宿に泊まったとき、屋根に出ることができる窓があるなら、あたしは必ずといっていいくらい夜は屋根の上に出て夜空を眺める。
だって夜風が気持ちいいんだもん。
空気が澄み渡った星空も素敵だし、明るい月夜はもっと最高。

今夜がとても月が明るいのに気づいていて、あたしは宿屋の二階の窓に向かっていった。
夜風が吹き込んでくる。窓は、半分くらい開かれていた。先客がいるみたいだった。
誰だろうと想像をめぐらせながら、ドキドキしつつ窓の外をそっと覗きこむ。
屋根に座っていた誰かが、あたしの気配に気づいてこちらを振り返る。

「ペシェ?」

穏やかな笑顔のお兄さんが、こちらを見て声をかける。白くて淡い月明りが、優しそうな表情を照らしていた。
違う名前を呼ばれたことに、なんだか無性に申し訳ない心地になりながら、そっと窓から顔を出した。

「えへへ、ごめんなさいお邪魔して。来ちゃった」
「ああ、チアちゃんか。まだ寝てなかったの」
「うーん、だって月がとても綺麗で、なんだか寝るのがもったいなくって」

窓から屋根に降りて、夜風の感触を楽しむ。

「そこ、滑りやすいから気をつけてね」
「あわわ」
「他のみんなはもう寝てたかな?」
「えーとね、まだ起きてるんじゃないかなぁ。あ、そうだエリュウお兄さん見て見て、これ、素敵なものもらったの」
「ん?」
「じゃーん!ちっちゃい芍薬さん!」

手に持ってた白くふわふわしたぬいぐるみを見せると、エリュウさんは複雑そうな笑顔を作って首を傾げていた。

「えーと? これって」
「芍薬さんがねぇ、毛わけてくれたの。抱きしめるとめっちゃあったかい。ぎゅー」
「・・・・・・・というか、どうしてまた」
「あたしが芍薬さんに抱きつくの大好きだって言ったら、そんなに常にくっついてこられちゃ困りますわ、って言われて。
 で、芍薬さんが自分の毛でこんなの作ってくれたー。あ、この辺の顔の部分はね、ペコくんに手伝ってもらいながら、あたしが作ったの。よく似てるでしょ! 芍薬さんのミニチュア可愛いなー嬉しーー」

あたしが満面の笑顔でそう言ったら、エリュウさんが肩を震わせながら笑いを堪えてた。そんなに可笑しいかなぁ。
最初に見たときは、喋る大きな白熊さんなんて初めて見たから、とてもビックリしたのだけど。毛皮のもふもふの手触りが気持ちよくて、抱きつかせてもらうのが大好きになっちゃったんだよね。
あ、芍薬さんは、白熊じゃなくて本当はアルパカさんっていう動物らしいけど。

「ここにいるみんな、凄く仲良くて、いい人達ばっかりで素敵だなぁって思うの。皆で旅してると、きっととても楽しいでしょ」
「うん。チアちゃんがそう思ってくれるなら、きっとそうだろうね」

あたしが身を乗り出して話しかけると、エリュウさんはにこにことして頷いていた。
この笑顔がいつも優しそうで、本当に素敵だなぁと思うのだけど、たまにふと、心に引っかかるのは何でだろう。

「エリュウお兄さん、月を眺めるの好き?」
「うん、嫌いじゃないよ」
「そうだよねー、あたしも! なんだかドキドキして、じっとしていられない気持ちになるよね」

そして。あたしはちょっと前から気になっていたことをエリュウさんに尋ねてみた。

「あのね、実はずっと気になってたんだけど、エリュウお兄さんのつけてる・・・・・・、石のペンダント、凄く綺麗だなぁって思ってて」

夜空の月のほうへ視線を向けていたエリュウさんが、あたしの言葉でこちらを振り返った。その仕草で、首にかけている石がわずかに揺れる。
普段服の内側に隠してるのかな。でも、ペンダントを見たときすごく不思議な色をしている石で、一度見せてもらいたくてたまらなかった。
屋根に手をついて、身を乗り出してもう少し近くに座る。

「わぁ、やっぱり不思議な色。お月さまみたい。こんなの見たことないなぁ・・・・・・。お願い、よかったら少しだけ、見せ」
「駄目だ」

ぴしゃりと間髪入れず突き刺す返事が、あたしの言葉を遮った。

「これは、絶対に触っちゃいけない」

その短い言葉が、思いのほか冷たい声をしていたので、驚いて、思わず伸ばしかけた手を引っ込めた。
あたしが目を丸くしているのを見て、エリュウさんは、なんてね、と小さくささやいて、さっきまでと同じようにほんわかと笑った。
だけどその手はペンダントの石を、あたしから隠すようにして握りしめていた。
ふと、衣空お兄さんが、「エリュウは嘘つきだから気をつけろよ」と言っていたのを思い出した。こんなに優しそうなエリュウさんが嘘つきだなんて、全然そう思えなかったのだけど。

「チアちゃんはなんで旅してるって言ってたっけ」

突然、エリュウお兄さんが問いかけてきた。あたしは、ぺたんと屋根に座りなおして考える。

「えっと、いろんな場所に行ったり、いろんな物を見たり出会ったりしたいから」
「そうか。君はまだ、今までにあまり怖いものや悲しい事に出会ったことがないのかもしれないね。旅することは、楽しいことばかりじゃないし、旅しなくてはならない理由があるときもある。
 たとえば、ペコの肌の宝石や、ラディーチェの蕾を見たときに、君は綺麗だと言って見とれていたけれども、それぞれ事情や悲しい理由があるかもしれないなんて考えなかったんだろう」
「・・・・・・・・・・・・・・・ごめんなさい」

急に、エリュウさんが、今まで出会ったことのない、初めて会う知らない人のように思えてきた。どうしてしまったんだろう。

「でもあたし、本当に、最初に見て綺麗だなぁって思ったから。素敵だよ、って声に出して伝えたかったの。もし何も知らないで言ってしまったことが、いけないことだったなら本当にごめんなさい。
 そんな風に、何か理由や事情があるなら、あたしもよかったら知りたいなぁって思うよ。だって、その人と仲良くなりたいって思うなら、楽しいことも一緒に共有したいし、悲しいことも教えてほしいし」

途切れ途切れに話すあたしを見ながら、エリュウさんが、ため息のような小さな笑い声を零した。
「ごめんね、俺が言い過ぎたよ」って言って、ぽんとあたしの頭に手を置いた。その笑顔は、いつものエリュウさんだった。

「そろそろ宿の中に戻ろうか。夜風に当たりすぎると、体が冷えちゃうよ」

エリュウさんが、窓のほうを向いて立ち上がる。
あ、何だろう。何か言わなきゃいけないような気がする。何か伝えたいな。・・・・・・そうだ!

「あっ、そうだ、やっぱり違うや。あたしが旅してる理由!」

思わず叫んだ声は、思いのほか大きくて、ちょっと自分でもびっくりした。
いろんな人に出会ったりいろんな場所に行きたいのはもちろんなんだけど、どうしてそう思ったのか、そっちのほうが大事だったのをうっかり忘れていた。

「あたしね、憧れの人みたいになりたくて、それで旅してるんだ!」
「・・・・・・・憧れの人?」

話しながら、頬がわずかに熱くなっているのに気づく。
こういう話をしだすと、ますます自分の口が止められなくなってしまうというのはちょっと自覚してる。

「あのね、その人は、一人でいろんな場所やいろんな国を旅してるんだけどね。どんな事件が起こっても慌てないし、困ってる人を助けたり、魔獣をやっつけて人に感謝されたりしてるんだ。
 あ、あたしもそうなりたいって思ったこともあるけど、あたし何もできないからそこまではなれなくていいんだけどね。でも、旅してるうちにもしかしたら、あたしにも何かできるかなって思って。
 ・・・・・・誰かの力になったり、助けになることができたら素敵だなって思うの。
 あたしは何もできないんだけど、でも、出会った人のことはすっごく大切だよ。一緒に旅できなくても、絶対忘れないし、絶対また会いたいって思うし」

困ったな。言いたいことがまとまらなくなってきた。エリュウさんが首を傾げながら、にこにこして聞いてくれてるのがすごく恥ずかしい。

「ええと・・・・本当にごめんなさい、うまく言えないんだけど。あたしね、出会って仲良くなった人のこと、すごく大好きだよ。
 だから、もしどこかでエリュウさんや、ペシェさんや、スコくんやペコくんが何か悲しいことがあったら、あたしでできることだったら何でも力になるから。本当だよ。
 あたし、ドジだし、特技も何も無いけど、それでももし何かできることがあるなら、絶対、手伝いに行くからね。約束するよ」

エリュウさんが何か言いかけて、口がわずかに開く。
その時、窓のところに誰か人の気配がした。

「おーい、部屋にいないと思ったら。まだ起きてたのか。風邪引くぞ」

ペシェさんだった。
ちょうどこれから寝るところだったのかな。いつもの白いマントは身につけていない。

「うん。ちょっとね、チアちゃんとデートしてたんだよ♪」
「え゛ぇぇぇぇっぇぇぇ!!」

思わず変な声を上げて叫んだあたしに、エリュウさんとペシェさんがそれぞれ、ぎょっと肩を跳ね上がらせた。

「ごめんねそんなんじゃないの本当にそんなんじゃないんだよペシェさん! そうだよねエリュウお兄さん!」
「いやごめん、まさかそんな涙目になるとは思わなかったんだけど。ほんの冗談で」
「そりゃあなるよー! ペシェさんにそんな冗談言っちゃダメだよ! そうだよねペシェさん! てか本当にごめんね」
「なんでおれチアに謝られんの?! ねぇおれ何に同意求められてんの?! 恥ずかしいからやめて本当にやめて」

ペシェさんが慌てながら顔を真っ赤にしていた。あたしも多分顔真っ赤だと思う。


「だってだってだって、あたしが窓に来たとき、エリュウお兄さん、あたしのことペシェさんかと思ったりして」
「さーて、夜も遅いから寝ようか。子供はもう寝る時間だよチアちゃん」
「うえええええええええ、そうだよねエリュウお兄さん!」
「チア頼むから余計なこと何も言わなくていいから本当恥ずかしいってば。おれエリュウの冗談なら慣れてるから!」
「慣れてるの?! エリュウお兄さんとペシェさんはデートしたりとかしないの?!」
「だからそういうこと大声で言うんじゃねぇぇぇぇぇ!!」

「お前らうるさいぞーはよ寝ろよーー!!」

屋根の下から更に、衣空さんの声が聞こえてきた。
なんだか今日はもう、いろんな意味で眠れそうにない。







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