・第一章 




灰色に塗りつぶされた都市は既に荒廃しきっていた。


その街の、ある片隅、ある道の途中に、ひっそりと、地下へと続く階段がある。
荒廃からは免れてはいるものの、この都市での生き残りをかける人々が住まう地下世界は、もはや完全に闇色の無法地帯だ。


その地下世界に、二人の黒ずくめの男が、足を踏み入れようとしていた。





街の東の果てより下りる階段の奥へ、カツン、カツン、と響く足音が吸い込まれていく。

螺旋状の階段を、深く深く降りると、一寸先さえ見えぬ暗黒。
手探りで、階段の両側にある土レンガを調べる。

階段を一番下まで降りて五段目の、右の壁の、いち、に、さん・・・八番目の、正方形のレンガがスイッチ。これか。

ぽ、とオレンジ色の光が灯る。
一つ、また一つ、順に灯って、その先に続く道を照らし出す。

一番下の段の先は、深く幅の広い溝があり、光に照らされて、やっと人一人通れる通路が中心に通っている。
溝に落ちたらどうなるのかはわからない。
よくできたつくりだ。

しかし、ここさえクリアしてしまえば、自由にその先の地下街を往来できる。
ただし、迷わずに歩ければ、ではあるが。

階段を下りて、まっすぐ、灯火を三つ、右の曲がり角を五つ、素通りしたあと、左にまがって、さらに三回、曲がり角をまた左に曲がる。
そのまままっすぐ進むと、小さな灯火と、やや大きめの灯火が交互に見える。
その通路の一番奥。

小さな扉にたどり着く。
目印は、蝶の絵が入った、黒い扉。


ここだ。


ここが、暗黒の地下街の薬屋、『メイキング・ジョーカー』。


扉を押す。

からららん。

涼やかな音が耳を穿つ。
なんと。こじゃれたことに、ドアベルなんかついていやがった。


扉を開けたとたん、アルコールの臭気の混ざった空気が漏れて来る。
そして意外にも、俺たちを出迎えたのは、甲高い女の声だった。


「いらっしゃいませーvvv」
「あらッ、お客さん初めてですねーvvv お安くしときますよーvvv」


キャバクラかよ。ここは。
やたら露出度の高い服の女が二人、色目を使いながらよってくる。


「いやぁ、参ったな、ここの店のことは噂には聞いていたけど、こんなに美人なねーちゃんたちがいる店だとは思わなかったぜ」
「ここは薬屋だと聞いていたんだがな」
「あらぁ、こんなの、サービスですよサービスv」
「そうそう、うちではお酒も出すんですよぉv何がお好きですの?」


二人の女は、体をすりよせながら、俺たちをカウンター席に座らせる。


「ウイスキーもワインも、ジンもウォッカもテキーラも焼酎もビールもカクテルも、何でもご用意できますわよv」
「あーそうかい。じゃあ後でいただくとするよ。先に、アレをいただきたいんだがな」


背が高い方の女が、赤い唇に笑みを浮かべる。


「はいはいモチロンv」


背が低く、髪の長いもう一人の女が、グラスブランデーボトルと、小さなガラス瓶をトレイに乗せて運んでくる。
瓶のラベルには、店の扉にあったのと同じ、小さな蝶の模様があった。


「こいつが噂に聞く『アズラエル』か」
「そう、この世の全ての快楽を凝縮させた、神秘的な秘薬ですわよv」
「秘薬、ねぇ」


食えない笑顔をする女だった。


「あなたもアズラエルをお求めでしょう?こっちのブランデーはサービスですわ、どうです?」
「ああ、そりゃどうも」

カルマの方には背の低い方の女が、俺の方には背の高い女の方が寄ってきている。
この辺かな。

「じゃあ、仕事の後でゆっくり味わうとさせてもらうよ」

俺とカルマは、全く同時に、懐から取り出したパースエイダーの銃口を、それぞれ女達に突きつけていた。

「取り押さえたぜ、腐ったドラッグ商人め」
「てめぇら命が惜しけりゃおとなしく成敗されるんだなこのメスブタどもが!」

その瞬間。


ぼすっ!!!


突然、俺たちの背後から、白い噴煙のようなものが吹き付けてきた。
なんだこりゃ!
催涙ガス、あるいは麻酔ガスか?!
ほんのわずかとはいえここでひるんだのがまずかった。
俺が銃を突きつけていた女が、信じられない早業で、俺の死角に身を沈めたかと思うと、銃を握っていた手を蹴り上げた。
女と思って油断していたつもりは無かったが実際そうだったのだろう。不覚にも、銃は手を離れ、宙を舞った。

ちくしょう、正直にいうぞ。
してやられた!!!

「サフラ、逃げるよ!」
「はいはーい!」

カルマの方でも、ほぼ同じことが起こっていたらしい。
いつの間にか、女二人とも、逃げる寸前だ。

させるかぁっ!!!

俺は、懐にもう一丁持っていた銃を出し、逃げようとする女の脚を狙って引き金を引いた。引きまくった。
狭い店内に、鼓膜を破きそうな銃声が立続けに響く。カルマも同様。
ところが奴らめ、その狭い店内にもかかわらず、目にも鮮やかなバク転と側転を軽やかにかまして、俺たちの最高に完璧な射撃をよけやがった。

「お店の修理費は請求しないでおいてあげるわね、まいどどーも!」

ええぃやべぇっ!
女どもを追いたいが、先にこの店内に立ち込める怪しいガスをどうにかしないと、このままじゃ逃げることさえできなくなっちまう!

しかしここが俺たちの腕の見せ所、並に修羅場をくぐってきただけのただの人間じゃねぇぞ俺たちは。

「カルマ!」
「わかってる」


キュイイイイイィン!!!


金属を擦る音にも似た甲高い音色が空気を包んだ。
カルマの手には、流線型の、六本の弦を持つ楽器。”エレメント・ストリングス”という。
要するに、俺らの魔法だ!

銀色のストリング(弦)は空間そのものを唸らせて、風を作って空気を操り、白く霧がかった空気を一蹴した。
カルマ、でかした!
これでガス中毒はまぬがれるぜ!
おっと、そうこうしているうちに、女二人は、いつの間にやら天井の一部をはがし、はしごを引っ張りだし、逃亡をはかっていた。

させるかってんだ!

俺は、ジャケットの内ポケットから、透明なガラスの小瓶を取り出した。
中には何も入っていない。
ように見えるが、こいつが俺の本当の得物だ。
手のひらに握り締め、手のひらの上に傾ける。すると、ざらざらら、と中身がぶちまけられる。
中には何も入っていなかったんじゃないかって?ああそうだよ。
必要に応じて、今、中身は用意されたんだ。
白い小さなビー玉、に、見えるかもしれない。

聞いて驚け、これが俺の“魔法”だ。

俺は、白いビー玉に見える丸いキャンディーを、口の中に放り込んで、一気に噛み砕いて
飲み込んだ。

準備完了!!!

途端、胸の奥が、まるで酒を飲んだ時のように カッ! と熱くなる。
はッ、いい気分だ!
こいつが俺の魔法、“メールストレーム・ボイス”だ。
ヒュウ、と口笛を吹きながら、胸の奥の熱い息を吐き出す。

『メールストレーム! 暴れてきな!』

俺様の息から生まれた風の竜が姿を現し、牙をむいて、嵐のような勢いで、標的へと襲い掛かった。

「ぎゃああああぁ!」


女どもは、はしごから転がり落ちる。
メールストレームは二匹に分かれてそれぞれに食いかかる。
床に激突する直前には、女どもはそれぞれ、風の竜の長い尾に、二人そろってぐるぐる巻きに縛り上げられた。

いやっほ、絶好調!!

「最初からこうしてりゃよかったぜ」
「お前、言ってることもやってることも完全に悪役みたいだな」
「うるせー」

一仕事片付いて、早くもカルマは一服吸ってやがる。このスモーキーめ。

「くっ・・・! ただのチンピラだと思ったのに」

芋虫のように転がりながら、恨めしそうに俺たちを睨む。

「いやいや、俺たちはとっとと仕事を片付けたいんで一番手っ取り早い手を使わせてもらっただけだ。残念だがな、国の麻薬取締りうんたらかんたらの連中は、自分たちがチマチマと働くより、俺らに依頼した方が手っ取り早いと考えたようだぜ。お偉いさん達の作戦は正解だったようだな」
「そういうこと。お前たちを、死のドラッグ、『アズラエル・バタフライ』を売っている現行犯で、国家監察所に連行する。観念するんだな。恐らく死刑だろうが」

背の高い方の女は、噛み付きそうな目をして俺たちを睨んでいたが、その横で、小柄な方の女が、かすれた声で呻いた。

「ま、まって・・・、じゃああなた達は、アズラエルを奪い取るために来たわけじゃないのね」

なんだかさっきと口調が違うな。

さっき暴れたためか、それとも今もがいたためか、髪型も乱れて、けばかったほどの化粧もほとんど落ちてしまっている。
こうして見ると、意外にも、二人とも、まだ顔立ちにあどけなさが残っているような若い少女達のようだった。

「ああそうさ、俺達は、『アズラエル』からこの街を救ってやるために来たんだ」
「ここにはアズラエルは置いていないわ」
「何?」

何を今更。
この場から逃れるための、下手なでまかせにしか聞こえないな。
背の高い方の女も、吠えるように怒鳴りたてた。

「嘘だと思うなら、店の中を隅から隅まで調べてみな!!! 売るためのアズラエルなんか、粒子のひとかけらだってここには置いて無いよ!!! あたしたちは、アズラエルだって言いくるめて、偽の薬を売りつけていたんだ!!!この街じゃ、誰だってアズラエルを買いに来る、アズラエルだって信じさせれば、中身がどんな薬だろうが簡単に売れるんでね!!!」

ちらり、と、カルマと目を見合わせた。
まあいいさ。嘘かどうか、調べるのは簡単なことだ。

「ストリングス・・・」

カルマが指先に握るピックが、弦を弾いた。ピィンと澄んだ音が、空気を振るわせた。幽かな音の振動は、店内の隅々まで行き渡る。カルマは、その反響音に耳を澄ませている。

「どうだ?」
「・・・・・・」

もう一度、弦を弾く。
さらに吟味するように、ゆっくりと、もう二度。

「おい」

なんだか嫌な予感がしてきた。
こいつの腕が狂うはずはない。

「無いね」

カルマはきっぱりと口にした。

「どうやら完全に、無駄骨だったようだ」
「マジかよおおおおおおっ!?」

ちくしょおおーーーー!!!
楽に仕事が片付いて、これで今夜は、帰ってゆっくり美味い酒が飲めると思ったのにーーーー!!!


がしゃーーーーん!


はい?
・・・・なんとぉっ?!
天井から、鉄格子が降りてきて、俺達二人を閉じ込めた?!

「あー・・・危ないところだったぁ・・・」
「ほんと、ちょっと焦ったわ。よいしょっと」

背の高い方の女が、ひざを払いながら立ち上がる。
あ、風の竜、消えてやがる?
うぉっ! 俺のメールストレーム・ボイスは、持続時間が短いのが欠点なんだ!

「でも、ちょっと面白かったかも、ふふふ」

小柄な方の女も立ち上がる。そして、トントンとミュールのかかとを整えた。
ちくしょう、さっきのガスといいこの檻といい、さては、靴のどこかにでも、罠のスイッチを隠してたな。

「おい、ラック・・・」
「うるせー! 俺のせいじゃねー!!!」

カチチッ

ん。
こ、この音は・・・。

「さてと、あんた達が何者かは知ったこっちゃないけど、あたし達の大切なお店で大暴れしてくれた落とし前はつけてもらわないとね」

こいつら、俺達が取り落とした銃を拾い、シリンダーを回している。
げげげ。
今度は俺達が銃口を突きつけられる番だってか。

「命乞いするのは屈辱でしょう」
「まーな」
「かといって、こんなところであっさり死にたくは無いでしょう」
「そりゃあね」

ちくしょう。今日は厄日かよ。

「見逃してほしいなら条件があるわ」
「ほー、そりゃ一体何だろうね」
「・・・・・・・・・・・・」

女の目が、静かに、じっと俺達を見据えていた。
妙に追い詰められたような、やけに真剣な目だった。


「アズラエルから、この街を救うのに、協力してほしいの・・・」


あたし達と、手を組みましょう。


二人の女は、そう要請した。
それが、俺達をこの檻から出す条件と、俺達がこの店で暴れた代償となった。







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