「ルルーナがアルティメイトを出ていくって?」

「まだ決まったわけじゃないよ、でもまぁ、そんな話だったね」


テーブルの上に、封を切ったばかりの赤い酒瓶を置く。
カーローザは瓶から直に口をつけて、瓶の中身を口に運んでいる。
口から滴る雫を豪快にぬぐう。どうやら今日の彼女は上機嫌らしい。酒の運びに躊躇が無い。


「とはいえ、このユグドラーシルから退出するのは容易じゃないだろ。ある程度学位を積んで、修了証書を納めないと。規則上、中途退籍は認められない」

「わかってるよ。でも、ま、なるようにしかならないじゃないか。あの子がそう望むならさ。ルルーナは元から生真面目すぎるんだから。
 それにあの子が本気でここを出ることを希望するなら、あの子の実力なら、何とでもできると思うんだよね私としては」


本棚から研究書を探していた、白銀の髪の少年が、話しながら手を止めた。


「なんだか馬鹿に、嬉しそうだな、カーローザ」

「そうかもしれないね」

「基本的に学生の途中退学は大問題だぞ、それをあの、優秀なルルーナがだ。できるはずないと思うがな」

「ははは、まぁ、そうだろうね。それならそれでいいと思うんだけどね」


ソファーにもたれかかりながら、カーローザはにやけた笑いを浮かべる。












あの日。
ルルーナが、最初にこの研究所にきたときのことを思い出していた。


「その本が、そんなに面白いかい」


私の部屋に掃除に来たと言って、その生徒はずっと、本棚にある研究資料を読んでいた。
何年も前に途中で投げ出した、つまらない研究だ。
他の誰もが、こんなもの見向きもしなかったのに。


「・・・・私にもっと、こういった話のことを教えてくれませんか?」


ひかえめに微笑んで、、まだ幼さの残る生徒は、私にそう申し出た。
大人しくて、謙虚な生徒。だけどその瞳には、何か燃え滾るものを秘めていた。
この子は一体、何を見つけようとしてるのだろう。


いいだろう。教えてあげよう。
この世界の創世という絵空事。






ぎしりと、寄りかかったソファの背もたれが軋んだ音を立てた。
頭の中にぼんやりと思い浮かんで離れない。
あの子が最初に、私のところへ来たときのことが。


ここではないどこかで、あの子の見たかった世界が見つかるだろうか。
そう望むなら、それでいい。


そうだ。
研究室を片付けておこう。






カーローザはふと思い立って、宿直室から出て、自分の研究室へ向かった。
ほったらかしにしているから、埃だらけになっているだろうけど、中は以前と変わらないままにしてあるはずだ。

あの研究書。
そのままにしておくならば、ルルーナへ託そう。何か少しでも希望になるならば、それがいい。






そして研究室に入ると。
そこには、今まで見たことがないくらい、無残に荒らされて、床の上一面にズタズタになった本が散らばっていた。


「・・・・・・・ッな?!」


一瞬目を疑って言葉を失った。一体何が。今まで、人が出入りした気配なんか一切無かったのに。
激しく混乱したのも束の間、さっと、すぐ傍で動く黒い影があった。

斬りかかってくる!

とっさに身を翻して、大きく横に跳んで避けた。
チッと舌打ちが聞こえた。フードのついた黒いコートで全身を包んだ、見るからに怪しい侵入者。


「動くな」


背後から強い力で腕をねじり上げられ、肩と手首に激痛が走った。
骨が軋む苦痛に、息が詰まるようなうめきを上げた。

しまった。もう一人ここに。


「・・・・・・なんだねあんた達。こんな薄汚いところに何の用? 金目のものも面白いものも何もありはしないよ」

「カーローザ=ザナイエル、・・・・・・俺は、お前が以前に何の研究をしていたか知っているぞ」


背後の黒ずくめの人影から、くぐもった低い男の声がする。


「お前が探していたのは、パンドラの鍵だ、違うか」


途端、心臓をわしづかみにされるような心地がした。
どうして今こんなところで、そんな言葉を聞かされるんだ。それも、今頃になって。


「違う・・・・・! 私が知りたかったのは、そんなものじゃない!
 私はただ、このアルティメイトが築かれる以前の世界の姿が知りたいと!」

「どのみち同じことだろう。こんな宝の山をみすみす破棄しようとしていたなんて。ユグドラーシルにはどうやら愚者しかいないらしい。
 安心しろ、カーローザ・ザナイエル。お前の研究の価値は俺達が証明してやろう。
 ロストブックスは俺達が手に入れる」



研究書が奪われる。
途端に、一瞬で全身の血が凍りつくような心地がした。
言葉で言い表せない、得体の知れない恐怖感が脳裏を支配した。

「待て! それを持っていくな!! それは私が今まで・・・!!」
「何をそんなに慌てている? これを自ら放棄していたのは、君自身だっただろう。
 今更君にこれが必要あるか? 堕落した賢者、カーローザ嬢」
「それは・・・・・・」

冷たい汗が背中に流れ落ちる。混乱する頭のままで、言葉を失って奥歯をぎっと噛みしめる。

落ち着け。冷静になれ。こんなことで簡単に取り乱してどうする。
こいつらは何者だ。ユグドラーシルに容易く侵入してきたこの連中は。


ガタン!!


不意に激しい音を立てて扉が開いた。

「カーラ!!」

一声、飛び込んできたハーゼンが険しい喧騒で叫んだ。物音を聞きつけてやってきたのだろう。
すかさず、もぎ取るようにカーローザを引き離す。
コートの二人組みは、即座に背を向けて逃げ出した。

「待て!!」

書棚の奥に身を翻す男達を追う。
が、そこを追い詰めようとして愕然とした。
侵入者たちは、忽然と姿を消していた。
書棚の奥はただの一枚壁で、どこにも出口など無いはずなのに、一体どうやって・・・・・・。
壁にでも吸い込まれたように、どこにも気配が無かった。

「大丈夫か、カーラ」

腕を押さえたままかがみこんで動かない。

「見せてみろ」
「いや、違うんだ、腕はどうもない。そんなことより・・・・・・」

あいつらは、十年前の研究のことを知っていた。
そして、あの本を持っていった。
どうして。














それからカーローザは、再度、研究室の奥を調べた。
侵入者は、行き場の無いはずの部屋の奥で忽然と消えた。
知っている。
この部屋の奥に、何があるか。


本棚の一部をずらし、手を置くと。
壁の一角が、奥にずれて動く。
ぼっかりと目の前に続く暗闇が現れる。


隠し通路だ。
あの連中はここに消えたに違いない。
ということは、ごく限られたものしか知るはずの無い、この隠し部屋のことも知っていることになる。


一体、なぜ。



「ルルーナ・・・・・・、悪いけど、あんたに研究を譲るのは、もう少し先のことになりそうだよ」



自嘲のような笑みと共にひとりごちて、カーローザは、壁の奥に現れた暗闇へと手を差し出した。
一見入り口はひどく暗いが、蛍光石を埋め込んだ壁で作られた中には、人が歩ける程度の明かりがある。

この中を歩くことを、選ぶ。


たとえ何が待っていようとも。










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