「目玉焼きが食べたいんだけど」
「今日はこれしか作れないのよ。食べて」
目の前に出されたお椀には、貝のお味噌汁。
「新聞にうちの子が載ってるよ」
「あら本当。大学の文化祭の記事?」
「論文の表彰式のようだよ」
「あらまぁ、そんなに立派になっちゃって。まるで遠い人みたいね」
「人ごとみたいに言うなよ、家族なんだから」



翌朝、あなたは少し不機嫌だった。
「目玉焼きで?」
「コーヒーだけでいい・・・・」
今日の機嫌の悪さは何が原因かしら。また株価下がったのか。そんなところ。
ネクタイの柄が気に入らないと文句を言って、しきりにスーツのしわを伸ばしている。



次の日、あなたは寝坊して慌てて起きてきた。
呑気にあくびをしながら、よれたままのシャツに袖を通している。毎日洗濯するから、ちゃんと洗い物籠に出しておいてねって言ってるのに。
「だって昨日さぁー、すっごい大きいのが釣れたんだよ。魚拓見せたじゃん。そりゃあ飲み会も盛り上がるよ」
「はいはい。釣り仲間との打ち上げも、ほどほどにしておいてね」
「ああもう、仕事行かなきゃ。新聞読む時間もないよ。行ってきます」



もうしばらく時間が経つと、二階から娘が降りてくる。
指先で枝毛のほつれを気にしながら、手櫛で寝癖を押さえつけている。
「お父さん、もう会社行ったぁ?」
「とっくに出て行ったわよ。30分前くらいに」
「残念。今日は顔見てやろうと思ったのに」
残っていた目玉焼きを、お皿にのせて、そのまま娘の前に置く。
「今日はどんなお父さんだったぁ?」
「昨日、釣り仲間と飲みに行ってたって話してたわ。よれよれのシャツ着てて」

使い終わったフライパンを、洗剤を付けたスポンジでこする。何年も使ったフライパンは、テフロン加工が剥げかかっていて、焦げ付くようになってしまった。
テレビをつけると朝のニュースが、退屈なBGMのように流れている。
タレントなのか売れない芸人なのかわからないような、中途半端なニュースキャスター。
日付は一日一日、早すぎも遅すぎもせず、過ぎていく。

同じ朝は来ない。
なんて言うと、ただ詩的な表現かまるで哲学の言葉のようだけど。
いつからか、『毎朝、夫が別の人間になっている』というパラレル現象が起こるようになってしまった。
高校生になる娘だけが、私と同じ現象に巻き込まれていて、私と同じ会話ができる。
「いいんじゃない? 退屈しなくて」
娘は、ふちの欠けたマグカップでココアを飲んでいる。朝食はグラノーラ。少し焼きすぎた目玉焼き。
「まぁ、慣れたけどね」
「ねー、おかあさぁん」
「なぁに。はいこれお弁当。忘れないようにね」
「おとうさんと結婚して、幸せだった?」
さぁ。
忘れてしまったわ。結婚記念日も忘れてしまった。
「朝食にいちいち文句つけない人だったらね」
焦げが取れて綺麗になったフライパンを、ざっと水で洗い流す。
鍋には煮詰まってしまった味噌汁が残っている。美味しくないから、もったいないけど捨ててしまおう。
壁にかけてある時計が、かちりと音を立てて針を進めた。







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