今日も残業、昨日も残業、そして明日も残業だろう。わーあ、私、頑張ってる。頑張ってるって思うしかないじゃない。
 年度初めってどうしてこんなに忙しいのかしらねぇ。気象庁では一年分の天気をプログラミングして入力しているし、交通省では全自動宅配レールの時刻表を点検してるし、そう、つまり、一年分の仕事が一気にやってくるのよ。もう少し、時期をずらしてもいいんじゃない。仕事は山ほどあるのよ。
「咲耶くん、街路樹の生命力ゲージの報告書、まだ提出されてないよ」
「あ、すみません課長、本日中には印刷したものをまとめてお渡しします」
「本日中といってもいつ頃になりそう」
「あと、一時間以内には」
はぁ。疲れた。コーヒー飲みたい。一旦休憩したいと思っていたところだったのに、そんな返事をしてしまったので、提出するまで一息つくこともできなくなった。溜まっていた書類を一気に仕上げ、上司に渡して、席を立ったついでに外の空気を吸いに行く。
 窓の外には都心の景色が広がっていた。

夜景が呼吸している。
国家の公共機関ばかりがこの街を動かしている。
使命感に胸をときめかせながら公務員になったものの、私もなんてことはない、取るに足らないただの一つの歯車だ。
私の仕事って一体何なんだろう。なんて、答えのない自問自答が虚しく宙を泳ぐ。
無数の夜の煌めきを眺めながら、八十六階のオフィスの窓から、世界を見下ろしている。
私は今ここで呼吸をしている。
空気の原子の一粒になったような心地で、呼吸をしている。
ひらりと、何か白いものが目の前を流れた。蝶……いや、そんなはずはない。だって真夜中だ。むしろ蛾だけど、それは考えたくない。
花びらのように見えた。
少しだけ、どこか懐かしい香りのする風が吹いていた。
ガラスの隙間から、ほんの少しだけ外の世界が流れ込んでくる。
まるで水面に浮かんで息継ぎするような、そんな呼吸を繰り返して、私は大きく息を吸い込んだ。
夜の屋上からの眺めは、星空を地面に敷いたような華やかな夜景が広がっている。じっと見下ろしていると、自分もその景色の一部になったような気がする。
 ふと。人影らしきものに気が付いた。私の他にも誰かいる。
 私の部署以外にも、残業で残ってたとこがあったかな。
「夜景が綺麗だね」
 凛とした静かな声。そして、どこかあどけない声だった。
 オフィスビルの屋上には似つかわしくない、幼い男の子がそこにたたずんでいた。年の頃は七、八歳ぐらい。フード付きの大きなケープを着こんでいて、温かそうな服装だった。ぽつりと囁いた今の一言は、私に向けての言葉だったようで、私の視線に応えるように、ゆっくりとこちらへ振り返った。被っているフードのために顔は陰になっていてはっきりと見えないけれど、それでも、お人形のように端正な顔をしていることは見て取れる。
「そこで、何してるの。誰か待ってるの」
「なんとなく、呼ばれたような気がしたから来たんだけど。
 






翌日、残業続きで疲れの取れない体をのろのろ叩き起こして出勤する。
まだ二十代だもん。勤務歴もまだほんの数年しかない私が、更年期みたいなこと言ってられない。覚える仕事も、これから経験しなきゃいけない仕事も山ほどある。
制服に身を包むと、シャキッと、折り目のついたシャツのような気持ちになる。人は見た目が大事って言葉は正しい。メラビアンの法則。人間は目から入る情報に、大きく思考を左右されるのだ。
ふと気づく。オフィスに、花瓶が増えていた。
おや。誰が飾ったのかしら。
「誰か、お祝いごと? 昇進かな」
「いや、なんかね、今日ミーティングで詳しく聞かされるらしいんだけど、新しく始まるプロジェクトと関係あるらしいよ、それ」

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