燭台に火が灯っている。
その朧に揺れる灯りの元で、一針、一針、布地を縫い合わせていく。


あと、もう少しだ。
この人形さえ出来上がれば、夢が叶うんだ。



「よしな。その人形を仕上げるのは」



誰もいないはずの背後から声をかけられて、針仕事をしていた女がビクンと肩を跳ね上げた。針先の狂った手元から、わずかに布が裂けるような、歯軋りのような音がした。
夜叉のような怖い顔をして振り返ったのは、まだ若い娘だ。


「だ、誰・・・・・」

「あんたもあの人形屋から、そのまじない人形を買ったんだね」



女が後ろに立つあたしの姿に気づいた刹那、あたしはすかさず、女の手の中にある人形の出来損ないを掠め取っていた。
まだ髪と着物の布目の整わない、仕上がりかけの人形は、あたしの手にある苦無の先で吊るされて、揺れている。


「か、返して、それは」

「この人形で誰を殺すつもりだい、お嬢ちゃん」

「ええ?」


不意の問いかけに、女は引き攣った叫びを上げる。


「殺すなんて、違う、それは、私の愛しい人と」

「騙されてんだよあんた、あの似非人形師に」











近頃、巷に流行るもの。
大衆娯楽、芝居小屋、操り人形、そして心中。
時は太平の続く宝永の御世。


「世の中平和だと、くだらないものが流行るわよねぇ」
「あら、平和で悪いことなんかありませんよ、菜の葉さん。あなただってこうして、昼間は芝居小屋の客寄せ口上やってるでしょう」


ぽかぽかと今日もえらく天気の良い日である。俳人ならば何かいい感じの一句でも詠んでるだろうが、あたしには生憎そんな器量は無い。
そんなあたしの隣では、仕立て屋の琴音さんが、せっせと器用に着物を縫って針を進めている。艶やかな布地は見ていて花のようで目に鮮やかだ。
生憎あたしにはそんな器用な仕事はできない。と、彼女の仕事を見ながらつくづく思う。

できるのは、まぁこんな感じで、幕府の命でこっそり潜伏して、夜中には隠密御庭番として、人知れず怪しい輩を叩くくらいである。
あたし自身が怪しい輩に見えなくもないとは思うけど、まぁそれをごまかすためにこうして昼は昼で別の仕事してるわけだし。
合間で息抜きできるのは、琴音さんのとこに潜り込んで、だらだらのんびりするときぐらいだわ。
あー。ほうじ茶うまー。


「で、昨日も心中があったって?」
「隅田川で身投げだってさ。定番だね。読売屋が嬉しそうにその話の刷り物配り歩いてたよ。こういうネタの読物はよく売れるんだってさ」



そう。平和すぎるのも困るってもんだ。
世間で、何故か若い男女の心中が急激に増え始めている。
身分の差だの貧富の差だの、親の決めた相手だの、いろいろ小さな理由はきりなくあるんだろうけど。
お涙頂戴な話であることには変わりないし、あれこれ批判したがりやの口八丁が、悪いのは幕府の知性が乱れてるからだなどと言い出すと更にややこしいことになる。


そして、心中ものの発端を探して、たどりついたのが、この人形芝居。


「しかし、本当のことなんですかねぇ・・・、500年も昔の陰陽師が残した呪いの人形を使って、何者かが意図的に巷に心中を流行らせてるなんて」
「それを確信したから、わざわざあたしみたいな隠密が動いてるの。読本とか洒落本とか黄表紙本とか、いろいろあるけど」
「違いますわ菜の葉さん。浄瑠璃ものは文楽ですわ。戯作文学ではありませんよ」
「あーもーそういう専門的なこと言われるとあたし本当によくわからないから、置いといてお願い」



とにかく、心中が流行ってるのは、芝居とか読物とか、そういうものが人気を集めているからじゃない。
これは、人形を使った呪いだというのだ。


都に出没する人形屋がいる。
それは、心中ものや悲恋ものの芝居や人形劇を見た若者に声をかける。
この人形を傍に置けば、愛しい人と結ばれる。そんな口上で、人形の素型を渡す。
あとはほとんど出来上がっている人形に、髪型を想い人に似せて結い、似せた着物を着せるだけだ。
そいつが曲者だ。



「いくつか怪しい人形を見つけてるんだよ。こいつは、人間の魂を吸い取る呪いの人形だ」
「あら、どうしてそういうことが菜の葉さんにわかりますの?」
「わかるんだよあたしには。蛇の道は蛇だからね」
「でも私にはわかりませんわ。菜の葉さん、そんなことをする人は、一体何の得があって、そんな怖い人形を配り歩いてるの?」
「それはもう、幕府の古倉にある文献を探し出して調べておいた」



あたしは、昨晩取り上げてきた人形を取り出す。
完成させる前に、苦無で突き刺して壊しておいた。中にはやはり、文献で調べたとおりの小さな呪符が仕込まれていた。


「これらのまじない人形には、四体の大元となる人形がある。これらが、子人形の呪いで吸い取った魂の力を集めている。四体の人形が力を蓄えて完成したとき、何かどえらいことになるらしいよ」
「まぁまぁ・・・・・・怖いわねぇ。そういえば、子供の頃、雛人形で遊んだりした想い出があるわ」


あたしの話を、真面目に聞いているのかいないのか、琴音さんはおっとりとした返事をして、順調に針仕事を進めている。
あー。春だなぁ。のんびりしたくもなるもんだ。


「そんなわけで琴音さん、・・・・・・大体人形の着物が作れるくらいの、布を買いに来た者とか、作り方を聞きに来た者とか近頃いなかったかい」


ぱちん。糸切り鋏が綺麗な音を立てて、琴音さんが手を止めた。
そして顔をあげて、あたしを見て目を細めて微笑む。


「いるわ。私も、あなたのお話の、お役に立てるかしら?」





















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