【 broken beat - silvia - 4 】
長い階段を降りていった。
無機質な灰色の、更にそのまた深くまで。コトン、コトンと、続く足音。
前後に立つ男には、まるで表情が無い。
この先に一体、何がある?
だんだんと音が消えて行く。
・・・・・・妙だ。
(あたし、どこに移送されてるんだろう)
司法所とは違う。
もっと危険な雰囲気がする。
なおも深い、静寂と暗闇の中に、じわじわと吸い込まれていく。
背中に感じる薄寒い悪寒を、自嘲の笑みを浮かべて自ずから捩じ伏せた。
地下。
降りて行く暗い階段。
まるで、あの頃みたい。
たどりついた行き止まりの、鉛のような鈍色の四角い扉が開く。
白い明かりがあった。
収容先を移されるか、あるいは別の審問所か、それとも死刑執行場か。
そんな場所にたどりつくと思っていたのに、おおよそ予想とはかけはなれた光景だった。
急に真っ白な色が視界を覆って、痛いくらいに目を刺した。
そして私の立つ前のまっすぐ先には、白衣を着た男がいた。
「君がリズ=シルビアだね」
薄い唇ににやりと笑みを浮かべた、その様子に嫌悪を感じた。
「何・・・・・・?」
肌が粟立つのをこらえながら、とっさに周囲に視線を走らせた。
研究所・・・みたいな場所だった。
「僕は君に興味があるんだよ」
白衣を着たその男と対面したとき、私は言いしれない嫌悪を感じた。
こいつからは、人間の血の温かさが感じられない。
それにこの眼。・・・まるで蛇が舌なめずりしてるみたいだ。
「なるほど、これは良い眼をしてるな。生きが良さそうで何よりだ」
「は?」
コツン、コツン、コツン。ゆっくりとこちらへ歩み寄って来る。リノリウムの床が、乾いた音を立てた。
こんな些細な動作の音でさえ、ぞっと背筋が強張るような、激しい嫌悪を感じた。
「それに、頭蓋の形も良い」
彼の目線が、ゆっくりと、私の頭の先から首の下あたりまで、形をなぞるように眺めていた。
「何・・・何の話をしてるの」
男は、一重瞼の目をいっそう細めた。
「君の罪状は把握しているよ。麻薬の密造、密売、その取引ルートをめぐっての争いから、放火、殺人、違法な密輸入にも関与してるだろう。君は裁かれる立場だ。君に、死に方を選ぶ権利はないんだよ、リズ=シルビア。
だが、自分がどんな死に方をするかは知っておいておくがいいだろう。人間の終焉とは、どんなものであれ美しいものだ。見苦しく生きてもがくよりも、終幕という美学が良い。見せてあげよう、私の研究対象にして、私がそろえたコレクションだ」
引きずられるようにして連れてこられた、白い部屋の、更に奥の扉を開いた中。
暗かった。
薄緑の、間接照明が部屋に並んでいるものを照らしていた。
細長い、柱のようなガラスの筒のように見えた。
その中に全て、並んで浮かんでいるものは。
人間の脳、眼球。
それと、どこか体の一部。
脳のホルマリン漬けが、ずらりと数えきれないほどに並んでいた。
部屋の中に見えるものを、暗さに慣れた自分の目が映して認識した瞬間。
鳩尾を貫かれるような激しい吐き気が込み上げた。吐き気というより、それはもう、体が凍りつくような強烈な痛みだった。
人間としての、今自分が見ているものへの、激しい嫌悪感と拒絶感。
私は胃から喉へと貫かれる激痛で、がたりと膝を折ってその場に屈み込んだ。
引きずられている手錠の鎖のせいで、床に倒れることはできなかった。
嘔吐は起こらなかった。
その方がきっと楽だろうに、声も言葉も凍りついて、何も口から出てこなかった。
喘ぐような息を繰り返すのがやっとな私を見て、白衣を着た細目の男は、満足そうに薄気味悪い笑みを浮かべて私を見下ろしている。
なんなの、これは。
「歴史には詳しいかね?少なからず人類の歴史に影響を与えた民族がいる。何か大きな発明をした者、国を統率した者、偉大な著書を残した者、語り継がれる悲劇の物語の主人公のモデルとなった者や、画家や音楽家もいる。これらはごく少数だが、彼らの血筋をたどっていくと、古くはまとまっていて散らばっていった民族にたどり着くのだ。
リズ、君もそうだ。
僕はこの特殊な才能を持つ人間達の秘密がどこにあるのかを知りたいのだよ!」
「それが・・・この、不気味な脳のホルマリン漬けのコレクションですって?」
目に焼きついた光景のために、意識が遠くなりかけた。
だけど、覚めることのない、本物の悪夢。
「あんた・・・相当悪趣味ね」
「それはどうもありがとう。さて、賢い君のことだ。そろそろ僕が、君をここへ連れてきた理由は理解してもらえたかな」
私は、チッと舌打ちをこぼして、頭を軽く振って目を背けた。
吐きそう。こんなやつのにやけ笑いなんかみたくない。
「人間の可能性とは、何だろうね。リズ=シルビア。君はどう思う? 天才とはどこから生まれるんだろうね、僕はそれを知りたいわけだよ。
君と同じ血を引いた人間が、今まで多くの発見や発明をしてきたんだよ。歴史のどこかで関わってきたと言っても過言ではない。
だから、僕はその脳を集めてきた。
君もただ犯罪者として死ぬのは惜しいだろう?」
自分の血筋がどうだとか何だとか、どうでもよかった。
施設に入る以前の記憶は無いし、両親の顔も知らない。どうでもいい。気にしたことなんか無かった。
でも、この男は何て言った?
私が、特殊な民族の血筋を引いてるって?
その結果が、この不気味な眺めの研究室ですか。
私の血のことなんてどうでもいい。ただ、こんな奴の手にかかって、頭を割られて死ぬのは絶対に嫌だ。
こんな奴の手で、私の中身がここに飾られるのかと思うと、今すぐ全身に火をかけて焼け死んだほうがずっとましだ。
死ぬことなんか、拒まないつもりだった。
でも、こんな奴に殺されるくらいなら、何がなんでも死にたくない。あまりにも悔しすぎる。
胸を焼くようなこの激しい怒りと嫌悪が、私へと下された罰なのだろうか。
バタン!!
そのとき唐突に、扉が開いた。そこには・・・・・・
「リズ、逃げろ!!!」
目を疑った。
スイングがそこに立って、叫んでいた。
「どういうことだ司法官、君はここの研究室への入室許可は与えてないぞ。それどころか、囚人の身柄の引渡しは、正式に手続きを得ているんだがな」
「何が正式なもんか、僕はずっと気に食わなかったんだよ、囚人の一部を人体実験の研究室に引き渡すなんて。こんなの裏取引じゃないか。これは本来違法なことだ、僕は認めないぞ」
「たかが罪人一人に、何をそんなにこだわるんだ」
どうして、スイングが、私のこと助けてくれるんだろう。
目の前でぼんやりと、ドラマでも見ている心地で眺めていた。
私を助けて、何の得があるの?
「何が正しくて、何が間違ってるかなんて、自分自身で決めればいいんだ。
リズ、君が何をしてきたかなんて、僕は全部は知らない。だって、自分で見たわけじゃないから。
君が何と出会って、何を考えて、何のために行動してきたかなんて、僕は知らない。
でも君は、自分が正しいと思って動いてきたんだろう?
なら僕は、リズを信じる。君は正しいって」
言いすぎだよ。
買いかぶりすぎだよ。
私は何も、正しいことなんてしてこなかったよ?
人を傷つけて、人を死なせて、いろんなものを壊して。
あがいて、あがいて、もがきまわってただけなよ。
「だってリズは、馬鹿じゃないもの。僕が知る中で一番頭が良かった。正しいこともちゃんと知ってた。リズが間違ったことなんかできるわけないだろう?」
そんなことないよ
そんなことないんだよ、スイング
いつだって、間違えてばかりだったよ
「僕は君から本当のことを聞く義務があるんだ。それが司法だから。だから死なせない。うやむやになんかさせないから。それが僕の仕事だ」
馬鹿だね。司法官失格だよ。
それでも私は、死刑だと思うよ。
「わかった。スイング。あなたの思うようにしてくれていいよ。私の罪は、あなたに預ける」
だから、話そうと思うよ。
きっと信じてもらえないかもしれないけど。
スイングに連れられて逃げようとしたとき、
異臭に気づいた。
これは・・・・・・・・・・・・
この、肺が詰まりそうな、重く澱んだ匂い。
あの男が薬品をまいたんだ。
「逃がさないぞ。汚れた罪人の分際で」
狂気に満ちた笑みを浮かべて、研究者の男が立っている。
こんな狭い空間で、揮発性の薬品を撒き散らされたたなら、逃げ場はない。
あの男は、中和剤かあるいは、薬品に対する耐性でも持っているんだろうか。だとしても、こんな場所で自分も巻き込んで薬をまくなんて、とても正気の沙汰ではない。
混乱する頭を必死に落ち着かせながら、自分の中の知識と記憶を手繰る。これは何の薬か。催涙ガスなんて生易しいものじゃない・・・麻痺毒、いや、神経毒。
考えている余裕なんてない。この空気に触れないように、一刻も早くこの場を離れないと、すぐに体が動かなくなる。指先からすぐに痺れていく。
「スイング・・・・逃げ・・・・・て・・・・っ」
薬品の知識が無いスイングは、薬の匂いに気づくのが遅れてしまった。
何が起こったかわからずに立ち往生して、すでにひどく顔色が悪い。
「これは・・・・・・?!」
「できるだけ息をしないで、早く、ここから離れて・・・・・・」
言いながら、膝に力が入らずに、ずるりとその場にかがみこんでしまった。体から感覚が途切れていく。目の前が見えない。
「スイング・・・・ごめんね。
私・・・、助けたかった。誰かを、助けたかったんだよ・・・・・・。病で苦しむ人を・・・・。
人を幸せにする薬を作りたかった。こんなつもりじゃなかったのに・・・・・・」
私、まだ、ありがとうって言ってない。
スイング、私のことを、信じてくれてありがとうって。
本当のことを知りたいって言ってくれた。
助けに来てくれて、嬉しかったのに。
それさえも伝えられないで、こんなところで消えてしまうんだろうか。
私のことを助けに来てくれた人も、一緒に巻き込んで。
お願い、スイングだけは助けて。何も悪いことしていない。こんなの、私だけで十分だ。
助けて。お願い。彼は何も関係ないの。
助けて。
ドクン。心臓が脈打った。
切れ切れになった感覚と意識の中で、暗闇の中、小さく蠢くものが見える。
これは、幻覚だろうか。
タスケテ
不意に、暗闇の中に沈んている空気が、軋んだ。
刃のように切り裂く、音の波動。
ドクン
ドクン・・・・・・
何、この音。
「君の音色、確かに聞こえた」
わずかな微笑と、皮肉をこめて囁く声音。
この声を知っている。
聞いたことがある。私、忘れていない。
音を操る、異次元の住人。
人の心を動かして奇跡を起こす人。
平行に並んだいくつもの世界を渡る、時間と時間の狭間を知る人。
「”魔法使い”・・・・・・」
私が気づいたその途端に。
彼の『歌声』が、薬品の匂いに満ちた空間の中に響いてきた。
毒された者よ 凍りついた夜に眠れ
地に堕ちた星座に
永久の安息を
毒された者よ 底の無い夜に眠れ
違う、これは歌じゃない。
これが、『魔法』。
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(2012/4/5)