・第十四章






雨が降っていた。灰色の空をいっそう煙るように曇らせて。
湿った空気の匂いが嫌い。この街の空は決して美しいものじゃない。
毒が溶けた空気を吸って、因果応報のように注いでくる。

だけど、雨に濡れるのは嫌いじゃない。
泣きたくなる心が、許されるような気がして。



「リズ」



水溜りを踏んで立ち止まっているあたしを、再度呼び止める声。
わざわざ追いかけてきたのかな。ラックがそこにいた。
黒鋼の髪。鉄色の瞳。上から下まで黒一色の衣服に身を包んだ男の人が、灰色の景色の中に佇んでいた。
か細い雨の雫を受けて、穏やかな微笑を浮かべていた。



「・・・声が聴こえたんだ」



静かな雨の滴る音に似た、抑揚の無い声音が、低く響いて波紋のように届いてくる。



「声・・・、何の?」

「君の声が」



ぴしゃん。
一歩、彼が踏み出す足音が、揺らぐ水鏡を砕いて水滴に変える。



「・・・別にあたし、何も言ってないよ?」

「それでも、聴こえたんだ。俺には聴こえる。人間の喉と唇で空気を振るわせる音だけが声とは限らない。
 リズ、どうして・・・泣いている?」



・・・泣いている?

この人の言葉はいつも、言葉遊びの遊戯のようだ。裏にある真意が何も見えない。それとも表も裏も最初から何も無いのかもしれない。
ただ、どこか独特に響いて、全てを掴みきれない。
それなのに、一度聞くと耳から離れず、忘れられない。



「泣いてない・・・よ・・・?」



泣いてないよ。
自分の声がかすれていた。きっぱりと否定できないのは、きっと、この雨のせい。
濡れることを避けられない空の下では、霧のような雨が頬に触れては、流れ落ちていく。
泣いていない。きっと、気のせい。



「なぁ・・・よければ、話してくれないか」

「何が?」

「何でもいい。この街のこと、君自身のこと、薬のこと・・・。君が抱え込んでいるもの全て。俺はそれが聴きたい」



抱え込んでいる・・・? どうしてそんなこと言うのだろう。
こんなことしてる場合じゃない。サフラを探しに行かなきゃ。もしかしたら危険な目にあっているかもしれない。
だけど、どこにいけばいいのかわからない。
右も左も同じに見える。どこにも行けない。道も何も無いのだから。



「ラック・・・・・・」



降り注ぐ雨が、重い。



「”魔法使い”・・・・・・」



この世界で、奇跡を探しに来たと言った。
奇跡って何だろう。そんなものがあるのかどうか、信じられない。
だけどもし。
そんな魔法があるのならば。


治してほしい。



「どうしてあたしには・・・何もできないんだろう・・・・・・」



この世界の病を、治して。
あたしが治すことができない苦しみを、消して。



「”魔法使い”・・・、もし魔法使いが、奇跡を起こせるというのなら・・・あたしの病気を、治してよ・・・・」



あたしの中の、”後悔”という病。
降り注ぐ雨が、重い。このまま溶けて流れて消えてしまえばいい。何もかも。
今も昔も、あたしは何もできずにいる。
苦しんでいる人を助けてあげることができればいいのに。
笑っていてほしい。

そんな魔法があればいいのに。



「泣かないで・・・・・・」



降り注ぐ雨をそっと拭うような、穏やかな微笑、柔らかい声音。
変なの。人をからかうような、そんな笑みにも見えるのに。
信じる気持ちになれるのは何故だろう。あたしの内に染み込んでくる。


しとしと。
静かに。
注いでいく。


泣いているかな・・・あたし。
泣いているかもしれない。


ラックが伸ばした手が触れる。変におずおずしてぎこちない手つき。
まるで、人に触れたことが無い手みたい。
妙に子供っぽいしぐさで、少し可笑しかった。



「そうか・・・わかった」



あたしに触れて・・・、ラックは、少し考え込むようにじっとしていた。
そして一人で頷いていた。



「何が」

「君の声が好きだよ」



・・・・・・・・・・。
何て返せばいいのか、微妙な反応をしてしまう。
『声』って。そんなことを言われたのは初めてなのだけど。
からかわれているのか。それとも喜ぶべきなのか。
やっぱりこの人、言うこともすることも、よくわからない。



「きっと俺は、君の声を聴くためにここに来た」



気のせいだろうか・・・・。
少しだけ、空の色が明るくなった。雨の色が、澄んでいく。










「俺達二人が・・・何をしにこの世界へ来たか、教えようか。
 この世界が滅ぶのを、見届けにきたんだよ」










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