「Lover's Poison」







チョコレートというのは麻薬だという。
ココアパウダーにカカオ、生クリーム、香り立つブランデー。刻んで入れるアーモンド・ナッツ。


「今日は一体何を作ってるんだ、リズ」


退屈そうに、カウンターの片隅で頬杖をついている彼、ラックが、気だるい吐息交じりにリズへと問いかけた。


「魔法のお薬よ」


楽しげに声を弾ませて、銀色のお皿の上に並べた『薬』を運んでくる。
甘くふわりとした香りが強く漂ってくる。
茶褐色の艶やかな宝石のようなそれは、香りだけでなく見栄えも惹きつけられる。


照明の熱で、せっかく作った薬が溶けてしまわないように、キャンドルの明かりは少し遠ざけて置いてある。


「さて、問題。これは何でしょう」
「・・・・・薬っていうか、菓子だよな」
「そうよね普通はね。で、これは何に見える?」
「チョコレート」
「はい、正解」


リズはにこりと得意げに微笑んで、カウンターの片隅にブランデーの瓶を置いた。


「ホットチョコレートも作ったのよ。飲む? 温かくて美味しいのよ、刻んだチョコレートとココアとミルクを温めて、クリームとラムを入れるの。
 あ、カプチーノ・ラテもあるけどどっちがいい? それか、ショコラ・オレンジに、カカオリキュール・エスプレッソか」
「いや、もう少し甘ったるくなさそうなのを」
「じゃあビター風味にしてあげるから」
「ブランデーでいい。普通の酒くれよ」


気乗りしない様子のラックの態度に落胆して、仕方なくリズは、彼のためにブランデーを選んでリキュールグラスに注ぎ始める。
細長い三角のグラスにストレートの濃いブランデー。
薄いレモンを蓋のように乗せて、砂糖を盛る。ニコラシカというカクテル。


「どうしてそんなに退屈そうなの」
「”魔法使い”というのは大体いつも退屈なんだよ。永遠の時の狭間を渡り歩いてるから」
「ああそう。退屈というのは、それは大層恐ろしい病だわ。あたしが治してあげる。
 美味しいから一つ食べてよ。はい」


リズは銀の皿を差し出して、上に並ぶ茶褐色の宝石をラックの前に見せる。
ココアパウダーに包まったもの。シナモンパウダーのもの。アーモンドや胡桃が飾られているもの。どれも綺麗に作られている。
一粒手にとって口に放り込むと、舌の上で溶けてふわりと甘いブランデーの香りがした。
想像したほどは甘ったるい味ではなく、ほろ苦さがちょうどよく合わさって、すんなりと喉の奥に入る。


「美味しいな」
「あらよかった。これでも甘すぎるなら、特別にタバスコ入りでも作ってあげようと思ってたけど」
「おいおい・・・・・」
「冗談だって」
「で、これが何の『薬』だって?」


茶化すようなラックの問いかけに、リズはにやりと顔を綻ばせる。


「チョコレートってね、本当は麻薬なのよ」


並べた菓子を眺めて、自分自身もグラスにリキュールを注ぐ。
グラスの縁に白いグラニュー糖をつけたグラスに、コーヒーリキュール、ウォッカ、それに熱いお湯を足す。
アルコールの風味の立ち上る湯気が漂って、熱いグラスが掌を温める。
ナッツ類を小皿に入れたものから、アーモンドをつまんで口に放り込みながら語り始める。


「気分を高揚させて、脳に刺激を与えてやる気が出たり、定期的に取るとそれこそ麻薬に等しい依存性、中毒症状も考えられるわね。
 ついでにもう少し詳しく言うと、カカオに含まれるテオブロミンは、脳を興奮させて、呼吸と動機を激しくする。チョコレートの致死量は、大人でだいたい5、6kg程度ね。
 あとモルヒネやマリファナとほぼ同様の作用がある成分も入ってるし、それに加えてチョコレートの糖分は急激に血液中の血糖値を上昇させるから、不安なときに甘いものを食べたくなる心理があると思うけど、逆に急激に血糖値が下がったときに一層不安感が増すから、心理的には悪いサイクルに陥ることに」

「なんでそういう話をそんなに楽しそうに話すんだって」


砂糖を乗せたレモンを二つに折ってかじりながら、ラックは呆れた目をしていた。
気分を高揚させる脳内麻薬の作用があるというなら、リズは間違いなく今その状態だろう。
自分で作ったチョコレート菓子をかじりながら、活き活きと目を輝かせている。まるで月夜の晩にぴんと尻尾を立てて徘徊する黒猫のようだ。

「まぁ聞いてよ。こんな雑学なんか別に面白くなかったわね、もっと楽しい薬なのよ本当は。
チョコレートはね、恋に効く薬なのよ」


唇と指先についたココアパウダーを舐めながら、リズは得意げに語る。


「何の、薬だって?」
「気分が高揚したり、血行が促進されて心臓がドキドキしたり、うっとりと幸せな気分になったり、これはまさに、恋の症状とほぼ同じ状態なの。
 フェネチルアミンという成分は、覚せい剤と近い構造と言われるけれども、同時に、これは人が恋に落ちたときに脳内に分泌される成分だとも言われているわ。
 古い時代には、カカオは宗教的な儀式に使われたり、それこそ媚薬と同じ扱いをされたこともあるっていう話。さらには」


ぺろりと舌先で唇を舐めて、甘く囁く声で続ける。


「チョコレートを口の中でゆっくり溶かして食べるときの興奮作用は、人がキスをするときの高揚感の約2倍から4倍。面白いと思わない?」


言い方を変えると、人間が恋をするということそのものが麻薬のようなものであり中毒作用と依存性を持つということだ。幸福と不安の作用は裏と表。


「あ、そういえばね」


ふと思い出したようにリズは話を続けた。
もう一つつまんだ菓子を、カチリとかみ締めて食べる。外側の硬いチョコレートが割れると、とろりとしたアルコールの風味の液体が溢れる。ウイスキーの味がした。


「この薬を買いに来てくれた恋人達がいたんだけど。話を聞くと、どうやら、彼女が記憶喪失になってしまったの」
「それで」
「恋人の男の人は、ひどく慌てていたわ。どうにかして助けてくれって」
「記憶喪失・・・・・・? それは名前も恋人のことも思い出せないようなことなのか」
「幸いそれほど深刻そうじゃなかったんだけどね。脈も診たけど正常だったし。部分的な記憶喪失みたいだったわ。
 彼のことは覚えてるんだけど、彼が自分のことを愛してるのかどうかわからないって言って」


そこで恋の薬を彼女に処方した。
もしも本当に彼が愛してくれているのなら、この薬で、欠けた心が戻ってきますようにって。


「それで、その女性の記憶喪失は治ったのか」
「うん、幸い記憶は戻ったわ。だけど記憶が戻った途端、彼女は激しく泣き始めたの」
「どうして」


リズはカカオリキュールを飲み干して、今度はカップに熱いコーヒーを注いだ。
濃い茶褐色の液体が揺れる。


「彼女はね、彼が別の女性と一緒にいるところを見てしまって、そのショックで記憶が途切れ途切れになっていたんだって。
 よほど彼のことが好きで、その分、裏切られたと思い込んで傷ついてたのね。
 泣き続ける彼女の横で、男の人は一生懸命弁明してたわ。どうやら浮気じゃなくて誤解だったみたいだけど」


コーヒーカップの上に小さなスプーンを掲げて、角砂糖を乗せた上にブランデーをほんの数滴。
これに火をつけると、ほっと蝋燭のような炎が灯り、熱せられたアルコールが蕩けるような深い香りを放つ。


「『愛してる』って言葉は、素敵な薬だと思わない? しまいには笑顔になって帰ってくれて本当によかった」


まるで甘いカプチーノのような、幸せそうな恋人達。
恋の薬は、依存性にはご用心。
たまにはほろ苦さも必要なことだろう。









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(2013/2/17)
どうしてもチョコレートネタが書きたかった・・・!

















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