たとえるならその声は、星屑が零れるような音色だった。

カツン カツン カツン

石レンガの壁の間に、自分の足音ばかりが反響する。
昼も夜も無く暗い地下通路の中。歩いていると、まるで、何か巨大な生き物の体内に呑みこまれているような心地になる。
壁にはぽつりぽつりと、小さなオレンジの灯がかけられていて、地下通路の闇を一層濃く描いていた。

一体、何に呼ばれてここを歩いているのだろう。
地下通路の濃く暗闇に塗りつぶされた先の方を眺めて、ため息にも似た深呼吸を一つ吐く。
目を閉じて立ち止まり、耳を済ませた。
鼓動にも似た音。それがいくつか重なり合って、不協和音を奏でる。
これは足音だ。


――― 一人で勝てると思うなよ
――― ちくしょう、卑怯だぞ
――― 女一人にうかうかやられたとあっちゃ、盗賊ギルドの面目が立たねぇんだよ


細い糸を手繰るような感覚で、ようやく聴こえてきたいくつかの会話のやりとり。
戯曲の一端を幕の隙間から覗くように、言葉のつぶてを拾う。
この声は、はたして受け取る意味があるものだろうか。しかし確かに聴こえてきたことは間違いない。
その声が助けを必要としているのならば。

右手の人差し指を、石レンガの壁の方へ向ける。
揺らめく灯が、光と影の輪郭を描き出す。
これはほんの戯れ。
指先の影が、濃い闇色を孕んで、石壁を踊る獣の形に変わる。
それは瞬く間に地下通路の中を浸している漆黒の中を泳いで、その先に佇む影へとたどり着く。

見つけたのは、身形の粗末な男が二人。手にはそれぞれ大小のナイフを所持している。
その小悪党と向き合って剣を構えているのが、雪のように真白いマントに身を包んだ、小さな少女だった。
小柄な身形には不釣合いな、大きな銀の刃を持った長剣を構えている。

『魔法』で呼び出した影絵の狼は、盗賊風の男達の方へ噛み付いた。
耳障りな悲鳴が一つ、また一つ続く。
実体を持たないはずの影が敵に傷を負わせたのを見て、雪白外套の少女が驚愕してこちらを振り返る。
まだ姿を見せていないのに。そこに、何者かがいるという気配を感じ取れるらしい。
肩に傷を負っているのか、雪白の衣装に朱が滲んでいる様子が見える。が、それにも関わらず剣を構える姿勢は隙が無く、睨みつける瞳には翠色の炎が燃えている。

「どうやら、手を出したのは余計なことだったかな」
「誰だ、お前・・・・・・」

人形を思わせるほどの整った顔が、不信感をむき出しにして誰何するのが滑稽に思えた。思わず唇に笑みを零すと、美貌の少女がますます不審げに睨んでくる。

「俺は『魔法使い』だ。君の声が聴こえてきたんで、ちょっと立ち寄ってしまったよ」
「魔法使い? ・・・・・なんか、全然そんなふうには見えないけどな、お前」
「それよりも、ほら、そいつらをどうする? 戦うか、逃げようか?」

影の狼が、貧相な男二人に牙を向いて戯れている。

「逃げるのはすんごい癪なんだけど・・・・・。ああ悔しいな、普通ならこんな雑魚なんか、おれ一人でどうにでもなるのに」

呻くようにそう漏らして、歯噛みしている。
苦しげな息を吐いて、手にしている剣を構えなおしていた。

「そうか、じゃあ、適当にこんな感じでいいか」

人差し指をすっと前に伸ばして、何も無い暗闇に軌道を描く。
影から湧き上がる狼が、更に姿を増やす。
所詮は幻だから、たいしたことはできない。しかし、小悪党どもを足止めして震え上がらせておく程度には充分だろう。
事情はわからないが、盗賊ギルドが地下に潜んで集まっているというのもよく聞く話で、なぜ彼女がそういう輩と敵対していたのかは謎だが、とりあえずこの場を離れることが先決のようだ。
地下通路を駆けながら、雪白外套の少女に名前を訪ねると、ペシェ、と短く名前だけを伝える返事をした。

「早く、あいつらんとこ帰らないと。おれが戻らないときっと心配して・・・・・」

呟きながら、がくん、と彼女の足がもつれた。よろけて石レンガの壁に手を突く。
最初に顔色を見たときから薄々感じていたが、やはり、戦えなくなったのはそういう理由らしい。

「いってぇ・・・・・・」

右肩の傷を押さえてペシェはその場にうずくまった。唇から漏れたか細い声は、震えていた。
色を失いつつある頬には、冷たい汗が伝っている。ぼんやりと目が、焦点が合わずさまよっている。

「ナイフの刃に毒が塗ってあったんだろう」
「わかってるってそのくらい。ああ、盗賊から盗られた荷を取り返してくれって、宿屋の親父に依頼されてさ。このくらい、なんてことないと思ったのに」
「仮にも剣士なら、己の腕を過信するべきではないな。多少の怪我くらい平気だと思ったなら、反省したほうがいい」

致死性の毒にしてもそうでないにしても、早めに処置が必要なことは明らかだった。傷そのものはたいしたものではなく、止血すれば処置できる程度だ。
問題はナイフに塗られてた毒のほうだ。盗賊がよく使っているのは恐らく、神経毒の類で、獲物の動きを鈍らせて意識を失わせる効果のもの。放っておけば命を落とす場合もあるはず。

「こんなつまんないことで、くたばってなんかいられないよ。早く、あいつらのいる宿に帰らないと、絶対、帰らないといけないんだよ・・・・・・」

ペシェが、喘ぐような息遣いで呻いて、腕にしがみついてくる。
おそらく立ち上がろうとして掴んできたのだろうけど、それ以上動く力が残っていないのは明らかだ。
翡翠色の瞳が、揺れている。
早く帰らないと。
苦しげに吐く消え入りそうな声は、その言葉ばかりを繰り返す。まるで大切な祈りのように。

「わかった。ペシェ、君のその声、俺が受け取ったよ」

もしも助けを求めているのなら。
差し出されたその手をとろう。

鼓動の中の音が、出会って共鳴した瞬間に、物語は動き始める。

「いい薬屋を知っている。連れて行くよ」













-----------------------------------------------------




inserted by FC2 system