『舌で味わう魔法の初歩』
「どうしてさっきからひたすら絵を描いているの」
「だって僕は絵描きですから」
魔法使いになる修行をすると言って、館にこもってから、もうどのくらいの日数が過ぎたことだろう。
何回かの夜が過ぎて、何回かの昼が過ぎて。
月の形は姿を変えて。窓から見える太陽の昇る位置も少し変わった気がする。
私は未だに、魔法と呼べるものに出会っていない。
「ねぇ私おなかがすいたわ」
「何も食べなくても死にませんよ。水差しがあったでしょう」
「お水だけじゃおなかいっぱいにならないわよ」
よく見ると、私の師匠である彼は、紙の上にひたすら、何かの絵を描こうとしてるみたいだった。
薄汚れた平たくて広いテーブルの上で、木炭の欠片で線を描きつける。削った色粉を少量の水に溶かして、筆で塗りつける。
正直、何を描こうとしているのかよくわからない。
「だって僕は絵描きですから」
首を傾げて眺めていると、私に向かって、へらり、と笑いかけていた。
「ここに紙があるでしょう。きちんと想像してみてください。ここに何があったら、楽しい気持ちになりますか」
「・・・・・・?」
私は何も想像できない。
「魔法の修行を始めましょう」
師匠は、自分の握っていた絵筆を私の手に握らせた。汚れた筆の穂先から、色粉の溶けた水が滴る。
「ところでおなかがすきました?」
私は黙って首を上下に振る。
もう返事する気力もないくらい。
きっと私は魔法使いと名乗る詐欺師に騙されたのだと思っていたところだ。
「じゃあ自分の食べたいものを、この紙の上に描いてみてください。何がいいですか。パンがいいですか。熱い湯気が立ち上るスープがいいですか。鳥の丸焼きでもいいし、大きな羊肉のローストでもいいし」
そう語りながら、指先で紙の上をとんとんと叩く。羅列された食べ物の名前が耳に入った途端、急におなかがぐぅと鳴った。あまりにも大きな音で、思わずかっと顔が火照った。
「師匠・・・私は絵なんか描いたことありません」
「本当にほしいものがあれば、イメージで描けますよ。まずはやってみてくださいよ」
「そんなこと言われても、絵なんか描いたことないんです」
絵筆を握りながら、本気で私はうろたえていた。パンを描こうとしてもオムレツを描こうとしても、きっと不恰好な円を描くのが精一杯な気がする。
「じゃあ何でもいいから描いてくださいよ。そうだ。お花でもいいですよ」
師匠がにこにこしながらそういうので、私はたどたどしく、お花の形を描いてみた。まるで子供のお絵かきでしかない。情けない。
だけど。
「ほら、見て」
さっきまで何もなかったテーブルに、花が咲いていた。
甘い飴細工だった。
初めて魔法が使えた。
摘んで口に入れる。舌に染みるほど甘かった。
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2013/3/31
30分 1137字
ひさびさ。