【 とりかへばや 11 】



「この頃よく吉野の山の寺にこもっているそうだな」
「ああ。最近はそうでもない。思い出したころにでも」

できるだけ風通しのいい場所に円座を敷いて座る。
陽射しが木漏れ日から差し込んでいるのが見えた。常盤の色が鮮やかだ。

「子供が生まれたばかりだといのに、そんなに姫をほったらかしにして、妻と子が可愛くないのか?」

お前がそれを言うか、と内心で苦々しく舌打ちをする。
どうして四の姫に子供ができるのだ。他の男が言い寄った以外にない。
証拠の手紙だって見つかった。間違いなく中将の手の。

唇をつぐんで、ただ団扇でゆるく扇ぐ。

「今日は具合でも悪いのか? 左大臣邸に帰っていると聞いたからここに寄ったのだが。一体どういった用事の里帰りだ」
「お前なんかに詮索されるようなことは何もないよ。大きなお世話だ」

冷たく言い流してそっぽを向こうとすると、わざわざ一歩距離を詰めて寄ってくる。
そう言うなよ、と囁いて口元に笑みを浮かべた様子は、どこか思わしげだった。
何を、たくらんでいる。この男。

「ずいぶんと愛想がないな。俺はお前のことを心配して言っているのに。
 何か人には言えないような病でも抱えているのではないかと」

するり、と畳の上の散らかした衣がすべる音がする。

「・・・・・・私に、何のやましいことがあるとでも? そういうお前こそ、悔い改めるべきことがあるのではないか」
「そんなつれないことを言う声音も、小夜鳴き鳥の声のように麗しいな、中納言」
「はっ、そんなこと言っておだてても、ちっとも嬉しくは思わないさ」

話をはぐらかそうとする、わざとらしい賛美の言葉に、中納言は嘲る笑みを浮かべて言い放った。

「一体お前が、私の何を心配するというのだ」
「寺にこもって写経ばかり繰り返して、そのうち尼にでもなってしまうのではないかと」

何を馬鹿馬鹿しい。
用意しておいた切り替えしを舌に乗せようとしたその瞬間。
耳を疑って、声が喉の奥で凍りついた。

今、こいつは、なんと言った?

「尼・・・・・・・・?」
「ああ、違った。言い間違いだ、男が尼にはならないな」

腹立たしいほどにわざとらしく、のんびりとして笑っていた。

「しかしそのくらい、お前はどこか儚げで、お前は心配だな。
 もしお前が髪を落としてどこかへ消えたら、寺に向かうより、川に身を投げたりでもしていないか、探してしまうかもしれない」


声を囁かせて目を細めて、中将は中納言の手に自らの手を添えた。

「ずいぶんと細い手だな。まるで女子のようだ」
「何を急に・・・・・・、この暑いのに、気安く触るな。少し離れてくれ」

肌に、じわりと汗が浮かぶ。
暑さのためだけではないはずだ。
急に、目の前の男に対してどう応対すればいいのかわからなくなった。
金縛りになったような心地がする。まるで蜘蛛の巣に捕らえられた蝶になった気分がした。

「菖蒲の君」

中将、いや、鷹之。
男として、友人でありたいと思った。
宮中において常に競われる立場でありながら、唯一対等で話せる相手。
彼にだけは、心を許して語り合えると思った。
それなのに。

じっと自分を見定める鷹之の目が、自分を射抜いて捕らえて、離さないのだ。

「まるで雪のように白い綺麗な手だ・・・・・・。お前みたいな女がいたら、さぞかし素晴らしいことだろうに。
 紅の袴に、白い薄地の生絹の衣、今日のお前は、乱れた白拍子の舞のようだな」

上気した肌を、中将の声音が撫でていく。

「そんな文句は聞き飽きたよ。そういう台詞は、妹にでも言ってくれ・・・・・」

普段なら平然と突っぱねることができるのに、妙に心が動揺して、返す言葉の、声が掠れる。

「お前の妹か。そんな女が、本当にいるのだろうかと、俺は不思議に思えてくることがある」

不可解な言葉に、どきりと心の蔵が跳ね上がった。

「何が言いたい?」
「そんなに完璧に美しい女があるだろうかと、俺には想像できないんだ。一度忍んで会いに行って、結局顔を拝めなかったのでそう思えてしまうのかもしれないが。
 お前によく似た美女だと聞くが、そんなに綺麗な女ならまるで天女だ。
 生身の女とは思えないな。物の怪かあるいは」
「化物だとでも言いたいのか。馬鹿げているな。無礼にもほどがある」

そんな言葉をかろうじて返しながら。
どうしてこんなに悲しく、胸が痛くなるのだろうか。

そうだ。そのとおりだ。
完璧に美しい女なんて、どこにも存在しやしない。
ただの作り物語だ。

「今日のお前はどうかしているよ。暑さにやられてしまったのか」
「ああ。そうかもしれない」

吾が君、たださて。
――いとしいひとよ。どうか、そのまま。――
囁く声がすぐ耳元で聞こえた。
物の怪が取りついた仕業かもしれない。何かが、狂ってしまった。

「許せ、俺は狂ってしまったようだ」


不意に、中納言の手に添えられていた、中将の手が。
強い力を込めて、中納言の手を掴んだ。
細く白いその腕を、強く捕らえて離さない。
天地がひっくり返るような衝撃に、中納言は刹那、世界が真白く染まって見えた。
悪い夢を見ているようだ。
ただ、じわりと汗ばむ肌に絡む、中将の体温。

「気でも違ったか、正気を失くしたか」

喉から搾り出すような声で呻きながら、身悶えると頭上から落ちた揉烏帽子が畳の上を転がった。
乱れて動くたびに、髪の元結が解けて、結っていた黒髪が畳の上に散らばる。
肌をなぞる、男の手。

これは、悪夢だ。

散らばる白い単の衣と、汗が滲んでさらされた、火照った肌と。
投げ出された手足、解けた髪。




このまま消えてしまいたいと、どんなに願ったことか。









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(2014/2/13)
まさかの三年ぶりの続き・・・。
書いてたのは五年前くらいだよ。


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