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その日の夜のことだった。
しんと静まり返った部屋で、あたしはベットに横になって休んでいた。
明かりを消してしまった夜の時間は真っ暗で、朝が来るまではしっかりと体を休ませる時間だ。
ロカさんが用意してくれた部屋のベットは心地よくて、昨日も今日もぐっすりと夢の中に入り込んでいた。

もそもそと、体を揺さぶられるような心地がして、まどろみの中に沈みこんでいたあたしの意識が引き戻される。


「お姉ちゃん、起きて起きて、大切な話があるんだ」


そっと耳元でささやく声がした。幼い男の子の声で、最初、夢の中から聞こえるのかと思った。
時間は恐らくまだ真夜中。閉めたカーテンの隙間から見える空の色は、朝焼けの欠片さえも見えない。
物凄く眠くて頭がぼんやりする。なになに、何なの一体。
寝ぼけて毛布に顔を擦りつけながら、声の聞こえたほうを見ると。
朱色に光る、小さな点が二つ。
ぎょっとして、すぐに寝起きの頭がはっきりしてきた。光っているのは、子供の目。
あたしの枕元には、5歳くらいの小さな男の子が立っていて、あたしの顔を覗きこんでいた。


「ごめんね、起こしちゃって」


よく見ると、男の子の褐色の髪からは、ピンと尖った獣の耳のようなものが飛び出ている。
彼の背後に見えているものは、体の半分くらいの大きさがありそうな、柔らかそうな毛皮の尻尾。


「な、何、なになに? あなた、きつねさん?」
「んーとね、狐エルフだよ。確かそんなふうに呼ばれてた。ほら、覚えてくれてるかな? 今日、籠罠に引っかかったところを助けてくれてありがとう」


今日何かあったっけと思い出して、そうだ、すぐ思い出した。
お使いを頼まれたとき、お店の横に、罠の中に小さい獣が捕まってるのを見たんだ。
金褐色の毛皮をしていて、すごく可愛かったんだよなぁ。
ガリガリと鉄籠をかじっているのが可哀相で、思わず、蓋を開けて逃がしちゃったんだ。
あとで怒られたなぁあれ。
あれは狐エルフと言って、いたずらでポトゥンを食い荒らすから、罠を置いてるんだって。


「いやー、あれは本当に何も考えずに逃がしちゃったんだけど、まさか狐さん、人間に変身するなんて思わなかったなぁ。わざわざお礼言いにきてくれたの?」
「あ、ううん、それもあるんだけど・・・・ちょっと助けてもらいたくて。お姉ちゃん、サーナお姉ちゃんとお友達でしょう? お姉ちゃんなら、話聞いてくれるんじゃないかなぁと思って。
 お願い、ちょっと大人がみんなピリピリしてて怖くて、困ってるんだ。僕にちょっとついてきてよ」








言われるままにそっと抜け出してきて連れてこられたのは、ポトゥン畑がある方向だった、
夜露に濡れた草を踏みながら、暗くてあまり周囲が見えない中で慎重に歩く。幸い、ちらほらと星が出てきて、方向は見失わずにすんだ。
小さな狐の男の子が前を歩いて、あたしはそれについていく。
よくわからなくて不安だったけど、なぜかサーナの名前を出されたからには、とても気になるし来ないわけにはいかないでしょう。

突然、足首に何か刺さるような痛みを感じた。ブーツを履いていたので直接の痛みではないけども、驚いて前につんのめりそうになった。
木の枝にでも引っかかったのかと思ったら、よく見ると、小さな狐みたいな動物・・・・・・いや違う、狐エルフが、あたしの足に噛みついていた。

「あいた、いたたたっ、お願いやめて噛みつかないで、痛いってば、ちょっ」

慌てて引っ張り取ろうとすると、今度は伸ばした手を噛まれた。それほど尖った牙とかは無いんだけど、思いっきり噛みつかれるとそれなりに痛いってば!
あたふたと戸惑っていると、茂みがガサガサと音を立てて、同じような狐エルフが何匹か現れて、あたしの周りに集まる。
嫌な予感がしてきた。これってもしかして取り囲まれてる? そういえば、さっきあたしを呼び出しにきた男の子、どこに行っちゃったんだろう。姿が見えないよ。
小さな点々とし光る、朱色の瞳。小さな可愛らしい獣の眼が、じっとあたしの方を睨んでいる。可愛いけども・・・ちょっと怖いよこれ、どうしよう。
狐エルフがひそひそと話している声が聞こえてくる。

「見つかったぞ、どうしよう」
「会議が、街の人間にばれたかな・・・・・」
「いや、この子は確か、街の外から来た客人だよ」
「でも、偶然俺達がこんな大事な話をしているところに来るはずがないだろう、こんな真夜中なのに。やっぱり、街の人間に告げ口にいったのかも・・・・・」

「ちょ、ちょっと待って、よくわかんない。あたしね、狐エルフの男の子に呼び出されて来たの。会議がばれたとか告げ口とか言われてもあたし、何もわかんないよ。
 でも何か困ってるから、あたしに話を聞いてほしいって言われて」

狐エルフ達の低い声色に不穏なものを感じて、あたしは必死に両手を横に振っていた。

「そうだ、その子から、サーナが困ってるって聞いて来たの。あたしの友達なの。あなたたちと何か関係があるのかな?」

ちょうどそのとき、誰かがこちらに歩いてくる様子を感じた。
息せき切って走って現れたのは、サーナだった。

「チア・・・・・・!」

あたしのことを見た途端に、サーナは泣き出しそうな顔になって、深いため息のような呼吸を一つ吐いた。
どうしたのサーナ、こんな夜中にこんな場所に・・・・・・

そんな風にあたしが彼女に尋ねるよりも先に。
飛びつくように駆け寄ってきたサーナが、ぎゅっとあたしに向かって抱きついてきた。

「ごめんね、チアごめんね、話せなくてごめんね、お願い、街の人達にはまだ何も言わないでほしいの。
 本当は言わなきゃいけないってわかってたんだけど、私、私、一人じゃ何もできなくて・・・・! ごめんね、チア、本当にごめんね」

子供のように泣きじゃくりながら、必死でそんな謝罪の言葉をひたすら繰り返している。ぽろぽろととめどなく、透明な涙の粒が、白い頬を伝っている。

「待って、待ってサーナ、落ち着いて! どうしてサーナが泣いてるのかわからないよ。あたし、何もサーナに謝られるようなことしてないよ! お願い泣かないで」









「そっかぁ、サーナって実は、狐エルフのハーフだったんだね」
「ごめんなさい・・・・・・隠してたわけじゃないんだけど、結局隠してたことになるかもしれない」


あまりにも辛そうにサーナが泣くものだから、しばらくずっとサーナの傍について、背中を撫でていた。
今までずっと泣きたかった分、まとめて流してしまうような、そんな泣き方だった。
ようやく落ち着いたら、あたしが何も聞かなくても、サーナのほうから少しずつ事情を話して聞かせてくれた。


「5つになるまで・・・・狐エルフの中で暮らしていたんだけど、私は人の街の中で暮らしたほうがいいだろうって、それでロカおばさんの元に引き取られたの。
 ロカさん以外には、私がハーフだって誰も知らないの」
「そっかぁ・・・・・・」


そんな大事な秘密を知ってしまってよかったのかな・・・・・。何だか申し訳ない気分になる。
あれ? 以前にも、こんなことがあったっけ?
かすかに記憶の片隅によぎるものがあるけれども、まだはっきりと見えてこない。


「狐エルフは、ポトゥンを食べるの。それは知ってる?」
「うん。小さい狐エルフが罠にかかってて、いたずらで食い荒らすからって」
「あれはね、ミルクの代わりなの。人はポトゥンを食べないから織物や糸にしてるんだけど、狐エルフが食べると口の中で飴みたいに溶けるのよ。子供の狐エルフしか食べないのだけど」
「へぇぇ、そうなんだ」
「でも・・・・・・ここの街では、ポトゥンは大事なものでしょう」
「うん、そうだよね・・・・・」
「時々、子供の狐エルフが捕まえられちゃうの・・・・・」


ああ、そうか・・・・・・。
それでサーナ、あんなに哀しそうな顔してたんだ。
話を聞きながら、あたしもついつい唸ってしまった。


「私、どっちの味方もできなくて・・・・・・」


きっと、自分がハーフだってのは言えなかったんだろうね。
いたずらでポトゥンを食い荒らすということで、罠をかけてるくらいだから、狐エルフはあんましよく思われてはいないのだろう。
でも子供の狐エルフが罠にかかってるのはきっと見ていて辛かったはずだ。


「親のいない私を育ててくれた恩があるし、ロカさんのお店で働くのは本当に好きなのよ。ロカさんとても良い人だから。
 でも私、本当にこれでいいのかなって・・・・・・」
「うん、うん」
「でも狐エルフもね、本当に困ってるんだってのは知ってるのよ、私。
 だからって、街に火をつけてしまえば、ここに住む人達はいなくなるんじゃないかって、狐エルフ達がそんな会議をしてるのが、私怖くて怖くて・・・・
 何とかしてそれだけはやめさせなきゃって、ずっと話し合いしてたんだけど」
「えええ」


今、さらりと怖い話を聞いてしまったわ・・・・。そんな会議のことだったのか。今聞こえてた狐エルフ達の話って。


「ううーん・・・・。じゃあさ、狐エルフ達も、畑を作っちゃえばいいのにね。そうしたら、街の人達が作ってるポトゥンを食い荒らさなくてすむんじゃないかなぁと思ったんだけど」
「え」


サーナが弾かれたように顔を上げた。涙で潤んだライトブルーの瞳が、きょとんと見開かれてあたしを見つめる。
泣き腫らしてわずかに赤く腫れた目元が見ていて痛々しかった。


「あ、いや、ごめん、適当に思いつきで言っただけなんだけどね。
 ほら、サーナが困ってるってことで、あたしを呼びに来てくれた男の子がいたんだけど、あの子、人間に変身できるんじゃない?」
「ええとね・・・狐エルフはね、人の髪の毛を口にくわえると、その人間に変身できるんだけど」
「すごいじゃないそれ。ねぇ、もしできないことじゃなかったら、ちゃんと街の人達と話し合って、ポトゥンを作る畑を分け合ったらいいんじゃないかなと思うの」


あたしの言葉を聞いて、サーナがうつむいて考え込む。


「でも・・・・・・狐エルフはね、もともとポトゥンは自分達のものだと思ってるし」
「うん、そうだよね。本来なら、自然の中にあるものは、分け合わなきゃいけないものだと思うよ。山とか森とかで暮らしてる動物のルールだと、きっとそういう考え方なんだと思う。
 でもリリープ・タウンは、布織物を特産品にして街がとても豊かになったって、アレフが言ってたよ」

アレフは町長の息子だから、そういう話ばっかり得意げに話しているところを見かけた。そんな話を聞くのは楽しかったんだけどね。
きっとあれは周りが見えてないタイプだろうなぁぁ。


「街の人達も今の暮らしがあるから、それは壊したくないでしょう。
 だったらさ、街の人達が育ててるポトゥンがとても大切な物だっていうのと同じように、狐エルフ達にとっても、ポトゥンがとても大切な物だって言うのを、きちんと話して理解してもらおうよ。
 間に挟まれてるサーナが一人で抱え込んで悩むのもきっと苦しいと思うし、うっかり食べに来た子供の狐エルフが罠にかかっちゃうのも、悲しいだろうし。その方がずっといいと思うんだよ」


あたしはそう言って、サーナの両手を握り締めた。サーナが目をまん丸にするけど気にしない。にっこりと微笑んで、続けてサーナに話しかける。


「サーナが仕事してるところを見てね、本当に魔法の手みたいだと思ったよ。
 もし、狐エルフがポトゥンが無いと困るのなら、ちゃんと街の人達に話して、畑を分けてもらおうよ。きっとできるはずだよ。
 狐エルフが人の姿に変身できるのなら、自分達で畑を手入れして、人間と同じようにポトゥンを育てることだってできると思う。
 街の人は綺麗な布織物を作るために育てて、狐エルフは子供の食べ物にするために栽培すればいいんだよ。何も違いなんてない」


ふと、頭上の夜空を見上げると、綺麗な星が巡っていた。
夜も更けたから、窓から見ていた星の位置が、頭の真上くらいまで来ている。
澄み渡った綺麗な空気。綺麗な夜露。
人にとっても、狐エルフ達にとっても、この場所は暮らしていくために大切な土地なんだろうね。

だから、サーナ、一人で悩まないでね。
あたしがきっと味方になるから。


「ねぇ、チア、覚えてくれてる・・・・・?」
「うん?」
「子供の頃、最初に、私とチアが会ったとき。あの時・・・・、私とあなた、友達になろうねって約束したの。私は覚えてるよ。
 あの時はチアの名前も聞けなかったんだけど、本当に約束どおり、また会いに来てくれて、とても嬉しかったの・・・・・・」


最初にこの街で会ったとき。
あたしは一生懸命、記憶の糸を手繰ろうとする。


4つか5つくらいの、ほんの小さなときだった。
買い物に来たお母さんについてきて、初めてやって来た知らない街の景色がとても珍しくて楽しかった。
そしてうっかり迷子になっていたあたしは、たまたま、同い年くらいの小さな女の子と会った。
一緒にいると何だか嬉しくて、楽しくて・・・・・・。
あの後、どうなったんだっけ。


『また人間の街に行ったんだねサーナ・・・・。やっぱりお前は人と一緒に暮らすほうがいいのかもしれないね』


うっすらと思い起こされる声がする。
迷子だったあたしは、サーナにくっついてまわって、半日一緒に遊びまわって。
そうだ。誰かがサーナのこと迎えに来たんだ。どんな人だったのか思い出せない。サーナのお父さんかお母さんだったのかな。
声だけを、ほんの少しだけ覚えてる。
優しい声で叱られながら、サーナがずっと泣きじゃくっていた。

『迷子のお嬢さん、ごめんね。俺達のことはどうか大人には何も話さずに、今日のことは忘れておくれ。君のことはちゃんと、君のお母さんのところに送り届けるから。
 サーナと一緒に遊んでくれてありがとう』
『いやだ、まだ帰らないで、わたし、このこといっしょにあそびたいよ、だって、お友達だもん、もっといっしょにいたい。さみしいよ』

小さな手と小さな手をぎゅっと握りしめて。
子供の頃の思い出って、なんであんなに楽しかったんだろうね。
ずっと泣いてるから、あたしまで泣きたくなってしまう。

『ごめんね、あたし、お母さんといっしょにきたから、帰らなきゃいけないんだ。もっとあそびたかったよ』

あたしは自分も泣きたくなるのを我慢して、涙をぽろぽろ流している女の子と約束した。
水色の空が、ほんのりと、温かい朱色に傾いていた。
金色の夕陽が空にかかっている。
並んだ影が、長く長く伸びていた。


『あたしがもう少し大きくなって、一人でも遠い街に来れるようになったら、きっとまた会いにくるね。約束だよ。お友達だもん』
『忘れないでね』



「きっと、忘れてるだろうと思ってたの。お兄様が、狐エルフのことをあなたが大人に話してしまわないように、思い出せなくなるおまじないをかけたはずだったから・・・・・・。
 嬉しかったよ、ありがとう、チア、覚えててくれて。私ずっと、お友達がほしかったの・・・・・・・」











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