【八話 Z 指輪と魔女の薬】
「・・・チョコラトル、って知ってます? 今、それを研究してるんですよ。ええ、薬です」
ルルーナの研究室・・・いや、実験室(?)に招かれたレフラは、特に興味もなさそうな気だるげな顔をしている。
彼女の部屋に来ると必ず、何か研究の話を振ってくるので、それにつきあわざるをえなかった。
「・・・・・・これ、ちょこれーと??」
「いえ違います、それはお菓子でしょう。あれは偽物です」
「にせ??」
「ええと・・・今、主に出回ってるものは、昔、文献の中にあったこの『チョコラトル』を似せて作った嗜好品です。
遺跡から種子を見つけて、ユグドラーシルで栽培に成功したんですよ。味見してみます?」
鍋を覗き込むと、中には、濃い茶褐色のどろりとしたものが、ぐつぐつと音を立てながら煮込まれている。なんだか独特の匂いがしている。
見ていると、ルルーナはその中に、何かスパイスのようなものをぱらぱら放り込んでいる。白い膏(あぶら)のようなものも浮いている。
何て答えたらいいか、レフラは口元を歪めて複雑な顔をしていた。
言えるのは、味見はひとまず遠慮したい。
「え? いえいえ、ちっとも苦くないんですよ。あ・・・本当は苦いんですけど、私、苦くなく飲めるように研究したんですv
上手に作れば、本当に美味しいんですよ。いかがです、レフラさん。召し上がってみます? とても元気になれますよv」
「いや、遠慮しとこ。あたし、普通にお菓子のほうがいい」
おっと、いけない。
こんな普通の雑談をしている場合じゃなかった。
「そんなんはいいから。
どうしてあんたが『指輪』を研究していたか教えてくんない?
どうせあたし、最低二週間はここの学校に留学ってことになってるし。ひまなの。
話に付き合ってくれるくらいいいでしょ」
「ああ・・・・・・はい、そうでしたね」
ルルーナは鍋をかき混ぜていた手を止めた。
「美弥乎姫が困ってたよ。裳着の儀式で螺旋の指輪が要るのに、ルルーナと連絡が取れないって」
「そう・・・・・・ですよね、長々と借りたままになってしまって、すみませんでした」
一度場を離れてから、部屋の奥から手に小さな箱を持って戻ってくる。
「これを美弥乎姫にお返ししてください。本来なら私が直接お伺いして、謝罪してお渡ししなければならないのでしょうけど。
なかなかユグドラーシルを自由に出入りできない規則のために、美月竹国に行くことが出来なくて」
レフラは受け取った小箱の中身を確かめる。
瑠璃色の小さな石がはまった、銀色の指輪だった。
綺麗な指輪だとは思うが、それ以外に特に変わったところは無いように見える。
もしかしたら渡すのを渋るかもしれないと思っていたが、案外あっさり返してもらえた。
「ふうん・・・そんなに特別なものには見えないけど、ねぇルルーナ、コレって一体、何の研究のためのものだったの?」
「・・・・・・私にはもう、必要ありませんから」
直接の問いかけにはすぐに答えずに、ルルーナは曖昧に小さく笑う。
「レフラさんはご存知でしょうか。
実はこの指輪が、『パンドラ』の鍵になっているのではないかという仮説があって、私はそれを調べていました」
おおおお?
パンドラ。
その名前、どこかで聞いたぞ。
そうだ、あの水色の塔で、ひと悶着あったときだ。
「パンドラというのは、失われた古代の知を封印しているという話でした。
中には、アルティメイトを創世した、賢者アルティメイトが自らの叡知を隠したとも言われています」
「大昔の賢者の秘宝ってこと?」
まるで夢物語みたいな話だ。
指輪とルルーナを交互に眺めていると、ルルーナは小さく苦笑する。
「私は神話の研究をしていますから・・・・・・。でも、もういいんです」
「え?」
「もう、私には必要ありませんから」
「どういうこと? 研究、あきらめちゃったの?」
「・・・・・・好きな人ができたんです」
「は???」
なんだか変な間をおいて、ルルーナが、ささやくような声で返事をした。
意味がわからない。
どうつなげたら、さっきの質問でそういう答えが返ってくるのだ。
目をぱちくりするレフラの前で、ルルーナはぽっと頬を赤らめた。
「えっと、同じ研究室の、ランゲルという人なんですけど」
ふわふわと頬が緩みそうなのを、懸命に冷静に見せようとしている様子が表情に出ている。
「私には、やらなくてはいけないことがあるんです。
あの人に、”賢者”の称号が与えられるまで、私は彼の研究の手伝いをしたいのです。
だから私には、いつ結果が出るかわからない自分の神話の研究よりも、彼の研究の支えに自分の全てを注ぎ込みたいんです」
「へぇぇ・・・なんだかよくわからないけれども」
ちなみにレフラは、この手の話題は苦手なほうである。
理解できない感情の一つだ。
なぜ、自分以外の誰かのために自分の全てなんて注ぎ込まなきゃーならんのだ。
どんなときでも自分が一番大事で、自分自身が全てだ。
「だからってなにも、あきらめなくてもいいのになー。
まぁいいや。とにかく『指輪』さえ返してもらえば、美弥乎姫からの依頼は果たせるし」
約束の期限はいつまでだったっけ。
エクセルに任せて、美弥乎姫に渡しにいけばすぐ済むし、十分間に合いそうだ。
☆
「あーあ・・・授業なんてもうヤダ・・・」
すでに陽は高く昇っていた。
『気合と根性があれば、乗り越えられないものなんてない』と都合のいいときには豪語するレフラでも、これにはもう限界だった。
完全寮制のユグドラーシルでは、放課後に街に出て息抜きすることもままならない。
今まであんなに窮屈だと思っていた、オーディーンでの生活さえも懐かしい。
あの場所でもレフラもいわば寮生のようなものだったが、ユグドラーシルの規制の厳しさといえば比ではない。
学区域外への出入りが全く出来ないのだ。
ついさっきまで、目の前の黒板いっぱいに並べられていた化学式が目に焼きついて、頭がくらくらする。酔ったらしい。
耐え切れなくなって、ひっそり後ろの席にまわったふりをして、エスケープ。
教室から出て、外の空気を吸いに来た。
ああ、ぽかぽかする陽射しがまぶしい。
空のまぶしさに目を瞬かせるレフラの脳裏に、今恋しいものが次々と浮かんでは消えていく。
授業終わった後に食べに行ってた、とろ甘のミルククレープ。
でっかいメガバーガー、マーマン焼きのカスタード味。
ビーンズ・アイスのクリームソーダ・・・・。
はぁ。
だめだ、このままじゃ飢えて死ぬ。
なんてことを真面目に考えながら、ふらふらと中庭を散策して歩く。
中庭。
すなわち中央庭園。
ユグドラーシルには、大きな塔のようにそびえたつ本館の他に、いくつかの分館の校舎があり、それらは、この中央庭園を囲むように配置されている。
豊かな緑と秀麗なテラスを備え付けたこの中央庭園は、生徒、教師含めて全ての者の憩いの場所だった。
「おっと・・・・・・、そういえば」
レフラはふと思い出して、ポケットを漁った。
ああ、ちゃんと入ってた。
灰色の小さなネズミのような生き物。
星獣。
「こいつに『星』を見つけなきゃならないんだった・・・・うああ、めんどくせ」
半ば忘れかかっていたが、ようやく思い出した。
イザベラからの課題である。
オーディーン出身の魔導師の多くは、この星獣を魔法の媒介として所有している。媒介のことを『杖』と呼ぶ。
天の星には、光と光を結ぶ星宿、すなわち星座が存在する。
星座の図形が魔力になる。この星の光の力の流れを読み取って、さまざまな形に自由に利用できる者を『魔導師』と呼ぶ。
要するに、レフラへのこの課題は『媒介』を手に入れろという課題である。
「あー・・・・っ、結局ここに来ても、オーディーンと同じで星座の勉強しなきゃいけないってことだよなぁぁ。なんだっけなーもう。無理だっつーに、あたしには。
そうだ、ルルーナに協力してもらうとか? いやいやいや、オーディーンとユグドラーシルじゃだいぶ魔法の形式が違うよなぁ多分」
いらいらしながら髪を掻いていたレフラのそばで。
ぽつりと声が聞こえた。まったく今まで聞いたことのない低い声が。
「・・・・・・知らないのか? 『指輪』を使えば簡単なんだぞ。なにしろ、パンドラの鍵だから」
はっとふりかえった。
誰もいない。
ざわりと風が吹き抜けた。
緑だけがその場で揺れている。
☆
あれはもう、何年前になるんだっけ。
「どうして・・・どうして信用してもらえないのですか!!」
神話は存在する。
有史以前の、隠された時間が存在する。
それを証明するために、私は自分の全てを注ぎ込んできたのに。
「落ち着くんだカーローザ・・・信用してないなんて、そんなこと誰も言ってない。
ただ、ユグドラーシルが、この結論を封印すると決定したんだ」
「どうしてこれで落ち着いていられるの・・・
一体私は今まで何のために、この研究に取り組んできたのよ。
今まで私がやってきたことは何だったの!!」
「仕方がないんだ、ユグドラーシル全体でこれを・・・」
「私はこの研究が、価値あることだと信じて、心血を注いできたのに。
どうしてこれを、全部無駄だったと切り捨てることができるのよ!!!」
「そうじゃない、君のしてきたことは無駄じゃない。でも、仕方ないんだ・・・」
言葉でいくら慰められたって。
少しも心に届かない。
今まで必死でつかんできたものを、一瞬で全て手放すのは、あまりにも辛かった。
私がこれまで費やしてきた全て。
時間も。
労力も。
情熱も。
使命感も。
誇りも。
そして、積み重ねてきた研究書も、一つ残らず消されてしまった。
自分の糧になっていた熱に、冷たい水をかけられた気分だった。
魂の中の火が、消えてしまった。
焙られていた焼石に、急に水をかけると、温度差に耐えられずに割れてしまうでしょう?
ぱきんって。
あの現象に似ていた。
これまで・・・・・・私がやってきたことはなんだったんだろう。
私はやっと、自分がかごの中にいたことに気づいた。
激しい絶望と、虚無感。力が抜けてしまった。
あの頃の私はもうどこにもいない。
*
何もかも煩わしい
何もしたくない
働きたくない
動きたくない
あれ?
なんで私、こんなこと考えてるんだっけ。
時折ふと、大事なことを忘れてるような気持ちになって我にかえる。
自分が自分でないような気がする。
でも、いくら考えても思い出せない。
なんだか無性に胸が痛んで、虚しい気分になるだけだ。
なんだったっけ。
てゆうか、私って誰だったっけ。
いっそ全部忘れてしまいたい。
「カーラ」
ぐだーっと横になってごろごろしてたら。
なんだか懐かしい声がする。
「ああ・・・ハーゼン、ごめん、大丈夫よ、疲れてなんかないから。そっちは研究進んだ?」
「・・・何言ってるんだ馬鹿。また飲み過ぎやがってこの干物女が」
罵倒する声に、ようやく現実に引き戻される。
何もなくてつまらなくて、体のだるいこの現実に。
「ああ・・・なんだ、何やってんのハーゼン」
「何が研究だか、お前が一体いつ何の研究進んだっていうんだ、一日寝てばっかりで疲れるはずないだろ」
「はいはいはい。寝てるだけでも疲れるんだもん」
「ルルーナが呼んでたぞ」
「またぁ? 面倒くさいなぁ」
「研究を見て欲しいって」
「ああ? ・・・・・・ああ、あれかぁ。あれなら、私がわざわざ見てあげなくても、ルルーナ一人で進めるでしょー。あの子優秀なんだからさぁ」
ひらひらと適当に片手を振ると、ハーゼンは、思いっきり渋い顔をして私をにらみ付けた。
あーあー、そんなに眉間にしわよせちゃ、せっかくのイケメンが台無しだろうに。
「わかったよ、仕方ないなぁ、行けばいいんだろ行けば」
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