【 とりかへばや 1 】








世に類稀なる美貌と御才とを持ち合わせた中納言。
物語の中の貴公子がそのまま抜け出してきたような彼は、まさに非の打ち所の無い美男子だった。

そんな彼はここ最近、ある問題を抱えていて、機嫌の悪い日々が続いていた。
原因は、彼の父親の持ちかけてきた話のせいである・・・・・・。






「私と右大臣家の姫君との婚約が決まったなんて、一体全体、何の冗談ですか父上!」
「いや、すすすすすすまん、わしも最初はどうしようかと思ったものだが、お前のことだからきっと大丈夫だろうと思ったのだよ。
 何しろ、右大臣殿が、実を言うとお前が元服したときからお前をぜひ婿にと心に決めていたと、そのように熱心に申されるものだから」


右大臣殿は、中納言が元服した際に御加冠役をしてくださった方だ。
元服、裳着といった童子の成人の儀式の折には、時の権力者がこういった重要な役目を担うのが慣わしとなっていた。
怒りに拳を震わせていた中納言も、これにはさすがに黙らざるをえない。
こうなると、無下に断るのは確実に無礼に値する。


「まったく・・・父上は相変わらずそのように、外聞や世間体ばかり気にかけておられる。
 昔、私の出仕をお受けしてきたときもそうでしたよね」
「あの時はお前だって乗り気だったじゃないか! どうやって帝にご辞退申し上げようかと本当に困っていたときに、お前自身が、是非とも殿上に上がらせてくれとせがむものだから」


中納言と呼ばれる若き御方、その名を菖蒲(あやめ)。
先日、中将の身分より権中納言に昇進した、現在方々から行く末を期待される麗しの若君である。
父君は権大納言であらせられる。
その父上すらも、この菖蒲の君の前ではまったく頭が上がらない。


「よろしい。お受けしてしまったという以上もう仕方ありません。
 お相手は世間知らずな四の姫君。このような身の私とて、夫婦というものの過ごし方くらい心得ております。
 表向きだけでも夫婦に見えるように、姫君をお迎えすればいいのでしょう」


歌も漢籍も恋文のやりとりも、貴族の男として必要な教養も技量は全て心得ている。
齢十四で元服し、侍従、中将、中納言と瞬く間に昇進して上り詰めてきた。
自分が他の男より優れていると認められた証拠だ。
こんなことで、全て失ってなるものか。


「姫君の方にはきちんとこちらから文も差し上げておきます。父上のほうからそのように右大臣殿へ取り次いでください」
「おおそうか!受けてくれるか!」


単純に喜ぶ父を、菖蒲は無表情のままで、覚めた気持ちで見つめていた。


「ただし父上、私からも言わせていただきたいことがあるのですが・・・先日お伺いしましたが、父上、藤の宮中仕えを許可なさったそうですね」


眉目秀麗な眼差しが、射るように鋭く、初老の父を見据える。


「あの子は昔より気弱な子ですから、そのようなことも大いに結構。
 しかしながら父上、まさか、私の宮中出仕だけでは飽き足らず、藤までも出世の道具に仕様などとお考えではありますまい」
「そんなばかな! わしだって心配でたまらないとも!
 今まで外に出たことのなかった子が宮仕えなどと、人前で倒れたりしないかと考えただけで空恐ろしい。
 しかし、今回のことも、女春宮様が東の対殿に住む我が家の姫にぜひお会いしたいと申されたので、仕方なく・・・・・・」


やはりそういうことかと、内心で深くため息をついた。
万が一、彼女が宮中で何か危機にさらされたときは、自分が立ち回るしかないなと心に留めておく。
自分と同じ秘密を抱えた、同じ顔を持った自分の分身。名前を藤(ふじ)。
表向きは、中納言の腹違いの妹ということになっている。
だけど事実は違う。
東の対の殿には、姫君など住んでいない。


「父上、私はこのように、常人とは異なる身でありながらもおかげさまで名誉ある職に着かせて頂いております。
 だがこのような出仕は、私一人で十分。
 もし、世間体や外聞のために、私だけではなく藤にも無理な任を負わせようというのなら、その時はご容赦しませんので」


氷のような眼差しと声音を投げて、ぴしゃりと障子戸を閉めて部屋を出る。
浅黄の狩衣に身を包んだ秀麗な姿が、渡殿を横切っていく。


世に類稀なる美貌と御才とを持ち合わせた中納言。
物語の中の貴公子がそのまま抜け出してきたような彼は、まさに非の打ち所の無い美男子だった。


この衣の下に包んだ肉体が、実は女人であるというたった一つの秘密を除いては。



(この身が女であるというただそれだけのことで、男なぞに負けてなるものか・・・・・・)



元服してから今日まで、貴族の男としての名声と身分と自由を手に入れてきた。
この身に抱えたたった一つの欠点だけは、なんとしても隠しぬかねばならない。













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(2010/10/8)
去年の今頃に、延々と「とりかへばや」に惚れこんで読んでました。
とうとう書きたくなった。



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