「New Year's Day」





しんと静まり返る暗闇
静寂という音色
無音の奏(かなで)
目を閉じれば聴こえてくる
浮かぶ白色

さらさらさら
しんしんしん

黒い世界に降る白い静寂は

鈴の音に似ていた
砂の音に似ていた

淡く瞬くモノクロの灯火は
遙かなる宙の光を思わせた



「何か、聴こえた?」



ふと、形の無いものに心を馳せていた俺を。
低い声音が呼び寄せた。
からかうように弾ませる言葉。
紡ぎだす微笑の唇。
昼も夜も無い、ただ此処に在るための場所。
魔女と道化が集う場所。



「ラック、目がぼんやりしてたよ。酔ってる?」



形の無いもの、声無き音色をたどるとき。
平行に存在する世界が、歪みを生じて重なり合う。
その軋みの音をずっと探し続けている。



「そうだな・・・何か、透明なものが流れ落ちるみたいな、細かいものが降って来るような」



表現できない、抽象的な。
音色。



「そうそう、そういえばね」



リズは、ぱたりと手を打って。
唐突に、今日の『酒』を用意して差し出した。

それは、透明な液体――本当に、水よりも透きとおってて透明な――だった。
小さめの平たい酒杯に注ぐと、ゆらゆらと揺らめいて、濃いアルコールの香りを漂わせた。



「・・・これはどういう『薬』? なんか苦そうな酒」

「苦くないわよ。お米のお酒。良い香りでしょ」



試しに少しだけ舌先をつけて味見する。確かに良い香りだが、やっぱりほろ苦い。
一口飲むと、カッと腹の中が熱くなるような感覚がする。



「『一年』の区切りに、こういうお酒を飲むことがあるんだって聞いたの。
 これはそういう薬。
 もう一年健康に過ごせますように、っていう願いを込めて、薬草を漬けてあるの」



”一年”
という言葉を聞いた時に、静寂の中に”音”が生まれた。
どこからか聴こえてくる、世界の軋みの足音。
幸いながら、それはさほど耳障りな音ではなく、落ち着いた呼吸のような、平穏で規則的な音色だった。
それは『時間』という概念が必ず持っている、前進する鼓動の声だ。



「そうか、区切りか・・・」



人間は時間の中で生きる生き物だから、歩いてきた足跡を確認するように、『時間』を確認して名前を付けようとする。
一秒、一分、一日、『一年』、一瞬、一生、・・・・・



「うん。悪いことはもう通り過ぎたことにして、次の『一年』が良いことが沢山ありますように、って。
 そういうおまじないみたいなものなのかな。
 『一年』のうちでこの日しか飲まないんだって。そういうのってちょっと楽しいよね。
 毎日飲んだって変わらないだろうに、そういう特別なものだと、余計効果があるのかな」



時間というのは、直線だろうか。それとも、輪だろうか。
不思議なことに、時間というのは通り過ぎたら戻ることが無い一本の道のようなものなのに。
何故か、同じ事を繰り返すことがある。
人間が『時間』に定めた単位も、それを象徴している。
何故か、同じ地点に必ず戻ってくるような形をしている。



「その『区切り』って、いつ? 『一年』の単位の区切り」

「えーと、今日の日付が変わる頃・・・・・・」



ふと気づいて、俺は、自分のジャケットの胸ポケットから、懐中時計を取り出した。
なんだ。これを見れば簡単じゃないか。



「この時計でなら、数字の12を時計の針が差したときだな」

「ああ、それそれ」



なぜかやたらと楽しそうな顔をして、リズは時計の針を眺めていた。
何かの『瞬間』というものは、無性に人間の心を惹きつける力がある。
本来、区切りが存在するはずのない、形の無いものであるはずの『時間』の形を見つけるための儀式。



だが。
この時計の針が12を差したところで、『区切り』が見れるわけではないと、初めからわかっていた。

秒針が進み行く・・・しんしん、しんしんしん
無音の静寂を降り積もらせる。



そうか。さっきから聴こえていたのはこの音か。



目に見えない『過ぎ行く時間』が、人々に別れを告げる声。
現在から過去へと変わっていく時の流れの足音。



しんしんしん・・・・・・
              カチリ



『一年』という時間の単位の移り変わりを見ようと待っていた、好奇心に満ちた瞳の前で。
その瞬間は、別の形を見せていた。
時計の文字盤と針は、一瞬、溶けて混じりあった。そして渦を巻いた。



「え・・・・・・?」



じっと見張っていた二つの瞳は、きょとんと見開いて瞬きを繰り返した。
時間は、通り過ぎなかった。
単位を測ることはなく、過ぎた時間と現在の時間、これからの時間をごちゃ混ぜにして。
同じ『時間』を歩み始めた。


こうなるだろうとわかっていた。
小さくため息をついて、リズのほうを見る。
幼い魔女は怪訝な瞳をして、時計と俺とを交互に見ている。
・・・・・・やれやれ。



「リズ・・・・・・言っておこう。『俺達に時間は存在しない』」



喉の奥から囁く低い歌声で、彼女に告げた。
聴いた者に強く刻み付ける、詞(ことば)。



「そっかぁ・・・・・」



茫洋とした目をして、ぽつりと小さく漏らした。
戸惑いを鎮めようとするのは、失望、あるいは脱力。そして、再認識。
彼女の瞳の中では、通り過ぎてきた『時間』が、渦巻いている。
過去になることなく刻まれた、自身の記憶。


俺達が『魔法』と呼ぶものを手に入れたときのことを思い出した。
それは彼女にとっては、大きな損失に等しいかもしれなかった。
何かを創りだす力。しかしそれは決して自分のためのものではない。
誰かに与えるためにしか使うことができない。
その力を手にした代わりに、それまでの自分の居た世界を棄て去って、ここへやってきた。
世界の秩序の中の何処にも存在しない、空間と空間のハザマ。無と永遠が等しい世界。
共に歩むと言った。
あの場所から逃げ出すために、この手を取った。
定められた終焉ではなく、道を外れた継続を望んだ。
彼女の歯車は正当な秩序から外れて、独自の回転を抱くことを選んだ。
名前を失くした俺達と同じように。
正当な世界から外れた。
何物にも縛られない代わりに。
何処にも寄る辺無く彷徨う存在(もの)。
過去も未来も、時間の流れも、何も持たない。


わかっていたはずなのに。
不規則な歯車に。
『時間の区切り』なんて存在しない。
壊れて動かなくなるまで、延々と、廻り続ける。
自分を呼ぶ音色を探し続けながら・・・・・・。


トクン トクン トクン


鼓動の音に似た音色が聴こえた。
リズから聴こえる・・・・・・
・・・かと思いきや。
それは彼女が、透明な酒を杯に注ぎ足す音だった。
波打つ液体は、耳に心地よい唄を謡っていた。



「なんだ。じゃあ、いつ飲んでもよかったんだ。
 一年にこの日、なんて細かいこと言わなくてもさ。
 あたしの好きな時に飲んでもいいってことだよね。
 うん。そうしよう。じゃあ乾杯。
 キンガシンネン、むびょーそくさい」



酒には金粉が散らしてあった。
揺らめく液体の中でチラチラと輝きながら踊って、豪華だ。



「『時間』に区切りなんかが無かったとしても、あたしはきっと、何も変化がないとは思わない。
 一旦立ち止まって、通り過ぎた時間のことを振り返ったり、また、これから来る時間のことを考えたりって・・・
 きっと、大切なことなんだよ。無意味なんかじゃない。
 同じことの繰り返しじゃなくて、何か、新しいことが起こるって信じられたらいいよね。
 時間に単位を与えて区切るのって、きっと、そういうことを考えるためだと思う」



濃厚な薫りの『薬』に唇をつける、彼女の瞳はいつでも、真摯な光を宿している。
『一年』という時間の区切りの息災を願う薬の効き目を信じる瞳だ。
時間の流れを失って彷徨っても、リズは、恐れない。



さらさらさら
しんしんしん


流れ行く時間の歌声が聴こえる。
無慈悲に、無機質に流れながらも。
よどみなく、ためらいなく・・・無音の静寂の中に降り積もる。

リズの手の中にある杯を眺めた。
透明な液体の中に、金箔の欠片が泳いでいる。
秩序の無い時間の渦の中でも。
このような金色の粒が、探せば見つかるものかもしれない。
たとえ、無限に等しい千年の中でも。一秒の中でも。



『幸せ』は、探すことを諦めたら決して、見つからない。







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2010年元旦に年明け記念SS。




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