歯車の音、というのは、ある種の人間にはとても魅惑的に聴こえる歌声だ。
大通りを逸れて、影に隠れるような路地裏。

「ここよ」

リズが立ち止まった店の前で、カルマはその看板を見上げてしばし無言で佇む。
看板の形は、どうやら歯車をデザインした形らしい。ただし残念ながら、その上に筆で書きつけられた店名は、かすれてしまって読み取ることができない。
無人の路地裏はしんと死んだように静まり返っている。冷えた空気と、埃っぽい石畳の匂いがした。
戸惑っているカルマを気にすることなく、リズは小さな扉に手を当てて押し開けた。軽く軋む音がして内側に扉が開く。
中は薄暗かった。人がいるのかどうか怪しい気配だ。しかしリズは迷いなく、扉の隙間から薄暗い店内へと足を運ぶ。
中に入ると、やはり静まり返っていて、何も見えない。
ただ、部屋の真ん中に広い机があって、小さな木槌や釘抜き、やすりのような道具が散らばるように置いてある。何かの作業台のようだ。

「あ、いたいた、ハジメ」

机の左右を覗き込んで、リズが声を弾ませた。
久々に会いに来た稀代の友人の顔を見て、思わず顔が綻ぶ。
そんなリズの表情を見て、怠慢な女店主が、苦い笑みを浮かべた。

「やれやれ、今日は気が乗らないから居留守使っちまおうかなぁと思ってたら。そういうときに限って、珍しい客が来るもんだ」
「何よ、せっかくわざわざ訪ねて来てあげたのに、さすがにそれはないんじゃない?」

気の抜けた感じのやや低い声。のそりと気だるげに、作業台にもたれかかっていた体を起こして立ち上がる。

「久々だね、あんた、自分とこの店はいいのかい」
「ああ、あたしんとこは深夜開店。気にすることじゃないわよ」
「そうか。リズ、今どんなことやってすごしてんの。殺し屋かい」
「失礼ね。そこまで物騒なことはやってないわよ。そーゆーあなたも、何このお店の中の殺風景さったら。これで商売やろうって気があんの?」
「いーんだよ。それに、勘違いしないでおくれよ、あたしんとこは店じゃなくて工房。あたしはあたしの仕事ができりゃ充分だよ」
「それにしても、相変わらずだけど、色気のないかっこうしてるわねぇ。あなた、元は良いんだからもっときちんとお化粧とかすれば全然違うのに。このそばかすとかも、見てるとなんかもったいない気分になるわー。美白にいいお薬分けてあげるわよ。あれ、でも、そういえばそういうのって、あなたの体でも効き目あるかしらね」
「さぁね。どちらにしても大きなお世話だから、一切そんなもん必要ないよ」
「ああそうそう。ほら、手土産にいいもん持ってきてあげたわよ」
「お、酒か」
「もちろん」

にこりと微笑んで、持ってきた瓶を作業台の上に置き、ハジメのほうに差し出した。
眠たげな目をしていた表情が、みるみる嬉しそうに緩んだ。
ぺろりと下唇を舐めて、手にしていた煙管をくるりと掌の中に持ち直すと、瓶を包んでいる黒布を一気にめくって剥がした。

「おっ、ハブ酒じゃないか。こりゃ上物だね」
「手に入れるの大変だったのよー。ま、あたしもこういうの嫌いじゃないけどね」
「あんたんとこみたいな洒落た酒なんか、あたしのガラじゃないんだよ」

琥珀色の液体に沈んでいるのは、まるで作り物みたいな大きな蛇。


「そういや、あんた、そこにいる連れは」
「ああ、彼はカルマっていうんだけど」


今頃ようやく存在に気づいたように、ハジメが店内の片隅に佇む彼の方へ声をかけた。


「ついつい無駄話しちゃった。ただ遊びにきたわけじゃないのよ。ハジメ、ちょっとあんたに力貸してもらいたいことがあって」
「はぁ? あたしにかい。あたしに酒の接客なんかできやしないよ。あたしができるのは、カラクリの修理くらいだからね。もし、人手探してるっていうなら他を当たっとくれ」
「もちろんよ。そのくらいわかってるわ。だから来たのよ」






 


 
 
 



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