・第十一章
灰色の塔 都市の残骸 栄光の末路
降り積もる埃ばかりが 過去の夢の遺骸
ここには未来は来なかった
今は亡き儚い幸福へと 弔いの花を掲げる
紅、白、黄、紫、蒼
コンクリートの墓場の中に、花を散らす。
まるで忘れられた光のような鮮やかな虹色。
どうか、世界に安らぎを。
☆
灰色の石に囲まれた中にある、一区画の土。
ハーブの花壇。儚い命のすみか。
アーティチョーク
アンジェリカ
エルダーフラワー
オレンジフラワー
クローブ
ジャーマンカモミール
セージ
タイム
ここはコンクリート・ガーデン。
ねぇ魔法使いさん。何か、歌ってくれないかな。
いいお薬ができますように。
私が育てた植物達にも、あなたの魔法を注いで欲しいの。
「へぇ・・・そうか、ここで薬草を育ててるのか」
都会の中のわずかな土。唯一、緑が生きる場所。
「私も、これでも”薬屋”だもの」
青紫の瞳が微笑む。
ギルがその横でゆっくりと、抱えていたユーナを下ろして様子を見ている。幸い彼女は眠っている。サフラは、蝋のように白い細い腕を取る。脈を診て、呼吸の音を聞いている。
「大丈夫か」
「うん。・・・でもそうね、念のためあの薬を施しておくわ」
ブランデーの小瓶に似た、小さなガラスの容器。
透明なマドラーのように細い細い注射器が、サフラの手で操られている。
薬。
そう呼んだ。
それは何のための。
仄かに甘い香りがする。・・・ケシの香りに似ている気がする。気のせいだろうか。
キリリ キリリ
何かが軋む音がする。薬の香りと共鳴して聴こえる。
聴こえる。
人間の耳には聴こえない音。
これは、世界を狂わせた不協和音の残骸。
キリリ キリリ
世界の歪みに抗いながら。
甘い香りがする。
「アズラエルの中和剤」
カルマの視線に気がついて、サフラはぽつりと、謡う。
「リズが作ってるの」
サフラの手は、処置を終えたユーナの腕をわずかにさすり、肌に残る白い傷跡に触れる。
蝶に捕らわれた女性は目覚めない。
「アズラエルを一度でも体に取り込んだら、決してその毒は消えない・・・。彷徨う夢の中に引きずり込まれていくの。
夢と現実の境目が無くなって、理性も自我も見失って、帰ってこれなくなる・・・。
リズは、それを治す薬を作ろうとしてるの。アズラエルの中毒を消す薬。”死を告げる天使”から人間を連れ戻す薬を」
謡うように、言葉を紡ぐ。
「私は・・・リズを信じてるよ。リズが、病んだこの街の薬になる。必ず」
だから、その時までずっと、そばにいる。
「そうか・・・・・・」
手慰みに、傍らに揺れる緑の葉に触れる。
何のハーブか薬草か知らないが、涼やかな香りを奏でている。
その下の土は柔らかく、温かな湿度を保っている。
この世界の毒から護り、祈りを託して耕している命だ。
「・・・・・・君が抱えて隠している傷も、癒されるべき祈りなのかな」
はっと。
菫色の瞳が見開いた。
言葉を操る”魔法使い”は、まだ調べを創らない。
「・・・・・・リズには言わないでね・・・・・・・」
泣き出しそうな瞳をして。
「私は信じてるよ・・・・・・。だから、待ってる。リズが必ず薬を・・・・・・作ってくれるから」
キリリ キリリ
届かない沢山の祈りを抱えて
世界が嘆く音がする
「近いな・・・・・・・」
”魔法使い”は、まだ聴こえぬ音色に耳を傾ける。
どこに潜んでいるんだ。
この世界を狂わせた歯車は。
* * *
「どうしてあの子を殺したの、魔法使い」
「俺が殺したわけじゃない。あの少女が安らぎを望んだからだ」
佇む少女の心の内には、紅い炎が燃えていた。鮮やかな怒りの感情。
「君の店の客だった子か・・・。どうして俺があの少女の命を奪ったと思った」
「あたしが・・・治すはずだったのよ。あたしの薬で。あたしが、助けなきゃいけなかったのに!」
高ぶった感情に震える手が、ガシャンと、ガラスの瓶を灰色の地面に叩き付けた。途端に橙色の炎が足元に閃く。
拳銃の代わりのように手に握り締めていたものだ。アルコールか何か、あるいは火薬のようなものだろう。鮮やかに咲く紅い炎の武器。
「こんなことをするのなら、あなたも薬に狂った”狼”と同じ。この街から出て行ってよ」
「・・・・・・俺が殺したわけじゃないさ。俺は、曲を聴かせただけだ」
黒い蝶が魅せた鎖が、彼女の解き放つようにと。
「そうして、”狼”達も消しているんでしょう。知ってるわよ」
リズの厳しい眼差しは、鋭く真っすぐに俺を射抜く。仮面の微笑を宿した、黒衣の魔法使い。君にはそう見えるのだろう。
「あなたの歌声を聴いた連中が、白い風の渦に呑まれるように消えていったでしょう・・・・・・。見たのよ」
どのみち、あれは君の手じゃあ治せない人間ばかりだよ。
共鳴する心はもはや壊れかかっていた。
「サフラが・・・・、それと、ギルと、ユーナさん・・・・・・見つからないの。サフラを見なかった?」
「彼女たちなら大丈夫だよ」
疑念の目を俺に向ける。独りで戦い続けようとする、強く、気高く、痛々しい瞳だ。
人の命と癒えない痛み、心の病を一身に引き受けて、そこまでして彼女は、この街で何を成そうというのだろう。
全てを救えるほど人間は傲慢な存在にはなれないのに。それでも、まるで罪のように世界の治癒を叫び続ける。
何がそうさせたのだろう。それは君の、強さだろうか。弱さだろうか。
「もうあたし達の前には現れないで・・・・・・あなたの力には頼らない。あたしが、この街の狂気を治してみせるから」
彼女が駆け去る足音が、残された俺に手向けられた。
治す?
何を?
俺の創り出す音は、人の鼓動の音に共鳴する。
美しい音色を求めているのに。
どうしてこの街の、自分自身を諦めてしまった人々は。
苦しみを解くとすぐに、自身の歌声を絶えさせてしまうのだろう。
俺の居た世界も、そうだった。
歌声を忘れた世界は、すぐに、たやすく狂って、崩れてしまうんだ。この灰色の街のように。
俺に昔、名前があった頃、俺がかつて住んでいた世界も・・・そうだった。
人にとって大切なものが欠落したために、壊れてしまった。
この世界を狂わせたものは一体何だったのか。
俺はそれを知りたい。
リズ、君は何を知っている?
一人走り去った少女の姿を思う。
君は、何を知っている?
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