「3.咲けや咲け」





さて。環境保護省神功課。御神酒と祭壇用意してこれで仕事が終われば、これほど楽なものはない。……もとい、これで終わるようならば、残業なんてものは私の課には存在していない。
精霊の呼び出しに成功したら、次にやることは交渉だ。
「で、僕を呼んだのなら、何の用だったの? お茶の時間?」
「違う! 桜の花を咲かせたいのよ!」
私が呼んだという自覚はないが、ともかくこの業務は私に任されることになった。
最中は箱ごと私に与えられた。お菓子は嬉しいけれども、それを端からこの子が平らげている。無表情でもくもくと食べている。大人しそうに見えても遠慮のない子だ。まぁ精霊というのは言い方を変えると八百万の魂、つまり神様だから仕方ない。ましてやこの場は、人の勝手な都合で、消えたはずの精霊を呼び出している。多少のわがままや最中一箱ぐらいで言うこと聞いてもらえるならば安いものだ。
精霊の呼び出しに成功したら、すぐに上長に報告の後、便宜上の名前を与えられることになる。
桜にちなんだ名前で彼は「桜乎(さくらこ)」と呼ばれることになった。やたら可愛い名前だけど、今回はプロジェクト前から桜の精霊ということで命名候補が決まっていたそうだ。
なんとなく桜のイメージだと、たおやかで儚げな女の子の姿をした精霊が現れるのではないかという予見をしたはずだ。こういうこともある。何もかも先入観の通りだと面白くないわけだし。
「桜を咲かせる? 話の意味がわからないね。確かに僕は、ここ何十年も、地上で蕾をつけた記憶がない。僕が住む土地は、もうこの大和の国の中には消えてなくなってしまったんだよ」
最中を食べ終えて指先を舐めながら、桜乎は拗ねたように唇を尖らせる。目を細めた表情は、明らかに不機嫌そうだ。
「だから僕の仕事はもうなくなってしまった。今ここに存在している僕は、ただ単に、昔、確かこのあたりの土地で咲いていたなぁっていう、ぼんやりとした記憶の残骸のようなものなんだよ」
「それはわかってる。でも、だからこそあなたが必要なの」
そもそもの問題の発端は、二十一世紀中頃、二〇五〇年代あたりの歴史までさかのぼる。
世の中はなんでもかんでも機械任せになって、とうとう、季節の移り変わりまで、機械で管理できるようになった。全自動システム化して気候を調整することで、異常気象や、これまで予測不能だった自然災害に対応できるようになったのだ。
空気の流れ、気温、日照時間、風力、雲の有無まで人工的に調節できる。温暖化も問題もこれで解決した。快適で画期的なプログラムだった。このプログラムを管理するために、気象庁と環境庁は合併されて、環境気象庁が出来上がった。
しかし、問題は起きた。
完璧に快適な気候を人工的に作り出す程に、野生の植物がみるみる枯れ始めたのだ。原因は今でもはっきりとはわからない。環境条件は完璧なはずなのに、それでも、人工的に造り上げた気象条件の中では、野草、雑草、その他の天然の植物が生命力を失ってしまったのだ。
そこで環境保護庁の中に、新しく設立されたのが、環境保護省神功課。人工的なもの、科学的なものの力で抗ってどうしようもないのなら、古来からの伝統的なものに縋るしかない。おおよそそんな結論が導き出された結果だ。
日本古来の神式に従い、八百万の御霊に呼びかけ、自然の力を取り戻してもらう。非科学的だと一部の反論が出なかったこともないが、その政策が功をなして、都心から消え去りかけていた自然の一部が復活した。タンポポ、スミレ、ヨモギ、その他諸々。
「人工的な環境整備ばかりだと、精霊が消え去っちゃうんだって、なんとなくみんな感じ取ったみたいなのよね。そこで、どうにかここにきて力を貸してもらいたいって思ってるの」
という私の熱心な話を、桜乎は体を傾け、頬杖をつきながら聞いている。聞くまでもなく、退屈そうな顔だ。
「そう。で、僕にここで、人間たちみたいに仕事をさせようってことなんだね。働き蟻よりも機械的にせっせと働き詰めの、この時代の大人たちみたいに、僕にも働けってことだね?」
「まぁつまりそうなんだけど」
「咲耶ちゃん交渉するってのはそうじゃないの! もっと言い方考えなきゃだめよ失礼でしょ!」
とうとう見かねた上司が、私の横から口を挟んできた。こっちは必至で話しているのに、どうしろというのか。もうすでに首筋に冷や汗が滲みそうだ。ここで何か私が失敗したら、報告書とか始末書とか書かなきゃいけなくなるんだろうか。まだ勤務歴も浅い新人の立場なのに、そんな責任背負うの重すぎる。
私の焦心を知ってか知らずか、桜乎はそれきり言葉を話さなかった。じっと口をつぐんで、萬(よろず)部屋(精霊の呼び出しに成功したら、精霊を居住させてもてなす和室のこと。オフィス内に設置されている)に移ってそれっきり。ただし、最中は気に入ってくれたようで、ずっと最中を食べている。とりあえずお茶菓子だけは切らすまいと思って、その日のうちに宅急便で五十箱注文した。
こんなことで、桜は咲くんだろうか。私も、作り物の桜しか見たことがない。そんな憂鬱を抱えながら、私はずっと緑茶を飲んでいる。本当はコーヒーが一番好きなんだけど、「コーヒーの飲みすぎに気を付けて」って言われたから、それを守ろうと思って頑張っている。
「お疲れだねぇ、咲耶」
休憩机に突っ伏していると、橘花が様子を見に来てくれた。
「プロジェクトがびっくりするくらい順調だって、課長が大喜びでさ、差し入れのお菓子いっぱい持ってきてくれたよ」
「あの子、最中ばっかり食べてるけどね」
「桜餅もあるよ。食べるー?」
「あーじゃあ食べる」
活気づけになると考えたのかどうか、課長はわざわざ本場の京都から、桜や春に関した和菓子や品物を、片っ端から選んで取り寄せたらしい。
淡いピンク色をして、濃緑の葉に包まれた桜餅が、お皿に載って私の前に差し出される。
「桜は消滅したはずなのに、どうして桜餅は消えずに残っているのかしら……」
「それはね、『桜って確かこういうものだったなぁ』っていう記憶が残ってるから、同じ味を人工的に作り出して再現してるからよ。桜の味も、使われてる桜の葉も、つまりは作り物だからね」
桜は消えたはずなのに、人々の心の中にある「桜」という存在は消えなかった。
土に根付いて育つ桜の木がなくっても、毎年春になったら、桜の木が出荷される。遺伝子操作で、桜そっくりに育てられた木の枝だ。
一番人気なのは居酒屋で、春になると店内を桜で飾る。
春になったら「桜を眺めながらお酒を飲む」という、一種の伝統というか、習慣のようなものが根強く残っているからだ。
本物の桜が見てみたい。きっと楽しいだろうなぁ。


「今日も残業してるの」
「ええ、まぁ」
「僕が思うに、現代の人達は、夜遅くまで働きすぎじゃないかな……」
「そうね。でもそういうものなんだよ」
「もし、僕が桜を咲かせたら、あなたは夜中まで仕事をせずに済むの」
「えっ。えっと」
そうとは限らない。桜が咲いたら、桜を咲かせるための仕事はなくなるけれども、そのあとは、桜を咲かせたあとに必要になる業務がいろいろとやってくる。
脳裏にあれこれと、洪水のような思考が一瞬で流れる。
だけど私は、桜乎にこう返事をした。
「そうだね。仕事をせずに、少しはゆっくり夜を過ごせるんだけどなぁ」
桜乎は、あどけない瞳を静かに瞬かせた。
「わかった。僕は、あなたに夜桜を見せてあげたいな。地上に瞬く星がにぎやかなこの地で、あなたは、一生懸命、僕の声を聞いてくれたから」






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(2017.4)


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