・第十一章




灰色の塔 都市の残骸 栄光の末路
降り積もる埃ばかりが 過去の夢の遺骸
ここには未来は来なかった
今は亡き儚い幸福へと 弔いの花を掲げる

紅、白、黄、紫、蒼


コンクリートの墓場の中に、花を散らす。
まるで忘れられた光のような鮮やかな虹色。


どうか、世界に安らぎを。










灰色の石に囲まれた中にある、一区画の土。
ハーブの花壇。儚い命のすみか。


アーティチョーク
アンジェリカ
エルダーフラワー
オレンジフラワー
クローブ
ジャーマンカモミール
セージ
タイム


ここはコンクリート・ガーデン。

ねぇ魔法使いさん。何か、歌ってくれないかな。
いいお薬ができますように。
私が育てた植物達にも、あなたの魔法を注いで欲しいの。



「へぇ・・・そうか、ここで薬草を育ててるのか」



都会の中のわずかな土。唯一、緑が生きる場所。



「私も、これでも”薬屋”だもの」


青紫の瞳が微笑む。
ギルがその横でゆっくりと、抱えていたユーナを下ろして様子を見ている。幸い彼女は眠っている。サフラは、蝋のように白い細い腕を取る。脈を診て、呼吸の音を聞いている。


「大丈夫か」
「うん。・・・でもそうね、念のためあの薬を施しておくわ」


ブランデーの小瓶に似た、小さなガラスの容器。
透明なマドラーのように細い細い注射器が、サフラの手で操られている。


薬。
そう呼んだ。


それは何のための。


仄かに甘い香りがする。・・・ケシの香りに似ている気がする。気のせいだろうか。


キリリ キリリ


何かが軋む音がする。薬の香りと共鳴して聴こえる。


聴こえる。


人間の耳には聴こえない音。
これは、世界を狂わせた不協和音の残骸。


キリリ キリリ


世界の歪みに抗いながら。
甘い香りがする。



「アズラエルの中和剤」


カルマの視線に気がついて、サフラはぽつりと、謡う。


「リズが作ってるの」


サフラの手は、処置を終えたユーナの腕をわずかにさすり、肌に残る白い傷跡に触れる。
蝶に捕らわれた女性は目覚めない。


「アズラエルを一度でも体に取り込んだら、決してその毒は消えない・・・。彷徨う夢の中に引きずり込まれていくの。
 夢と現実の境目が無くなって、理性も自我も見失って、帰ってこれなくなる・・・。
 リズは、それを治す薬を作ろうとしてるの。アズラエルの中毒を消す薬。”死を告げる天使”から人間を連れ戻す薬を」


謡うように、言葉を紡ぐ。



「私は・・・リズを信じてるよ。リズが、病んだこの街の薬になる。必ず」



だから、その時までずっと、そばにいる。



「そうか・・・・・・」



手慰みに、傍らに揺れる緑の葉に触れる。
何のハーブか薬草か知らないが、涼やかな香りを奏でている。
その下の土は柔らかく、温かな湿度を保っている。
この世界の毒から護り、祈りを託して耕している命だ。



「・・・・・・君が抱えて隠している傷も、癒されるべき祈りなのかな」



はっと。
菫色の瞳が見開いた。
言葉を操る”魔法使い”は、まだ調べを創らない。



「・・・・・・リズには言わないでね・・・・・・・」



泣き出しそうな瞳をして。



「私は信じてるよ・・・・・・。だから、待ってる。リズが必ず薬を・・・・・・作ってくれるから」




キリリ キリリ


届かない沢山の祈りを抱えて
世界が嘆く音がする



「近いな・・・・・・・」



”魔法使い”は、まだ聴こえぬ音色に耳を傾ける。


どこに潜んでいるんだ。
この世界を狂わせた歯車は。














*                *                 *












「どうしてあの子を殺したの、魔法使い」

「俺が殺したわけじゃない。あの少女が安らぎを望んだからだ」



佇む少女の心の内には、紅い炎が燃えていた。鮮やかな怒りの感情。



「君の店の客だった子か・・・。どうして俺があの少女の命を奪ったと思った」

「あたしが・・・治すはずだったのよ。あたしの薬で。あたしが、助けなきゃいけなかったのに!」



高ぶった感情に震える手が、ガシャンと、ガラスの瓶を灰色の地面に叩き付けた。途端に橙色の炎が足元に閃く。
拳銃の代わりのように手に握り締めていたものだ。アルコールか何か、あるいは火薬のようなものだろう。鮮やかに咲く紅い炎の武器。



「こんなことをするのなら、あなたも薬に狂った”狼”と同じ。この街から出て行ってよ」

「・・・・・・俺が殺したわけじゃないさ。俺は、曲を聴かせただけだ」



黒い蝶が魅せた鎖が、彼女の解き放つようにと。



「そうして、”狼”達も消しているんでしょう。知ってるわよ」



リズの厳しい眼差しは、鋭く真っすぐに俺を射抜く。仮面の微笑を宿した、黒衣の魔法使い。君にはそう見えるのだろう。



「あなたの歌声を聴いた連中が、白い風の渦に呑まれるように消えていったでしょう・・・・・・。見たのよ」



どのみち、あれは君の手じゃあ治せない人間ばかりだよ。
共鳴する心はもはや壊れかかっていた。



「サフラが・・・・、それと、ギルと、ユーナさん・・・・・・見つからないの。サフラを見なかった?」

「彼女たちなら大丈夫だよ」



疑念の目を俺に向ける。独りで戦い続けようとする、強く、気高く、痛々しい瞳だ。
人の命と癒えない痛み、心の病を一身に引き受けて、そこまでして彼女は、この街で何を成そうというのだろう。
全てを救えるほど人間は傲慢な存在にはなれないのに。それでも、まるで罪のように世界の治癒を叫び続ける。
何がそうさせたのだろう。それは君の、強さだろうか。弱さだろうか。



「もうあたし達の前には現れないで・・・・・・あなたの力には頼らない。あたしが、この街の狂気を治してみせるから」


彼女が駆け去る足音が、残された俺に手向けられた。


治す?
何を?


俺の創り出す音は、人の鼓動の音に共鳴する。
美しい音色を求めているのに。
どうしてこの街の、自分自身を諦めてしまった人々は。
苦しみを解くとすぐに、自身の歌声を絶えさせてしまうのだろう。


俺の居た世界も、そうだった。


歌声を忘れた世界は、すぐに、たやすく狂って、崩れてしまうんだ。この灰色の街のように。
俺に昔、名前があった頃、俺がかつて住んでいた世界も・・・そうだった。
人にとって大切なものが欠落したために、壊れてしまった。


この世界を狂わせたものは一体何だったのか。
俺はそれを知りたい。





リズ、君は何を知っている?





一人走り去った少女の姿を思う。





君は、何を知っている?










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