告知から、ばたばたと慌ただしく課内会議が開かれ、各自伝達業務。新企画立ち上げの際の恒例である成就祈願も執り行われ、さっそく諸々の準備に取り掛かる。
用意するものはまず、御神酒と神棚。
「うまくいくかな」
「どうだろ。タンポポやスミレはうまく行ったんだけどねぇ」
「朱鷺だってまだ再生できてないものね」
「いやー、生き物は植物より難易度高いじゃん。今まででこういうプロジェクトで成功例あったっけ」
「うーん、屋久島の杉は良い例だよね。そうとう年月かかったらしいけど」
「今も進行中だしね」
「屋久島は一年や二年じゃ無理だって。百年がかりでって言われてるよ」
「うひゃあ」
「まぁ、あんたならできるよ咲耶。百年に一人の期待の新人って言われてるらしいじゃん」
「うー、なんで私なんだろうなぁ。そんなに自覚ないんだけどなぁ。その評判のせいで、おかげで残業ばかり増えるし、その割にはお給料には反映されないし、はー」
「まぁまぁ、プレッシャーかかると思うけど、その分期待されてるってことじゃん。そろそろ休憩時間にしようか。お茶にしようよ。コーヒー入れてくるね」
「あっ、もらいものの最中あるよ。開けよう開けよう」
「じゃあ、十五分休憩ねー」
と、そんな会話をしながら、最中を取りに行く。
コーヒーもいいけど、最中ならやっぱり緑茶かな。お茶入れよう。
熱いお茶を用意して、席に戻ろうとすると。
一体いつここに現れたのだろう。
私の席に、小さい男の子がちょこんと腰かけていた。
ぼさぼさの黒髪で、やせっぽっちの手足は枝のように細い。ちゃんとご飯食べているのか心配になる細さだ。
でもお顔は、人形のように端正で、少し頬が汚れて見えることを除けば、息を呑むくらい綺麗だった。
そして、私が持ってきた最中に、じぃっと視線を注いでくる。
「それ、僕にくれるの?」
「え? あ? これ? 最中のこと? これ、いる? 食べる?」
てか、誰だ。
いやいや見覚えがあるぞ。私は昨晩この子に出会っている。思い出した。
昨晩屋上であった子だって、少し遅れながらも気が付いた。
「あなた、今日も来たの? 昨日もだけど、どこから入ってきたの? 託児室は別館だよ」
「ここに、呼ばれたような気がしたから来たんだけど。気のせいだったかな」
何気なく話している横で、少し席を外していた橘花が戻ってきた。そして、数度瞬きを繰り返したのちに、目を丸くしている。
「もしかして」
「うん?」
あ、ごめん。勝手に緑茶入れてきたけど、橘花はコーヒーを入れてくれてたんだね。
慌てて謝ろうかとしたその矢先。
「桜の精霊……」
「んん!?」
思わず私は最中を喉に詰まらせそうになって、盛大にむせた。




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(2017.4)



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