【 とりかへばや 3 】







子供の頃は、自分が周囲の大人より勝(まさ)っていることが、誇らしくてならなかった。
母から教えてもらった漢籍の素養で、男を出し抜くのは非常に楽しかった。


「あやめ! お前またその格好で人前に出たな!」
「近衛大将様がお見えでしたので、ご挨拶申し上げただけですよ父上。少しお話して、漢詩をほんの一節吟じたら、たいそう機嫌を良くされてお喜びの様子でしたよ?」
「・・・・・・ああそうだよ。
 大将殿から今先ほど、『権大納言様の西の殿の若君は、大変優秀でいらっしゃる』とお言葉をいただいてなぁ・・・・・」


父がその格好と呼ぶのは、萌黄の狩衣、海老染の指貴袴。決しておかしな格好ではない。
脱力して頭を抱える、その父の苦悩を知らないふりをして。
得意げな顔で、すました様子で座って笑ってみせる。


「こんなに褒められるのに、どうしてこれがいけないのです?」
「それは誰もがお前を『若君』と思って見ているからだ!! これでもしお前が、本当は女君だと知られたりしたら・・・・・・・」
「ならば男と思わせておけばいいでしょう」


漢字の知識も、詩作も、和歌も、笛も琴も、弓も馬も。
誰一人自分に敵うものはいない。男というのはなんて馬鹿なのだろう。
こんなに楽しいのに、誰にも会わず、毎日ひっそりと屋内に閉じこもって過ごすなんて、できるはずがない。
そんな調子で、ついに十四の歳まで育ってきてしまった。
自分が女だということなんかすっかり忘れてしまっていたし、東の対に兄がいることも忘れていた。東の対殿にいるのは、可愛らしい妹だ。
どうしてそれが、そんなにいけないことなのだろう。


「つい今さっき、藤にも会ってきたところだよ」
「ああ、左様でしたか。どうでしたか藤は」
「・・・・・・ああ、もう言葉も出ないよ」


肩を落としている父の姿が可笑しくて、思わずくっくっと笑った。


「美しいでしょう、藤は。恥ずかしがって私以外とは誰とも会わないとよく言いますが、さすがに父上とはお会いしましたか」
「ああ本当に、我が子ながらどうしたものか・・・・あの子もお前も」
「おや心外な。私のどこがいけないのです?」


話しながら、手慰みに持っていた横笛を、くるりと手の中で回して遊ぶ。
すまし顔でいる私を、父上が恨めしそうな目で睨んでいた。
今のこの自分が、人目にはどう見られているか知っている。


凛々しくて麗しい、美しい若君だ。
まだ幼いのに教養に優れて、将来が楽しみだ。
学問だけではなく、琴や笛も手馴れていて、非の打ち所が無い。


周囲の賞賛の声は、非常に楽しかった。
だからこそ、私達きょうだいを非常に恥ずかしいものとして悩んでいる父の言葉が、まれに非常に憎く思えた。
私が女らしく過ごすことなんか絶対にできないと思うのと同様に、東の殿に住む兄もまた、絶対に男にはなりたくないと言う。
それではそれでいいのではないか。


やがて、宮廷から、私達二人を早く成人させ、出仕させるべきだという話がたびたび来るようになる。
権大納言様の若様は、非常に優秀でいらっしゃる。
それどころか、類稀なほどに美しい姫君もお持ちでいらっしゃる。
そんなに評判の子供たちを、人前に出さずに隠しているのは如何なることか。
帝さえも、二人の子供たちの将来を楽しみにしていると聞く。


父はいよいよ悩んでいた。
「若君」と呼ばれているのは実は兄のことではなく、この私であり、「姫」と呼ばれているのは、私が妹のように感じている、気弱で心優しい兄のことなのだ。

私の心はすでに決まっていた。


「父上、私を男として、宮中に出仕させてください」


私は煩悶している父へと、自ら申し出た。


「今更私を、世間で期待されているような『姫』に変え、あの兄上を宮廷が望んでいるとおりに宮中に出仕させるなど、不可能でしょう。
 ならばもう、今のこのまま、世間に私が男と思われているとおりに押し通すしかないではありませんか」
「馬鹿なことを言うな!!
 子供の頃と、元服してから男として生きるのとでは、全く違うのだぞ!! 話はお前が思っているほど簡単ではない。
 お前は、宮中がいかなる場所かわかっておらぬから」
「いいえ、わかっておりますとも、父上。
 しかしながら、申し上げます。・・・・・・この私が、他の殿上人の男どもに劣っているだろうとは、どうしても思えません。
 私が本当は女であると、ただそれだけのことで、何か宮中で粗相をするかと、そのようにお思いですか?」


父はこのとき、何か言葉では言い表せない、空恐ろしさを私に感じたという。
この子は本当に女だったろうかと思ったそうだ。ましてやまだ十四の、成人の儀も済まさぬ子供。とてもそうは見えない。


「父上、私をご覧になってください。
 今までこうして男として育ってきたのです。人前に出て出仕しようとも、この身の秘密を知られるような失態など、決していたしませぬ」


位を賜り、男として晴れて殿上に召されるなんて。
こちらとしては願ったり叶ったりだ。
私の存在が、世間に認められたのだと誇らしかった。
男として出仕したい。そうすれば、父が渋面を示した漢学だって、もっと学ぶことが出来る。
そして、自分が他の男より優れていると、証明してやりたい。


女だという理由で、私の自由の全てが奪われるのは絶対に我慢がならない。













藤は、私の出仕を知って、父以上にひどくうろたえて心配したようだ。


「ごめんなさい・・・・・・、私がいつまでもこんな風に過ごしているから、私の代わりにあなたへと宮中の出仕の仕事の話が回って・・・」


そう言って泣き出しそうな顔をするところを見ると、本当は出仕の話は自分に持ちかけられるはずだったのだと、藤もわかっているようだった。


「まさか何を言ってるんだよ、藤、僕は藤の代わりをしているつもりなんかないよ。自分の好きでこうしているんだ」


私は藤に笑いかけた。
御丁台の内にいるのは、薄紅と萌黄色の五襲を来た、見惚れるような黒髪の姫君だ。
結局兄上は、子供の頃からの対人恐怖症が治らないままに、こうして女の格好で過ごすことが定着してしまった。
人に姿を見せずにこもっていても、それが姫君だというのなら周囲も納得する。
私が男の格好をして、外に出て普通に人と話すことを自然と思わせたのと同じだ。


「ごめんなさい・・・・・・父上もひどく落胆してるでしょう?
 ああ本当に、自分でも恥ずかしいと思うのだけど、どうすればいいのかわからない。
 子供の頃からいつも、父の名を出されて、私に期待をかけられることが怖くて怖くてたまらなくて・・・・」


緊張のあまりに震えてしまっているのか、藤の額には汗が浮き、つややかな髪が張り付いている。
化粧もしていないのに、頬は真っ白で、気恥ずかしさで赤面すると、紅梅の花が咲いたように淡い紅がさす。
そんな藤の姿を目の前で見ていると、本性だとか、兄だとか妹だとか、細かいことはどうでもよく思えてくる。
綺麗な女の子だと思った。


「大丈夫だよ。父上はがっかりしたりなんかしない。
 これからは、僕が藤の代わりに、父上の息子になるんだ。
 宮中の大人に負けたりなんかしない。きっと、帝に認められるような、立派な殿上人になってやるんだ」


だからそんなに悲しそうな顔をしないで。
たった一人の血を分けた兄上。
あなたは私が護るから。だから自由に暮らしていればいい。










とうとう父も私の決意を変えることはできなかった。
元服の儀礼の日が決まったことを、その日の夜に、母に報告した。


「そう・・・・・・あなたのことだから、いつかそういうことになるのではないかと思ってはいたけど、まさか本当にあなたが元服を望むとはね」


母は美しく聡明で、そして、厳しい人だった。
事の運びを報告すると、母は多少渋い顔をしたけれど、小さなため息をついたのちに、頷いていた。


「覚えておきなさい、あやめ。
 女はね、いくら真名が読めようとも、漢籍を学ぼうとも、女だというだけで一切認められないのよ。
 昔、あなたの父上様と結婚する前は、宮中に女房として出仕していたのだけどね、宮仕えしていた頃は、とても悔しかったわ。
 うっかり口を出すと、すぐ女のくせに生意気だと睨まれたものだから。
 それで、他の女房達に陰口を言われるのが嫌で、無知なふりをしていたものよ。
 一度でいいから、公の詩作の場で名誉を頂くことが出来たなら、どんなに胸がすっとしたことか」


昔、子供の頃、父は頑として漢籍を読ませようとしてくれなかった。
しかし一方で、私が漢字に興味を持つのを面白がって、ひそかに手ほどきしてくれたのは、他の誰でもない、この母だった。
母は和歌よりむしろ、難解な漢字を読み解くことが楽しいようだった。
だからかもしれない。
父が口うるさく言うほどには、女が漢字を読むということに奇妙さは感じていなかった。


だけど、いつも私の味方をしてくれた母でさえ、私が男の成りをして外を歩くことには、複雑な面持ちをしていた。


「だから私は、あなたを止めはしない。
 正直、あなたが宮中に出仕するというのなら、背中を押して応援したいくらいよ。
 女でも、決して男には劣りはしないと、私の代わりにあなたが証明してくれたのだもの」


傍らの灯台に灯された小さな火が揺れる。
扇をかざした母の顔は、はっきりと見ることはできないが、鋭くまっすぐな瞳をしていることはよくわかった。
三十を超えてもうじき四十路に届こうかという母だったが、長い髪はまだ黒々として若々しく、一言一言重みを含めて話す声には、凛とした張りがあった。



「だけどね、あやめ。
 男として政の公の場に立つのは、そりゃあ厳しいわよ。きっとあなたが今想像しているよりずっとね。
 女が、表の場所でどんな名誉も認められない反面、男というのは、公での地位や名誉のために、どんなことだってやろうとする。
 ましてや、本当の男ではないあなたが、女の身であることを隠して、そんな男社会の中で戦おうとするのなら、きっと苦しむことになるわ。
 今はまだ気づいてなくても、どうしても、女だという壁を乗り越えられないと気づくときが来るでしょう。
 どんなに苦しんでも、きっと誰も助けてくれないわ。それだけは覚悟しなさい。
 それでもあなたが、女の着物を着て帳の内にこもることを望まないのなら、とことんぶつかって戦いなさい」



夜が明けたその瞬間から、私はこの権大納言家の息子として表に立つことになる。











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(2010/10/10)
あやめの母の名前はあざみと言います。自分的にそういう設定。
イメージとして紫式部みたいな人だったらいいなぁと。そんな感じ。



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