灰色の冷たい部屋の中で目を覚ました。
自分の鼓動の音が激しく脈打って聞こえていた。
某然と天井を見つめて、自分の鼓動の音に徐々に意識を引き寄せられて、そうしてようやく、今見ていた光景が、夢の中であったと気づく。

悪夢。
一体何を根拠に。

簡素なベッドの上で、鈍い思考回路を引きずって、体を起こす。
肌には、冷たい汗が滲んでいた。
目を瞬かせて、部屋の中の様子を見渡す。
部屋と呼べるほどのものでもない。ただの仮眠室だ。
「メイキング・ジョーカー」の店内の奥から、隠れるようにしてつながる場所。
ベッドなんか特に必要ではない。ソファーで寝たってかまわない。
ただ、これでも一応、医療に通じる研究をしていたこともあるし、精神医療に携わったこともある。
睡眠が、心身を休めるのに必要なものだというのは、そこそこ理解している。
たとえ、そうして得られるものが、空虚な悪夢だとしても。

そうだ。
形ばかりの休息では、何も癒されない。

あたしは、沈むような心地で、両手で顔を覆う。
目が覚めても覚めなくても、同じことだ。
そっと自分の指先で、自分の首筋に触れる。
きつく首を締められた、あの感触を強く覚えている。思い出すと喉が塞がる心地がする。

紅く微笑む唇。
傷だらけの肌。
甘い花の香り。

サフラ、あなたは生きているの。
それとも本当に死んでしまったの。
わからない。
ただ、今見た夢が、本当にただの架空の夢だとは思えない。
あれは現実だ。間違いない。

簡素な黒のドレスを着て、紅いバンダナで髪をまとめる。
店内のカウンターと繋がる出入り口から、誰もいないひっそりとした空間に足を運ぶ。
棚には色とりどりのガラスの瓶。透明なグラス。アルコールの香り。

ああ、そうか。
覚めない悪夢だ。

カウンターに並ぶ席の一つに腰を下ろして、倒れ伏すように顔を腕にうずめる。

「どうした」

そっと暗闇から浮かび上がるような囁き声。
一切気配を感じさせず、ただいつのまにかそこにいる。忍び込む静かな影のように。
貴方は、黒衣の魔法使い。
音と言の葉を操る異空間の旅人。

「まるで死人みたいな顔をして。リズ、今度は何があった」

唄を紡ぐような、心地良い音色。低くて落ち着いた声。
貴方の唇から紡ぐ声には、魔法を含んでいる。

「サフラが・・・・・夢に出てきたわ」

呟いて、自分の首元を手で擦る。
首を絞められたあの感覚が、とてもただの夢だとは思えない。
きっと、彼女はどこかで生きている。

「あなたの魔法で、薬の苦しみが消えたとしたら、あの子はあたしを許してくれて、そしてやっと静かな眠りにつくことができたのかなって。
 そう思ってたのだけど・・・・・そんな甘いことにはならないのかな」

きっとまだ、解放されてはいないのだろう。
許してはくれないのだろう。
憎しみと痛みは、消えることはない。

「そうだな・・・・・・。実は薄々感づいていた。もしかしたら、サフラは悪魔と取引をした可能性がある」

悪魔。
またそんな、抽象的で詩的な言葉を。
でも、魔法使いが本当に存在するのだから、天使や悪魔や、死神だってもしかしたら本当にいるのかもしれない。
ラックやカルマは、そんな悪魔や天使が本当に存在する世界を、点々と旅して渡っているのかもしれない。

「麻薬の中毒症状で、一度命を落としたと思われたのに、またリズの前に姿と名前を変えて現れている。それも、よく見知っていたはずのお前が、ずっと傍にいても正体に気づかなかったほどの変貌」
「ええ」

まるで催眠術をかけられてたみたい。
確かに昔とは、口調も仕草も、髪の色も瞳の色も変えていた。
それでも、サフラが昔の名前を告げるまで、あたしは疑いもしなかった。

「もしそうだとしたら、彼女も、俺達と同じ、歯車を外れて彷徨う存在になるのだろう」
「歯車・・・・・」
「千年かあるいはもっと永遠か、時間の流れの中から逸れて、行き場を見失った者のことだよ」

にやりと皮肉げに、唇を歪める。
カチリ カチリ カチリ
トクン トクン トクン
歯車。そうだ。この音色だ。
あたし自身もそうだった。
胸を抉られた傷は、あたしの歯車を壊してしまったんだ。
それを望んだのは、きっとあたし自身の選択だった。

「ラック、あたしね・・・・・・」

自分の腕の中に顔をうずめながら、かすれるような声で囁く。

「本当は、そんなに強くなんてないよ・・・・・・・・」

目の前に置かれたグラスが、きらきらとダイヤモンドのように反射して見えている。
逃避の夢を見せてくれるお薬。
苦しみを癒す薬を。生きることを楽しくする薬を。絶望を忘れさせてくれる薬を。
こうでもしないと、何かにすがっていないと、生きていられなかった。
誰かの傷や痛みを治したいと、ずっとそんなことを言いながら。
そうすることで、傷ついた自分自身が、いつか癒されるような気がしていたんだ。

すっと差し伸べられる指先。ラックの手があたしの肩に触れて、髪に指を絡ませる。
大丈夫。
そんな声が聞こえた気がした。

あたしは静かに目を閉じる。
もう一度、貴方の隣で眠らせてほしい。今度はもう少しだけ、安らかな夢が見れるように。
あたしに貴方の歌声をください。








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(2013/8/15)


















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