『いかないで』


あの声が、ずっと耳に残っていて離れない。
白く小さな、柔らかな手。
揺れる、蒼い色の瞳。


『あなたがいなくなってしまうのなら、私は生きている意味がない』


ここで共に消えてしまえるのならば、どんなに幸せだったことか。
箱庭には柔らかな日差しが差し込み、淡い黄の花が花弁を咲き誇らせている。
私たちはその中でいつも、忍ぶようにそっと会っていた。


それだけで十分、幸せだったのに。


「宮廷を去れと、陛下より仰せられました。もう私は錬金術師ではありません。パレミア様」


だがそれは事実の全てではない。
貴女にもう会ってはいけないと、そう命じられた。
それゆえの強制的な宮廷追放だ。
もう帰ってくることは出来ない。


もし私が、共に行きましょうと貴女の手を取ったならば、貴女はどんな顔をするのだろう。


いにしえの錬金術師の物語のように。
貴女に黄金の花を捧げて。

永遠に、二人で。







宮廷の図書館には、それこそ溢れんばかりの書物が揃っている。
まるで壁の装飾のように敷き詰められた古書の数々。
この静謐とした空気は、嫌いではなかった。


「珍しいな、シャド、何を読みに来ている」

カツン、と、錫杖の先が、大理石の床を叩く音がする。
藍色の裾の長いローブを着込み、長い艶やかな黒髪を背に流している少女。
いいや、少女の姿をした、この国の錬金術師の頂点にして私の師。


「貴女こそ、一人で出歩く姿は久しく拝見しておりませんが、何用でいらしたのですか、ルネ師匠」
「お前がずいぶん荒んだ顔をして連日歩いているから、気にかかって様子を見にきた」


ため息がちに零す言葉は、憂いの小言のように聞こえる。


「またパレミア姫と会っていたのか」
「呼ばれては会わぬわけにはいかないでしょう」
「そう言って、甘い蜜に誘われた蜂のように、ふらふら中庭を出歩いているわけか」

手にしていた本の表紙を閉じる。革の装丁は厚みがあり、手触りが良い。
私はその表紙を、ルネ師匠の前に指し示した。

「いにしえの錬金術師の話を探していました」

年季を経て灰色を帯びている紙の上に、飾り模様のように敷き詰められている言葉の羅列。
それは、過去の物語を伝えている。


「姫君を哀れんだ錬金術師は、その心の証として、姫君を黄金の像に換え、誰の手にも触れないように隠したと」
「……お前のような心の冷めた男が、そんな御伽噺に心惹かれているとは知らなかったぞ」
「師匠、この逸話は、本当に御伽噺ですか。それとも、事実だったのですか」
「それを知ってどうする。まさか、王に嫁ぐことを拒む姫を、無理に匿って手元に置こうとでもいうのか」


淡々と語るルネ師匠の言葉に、何も返す台詞が出てこなかった。
言われる通りだ。こんなものにすがろうとしているなんて、どうかしている。

だけど自分は錬金術師として、何の役目も果たせていない。
あの人を……パレミア様の望むものを何一つ差し上げることができないままで、何が錬金術師だ。
そんな無力な自分など、一体何の価値があるのか。


貴女に黄金の花を差し上げましょう。永遠に枯れることのない花を。
そう誓った言葉が、私のせめてもの忠誠の証だった。


だけど、あまりにも儚い。


人の心というものは。









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(2014/12/3)
スピンオフSS。
この頃のシャドさまはまだ16、17くらいか?


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