『女神の涙と、笑顔の木漏れ日』



お題:今年の液体 制限時間:1時間 文字数:2470字


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女神像が泣く日のことを、降露祭と呼んでいる。
一年に一度、日が昇ってから暮れるまで、涙を流し続ける。
この涙は、どんな妖魔もどんな災厄も撥ね退ける力があるという。
「その涙の雫をもらってくればいいんだな?」
隣町へ行ってくるように、おつかいを頼まれた。
気が進まなかったが俺は承知した。足の速さには自信があるので、それを高く評価されるのは悪い気分じゃない。
隣町へ行くには、どんなに急いで歩いても丸五日はかかってしまう。途中にある丘を越えるときに、急な崖になっている場所があり、そこを迂回するのが一苦労かかるからだ。
だけど俺の脚なら、三日あれば余裕で着ける。急げば二日で着くかもしれない。
「気をつけて行ってきてくれよ。女神の降露のご利益は、大変ありがたいものなのだから」
「はいはいはい」
厄除けだか聖なる露だかなんだかしらないけど、たかがおまじない程度の儀式に、みんな大げさなんじゃないかなと思う。ま。仕方ないか。しきたりとか慣わしとかって、だいたいそういうもんなんだろう。
乗り気じゃない顔をしてダラダラ用意をしているところを見られたら、年寄り連中にどやされちまう。急いでさっさと出発しよう。
「途中、雨が降ると思うから気をつけてね」
歩き始めた俺の背中に向かって、誰かがそう言っていた。
雨が降るらしい。
それが、そんなに重要なことだなんて思わなかったさ。







朝焼けの柔らかい日差しが、とっくに高く昇りきって、そろそろ影の向きが変わろうかとしていたころ。
ぽつり、ぽつり。
余裕のペースで歩いてきた俺は、木陰でのんびりと昼飯をかじっていたところだった。
そこへ、生温かい雫が一粒、二粒、空から落ちてきた。
雨かな。
いや、待てよ。
空はまだこんなに晴れているのに?
「なんだよこれ……」
頬に、手に、さらさらと雨のように落ちてきた雫を眺めながら、俺は首を傾げていた。
桃色の雨の雫なんて、今まで見たことがない。
それに、なんだかふわりと甘い香りがする。まるで、花の蜜みたいだ。
奇妙な雨に、言い知れない不安感を感じる。
もしかしたら、丘の途中の森の中には、通りかかった人を引き込む魔物がいて、これは森に誘い込むための罠なのかもしれない。

そして歩いていくと。
道の途中で、女の子が泣いていた。
大変だ。何事だろうか。
「どうしたの」
話しかけると、小さな女の子は僕にすがりついてきた。
桃色の涙を、ぼろぼろ流して、頬を濡らしていた。
「今年の雫は、効き目を持たせられないかもしれないんです。あたしは、あたしはもう、女神失格です……」
大変だ。これは一体、何事だって言うんだ。





ようやく泣き止んだ彼女は、開口一番、俺に向かってきっぱりとした口調で言った。
「あたしを連れ去って逃げてください」
だからさー……。
女神でもなんでもかまわないけど。
一体何なんだ、その安っぽい即興芝居みたいなセリフは。
「そんなこと言ったって、俺さ、そもそも隣村の人間だし? 降露祭? だっけ?
 あと二日後くらいじゃん?
 神殿の女神サマの涙がなかったら、みんな、困るんじゃない?」
「いいえ、あたしはもう、女神失格なんです。涙を流すことはできません。あたしに、あたしにもう、存在価値なんてないんです」
そう言って、また同じようにぼろぼろ涙をこぼして、泣きじゃくり始める。
泣いてるじゃん、思いっきり。この涙じゃダメなのか???
「あたしは女神だから、みんなの幸せを祈って、そしてその心を尽くして、涙を流さなくてはならないんです。今までも、これからもずっと、そうしていくつもりでした。
 だけどあたし、気付いてしまったんです」
「気付いてしまったって、何を?」
「あたし、まだ『恋』というものをしたことがないんです」
ぼふっ。
思わず、休憩がてら飲もうとしていた葡萄酒を、思いっきり吹き出してしまった。
女神が。それも、見た目は小さな女の子にしか見えないこの少女が。
恋をしたことないから、してみたい、なんて言う。
そしてぼろぼろ泣きじゃくっている。
これは一体、俺にどうしろっていうんだ。
「誰かたった一人の人に、心をときめかせてみたいなぁ。そう思って、そっと神殿を抜け出して、人間の姿になって、出歩くようになりました。あ、ちなみに、この人間の姿は仮の姿で、神殿にある女神像は、今はただの抜け殻の、石のかたまりです」
「ああ、そう……。普段は女神サマの像に宿ってるけど、今は抜け出してきてるってわけね」
「でも、いまだに恋と言うものはまだわからないまま。そうして、今年も年に一度の、降露祭のときがやってくる時期。仕方なくあきらめて、神殿に戻ろうとしていたところでした。
でも、でもあたしは。
もう昔みたいに、聖水の涙を流すことができなくなってしまいました」
ああ、女の子ってわがままな生きものなんだろうなぁ。
「それはなーー……、もしかしたら『さみしい』って気持ちを知ってしまったんじゃないかなぁ、女神様は」
ええい。こうなったらいちかばちか。
俺のアニキが昔言っていた。
泣いている女の子は、こうやって口説けと。
「恋を知ってしまった女の子は、寂しいから泣くんだよ。ほしいものが手に入らないから。
 だから気味は、新しい恋を手に入れる必要がある」
「新しい恋を、手に入れる?」
泣きはらした目で、女神サマはきょとんと俺を見つめる。
その目に思わずどきどきした。なんて可愛い大きな瞳なんだろう。
こほんと、ごまかすように咳払いをする。
女神サマの手に、一粒のイチゴを握らせた。

「これが、女神サマの恋だよ。もうこれは君のもの。だから泣かないで」

途端に。
溢れるような笑顔になった。

「ありがとう、もう泣きません。これからは、笑顔で人を幸せにしてみせます」

胸がドキドキしてしまう。どうしたんだ俺は。

ああ俺は。
この涙を受け止めるためにここにやってきたんだ。


雨が上がった空は、綺麗な日差しが溢れて輝いていた。







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2014/11/10
即興小説ひさびさー。


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