【 broken beat - silvia - 2 】











暗闇の地下から逃れた先は、白く、凍えた箱。



麻薬の街。
地上に出れば、待つのは解放や自由ではなく、人間が作り出した束縛。



いいんだ。それで。もう。



薬を・・・・消すことはできたのかな。
それさえ叶えば、あたしはもう、消えたってかまわないんだ。





(何も・・・・・・聴こえないよ)






コンクリートの壁に寄り添って、水に沈むような気持ちで目を閉じる。
静かな心の底に浮かび上がるのは、通り過ぎてきた病の残滓。




(ううん・・・・・・まだ、覚えてる)




消えてない。
忘れてない。



心の奥へと沈んで、よく耳をすませれば。
よみがえる声がある。


トクン、トクンと、かすかに胸を叩いている。



ラック。そして、カルマ。
スタリオ。ギル。
・・・・・・サフラ。



全部幻だったような気がする。



あたしの手首に絡みつく手錠が。
幻をぷつりと途切れさせて切り離そうとする。
まるで呼吸の停止のように。



あたしが出会ってきた出来事は全部、薬の毒か何かのために見た、幻覚か妄想だったんじゃないだろうかと、ふと思う。



だってあたしはこの通り、ただの白装束で。
地下街なんてどこにもない。
今のあたしは薬屋でもなんでもない。



途切れていた時間が、全部、元通りに動き出しただけ。



その咎を負うために、あたしは今こうして、拘束衣に身を囚われている。



何の音も、声も、匂いも無い。
心と体を酔わせて、世界を彩る歌声。
アルコールとハーブの香り。


そんなもの、どこにも無い。
こうして今のとおり、コンクリートの壁に寄り添って目を閉じている間に見た、夢。




・・・・・・ううん、違う。
まだ、残っている。


体に刻まれた、痕が。



ナイフで切り裂かれて、胸に刻まれた、赤い傷が。




暗い水の底から意識を浮かび上がらせて。
もう一度、瞬きを繰り返す。
眠っていたわけじゃない。
心を整理して、余分なものを意識から消し去ろうとした。

でも、消えない。



あのとき、あたしの体に触れていた、白い手を。
銀のナイフを。
一面に広がった赤黒い血の絨毯を。



じっと目線を落とすと、自分の首から下、胴体が見えている。首から下の、この胸。
肩を動かして、腕を少し持ち上げて、親指で、胸の間を少しなぞる。



ここに、『痕』がずっと残っている。



サフラ。これは、あなたがつけた傷だよね。
あなたがあたしを殺した。確かにあたしは死んだはずだった。
心臓を取り出して薬にすると言って。

だけど、心臓は再び声を取り戻した。
魔法使いだ。
空洞になった胸の中に、音の洪水を注いだ。
「生きたい」というあたしの声を聴いて。
まだ死ねないんだよ。あたしはあの子を助けなきゃいけないんだ。
助けたかった。本当は。
奇跡を起こす、魔法使いの弦の音。

不思議だ。
あの時は、傷跡は何も残ってなかった。
綺麗に元通りになっていた。
なのに。
時間が過ぎるにつれ、じわりじわりと。
傷とは・・・・少し違う。
アザのようなものが。
真っ赤な血のような染みが、胸に浮かび上がって、広がってきた。
それはやがてぼんやりと、奇妙な形になった。



まるで。

蝶の形のような。


赤い、痕。




 ドクン ドクン ドクン




この痕は、また同じように、ぱっくりと胸を裂く傷跡に戻るのだろうか。
魔法は永遠には続かないのかもしれない。
そう思うと。
ぞくりと背筋が寒くなる。
あの時と同じ、明確にこの全身を浸した、死の感触。
今更、恐怖するというの?
何度も何度も、死を受け入れたことがあったのに。
それなのに、まだこの胸は鼓動を歌い続けている。


これが、あの魔法使いが・・・・・・、ラックが、あたしに与えた音なのかな。
「生きたい」と聴いた、あたしの声。


あの時、あたしの心臓は切り抜かれた。
胸の中は真っ暗な空洞になった。
ぬるく浸った血と、折られた骨と、千切れた動脈と。

ならば、今、この胸の中に入っているものは一体何?
ラック。あなたは、あたしの中に何を注いだの。
この赤い痕は何を示すの。



まさか。赤い蝶。 あなたが、この胸の中にいるの・・・・・・?






 カツン  カツン  カツン ・・・・・・





鼓動の音をさえぎるように。
聴こえてきた、誰かの足音。コンクリートを鳴らす音。


白熱灯の明かりの下で、揺れている、人の影。



あたしの入っている収容牢の前で立ち止まる。





「リズ?」 





声が、聴こえた。
大人の男性に違いないその立ち姿。だけど、幼い少年のような響きのある声がした。




司法官が様子を見回っているのだろうと思う。
だけど彼は、あたしの顔ばかりじっと見ながら、その場を動こうとしない。





「やっぱり。間違いなかった。俺のこと覚えてる・・・・・・?」





途切れていた時間が。



ねじれたように。繋ぎ合わされて。引き戻されていく。














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(2011/12/18)
















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