・第十章
「魔法ってさ、どんなことができるんだ」
深い闇色の眼が尋ねてくる。
意思を持った青年の眼。この世を生き抜く本能を知る獣の眼だ。
「大きく言えば、たった一つ。・・・人をとりこにすることだ」
大勢の人間を一度に操る。聞こえるはずの無い声を届ける。目には映らない幻を脳に焼き付ける。鼓動の音を狂わせる。
全ては、歌声と音が創り出す魔力。
「人を、殺したりすることもできるか」
「場合によっては」
君が消えたいと望むなら
願うがままに
俺の魔法で応えよう
はるか彼方の世界へと漕ぎだす船を捧げよう
「死んだ人間を生き返らせることだってできるんだよ」
濃いブランデーの香りが鼻をつく。
目に見えない魅惑は、音楽に似ている。
さあ
君は
どんな歌詞を求めるか
☆
月が宙から堕ちてくる
ゆらゆら ゆらゆら
揺れながら 溶けていく
七色に滲んでとても綺麗
死にゆく蜉蝣の透明な翅
綺麗
くすくす くすくす
ささやく 子守唄
灰色の墓標に
白い幻を描く 光のカケラ
くすくす くすくす
「ねぇ・・・・・どうして・・・・・・悪い薬なんか、手に取っちゃダメよって言ったじゃない・・・・・・」
悲しみに歪むまなざし。
諦めの微笑み。
さまよってたどりついた先には、虚無の幻しか残らない。
現実を生きることを諦めた少女の体には、無数の黒い傷跡が残る。
こうなるともう、手当てのための薬は何も効かない。
リズは、少女の腕を取って、生きる痛みを刻み付けた跡を眺めながら・・・・・・治せない苦しみに捕われた人間を前にして、心が締め付けられていた。
また誰も、助けられない。
何の薬も、効かない。
「ふふふ・・・ねぇ、リズ姉さん、この灰色の街の向こうにはね・・・もっと楽しい世界があるんだと思ってたよ・・・・・・。
そんなこと、ないんだねぇ。どこへ行っても、どこへ逃げても、同じ・・・・・・。
一度でいい・・・・・一番幸せな夢が、見てみたかったよ・・・・・・」
至高の幻を見せてくれるという、黒い蝶に魅せられた。
はばたく蝶の燐粉は、現実と非現実を混じらせる。
理想と現実。夢と幻。心と体。
少しずつ狂わされて、崩れていく。
「ねぇ、リズ姉さん・・・・・あたしね、”魔法使い”に会ったよ・・・・・」
「え?」
悲しみに凍りついていたリズの瞳の奥に、刹那の火が灯る。
「あたしが見たかった蝶を、見せてくれたの・・・・・・アズラエル・・・・・・・。
音が虹を描いて、渦になって流れて・・・・・・・・ふふふ、すごく、綺麗だったよ・・・・・・・・・」
「魔法使い・・・・・・」
「リズ姉さん・・・・・・お酒、飲みたいな・・・・・・何か、すごーく、甘いやつ・・・・・・甘くて、濃い、綺麗な色のお酒、作ってよ・・・・・・」
つらいことなんか全部忘れて、心地よく酔えるような。
そんなお酒を作って欲しい。
綺麗なリキュールを混ぜて。
水晶粒みたいな炭酸を弾けさせて。
甘い夢が。
見たい、な・・・・・・。
魅惑に誘う妖しい蝶を追って歩けば。
やがてこの世の果てにたどり着いて、黒い海に沈んで溺れていく。
そして消えてしまえばいい。
消えてしまえ。
何もかも。
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