・第十八章
狂わされた鼓動の音が灰色の街をさまよっている
どこへ届くのか どこへ消えるのか
誰にも見つからずに泣き続けている
カツン カツン カツン ・・・ ・・・
それは軋んだ世界が流す涙の雫の音色
* * *
踏みしめた足の下で、砕けたコンクリートの破片がガラガラと音を立てた。
歩み寄る足音に気づいて、一人の死にぞこないの少女が、はっと見開いた目を向ける。
「誰・・・・・・」
そのささやきは鈴の音に似ていた。なぜか無性に心をかきたてられる。
瓦礫の物陰に隠れるように、一人静かに体を横たえていた彼女は、散らばっているコンクリートの破片と似ていた。
「カルマ・・・」
特に驚く様子もなく、同じ調子でつぶやいた。そして微笑む。
「あたしを殺しに来たの?」
ただし瞳は笑っていなかった。
「ここが君の庭かい」
「・・・・・・そうよ」
地面を厚く覆うコンクリートを砕いて、種をまいた。
そのすきまから、草花が芽吹く。薬の原料になるハーブや薬草だ。
「あたしが作ったの」
ほんのわずかでよかった。
化学物質から護られた本来の土と、曇りのない陽の光と、蒸留された水があれば、ぼろぼろになった体と心を癒す薬が作れる。たった一人でも生きることができる。
都会の灰色とは不釣合いな、まばらな緑。
ここはコンクリート・ガーデン。
「あたし・・・、醜いでしょう?」
ただれた肌をさすりながら、ぽつりと言った。
「薬、飲み続けていないと、こうなってしまうの。戻ってしまう」
中毒性を引き起こす薬の毒は、内側から体を崩そうとする。
「だけど・・・もう嫌なの・・・。薬の味が。喉が焼けそう・・・・・・」
「俺は君を止めにきたんじゃないよ。君の味方になりに来たんだ」
「・・・・・・あたしの?」
「ラックは、君の友達の味方になったよ」
微笑む彼女の手にはナイフが握られている。
拒絶と警戒。疑心と不安。
だけど孤独という病は、確実に彼女を蝕んでいる。
これ以上彼女を、独りにさせてはいけない。
何が正しいか、何が間違っているかなんて、そんなのは関係ない。
「・・・・・・だったらなおさら信じられないわ。どうしてあなたはラックと一緒に、リズの味方をしないの?
あたしは全てを壊そうとしているのに」
「壊す代わりに救おうとしているものがあるじゃないか。それは君自身だ」
壊れかけた微笑の、狂った瞳が一瞬揺らいだ。涙で潤んだように見えた。
「君の中から聴こえる旋律(うた)に、俺は魅かれるんだ」
無数に重なる世界の、無数の人間が散らばるどこかの場所の、ほんの片隅。
何かを救おうと思って、ここにやってきたわけじゃない。
俺達はただのさまよう旅人に過ぎない。
だけど。
”歌”を探してやってきた。
そしてここにたどりついた。
だから、君の奏でる音色には、奇跡と呼べるだけの価値がある。
君の持っている曲を、最後まで聴き届けたいんだ。
「そう、・・・・・・じゃあ、あたしと一緒に壊れてくれるの?」
哀しみで歪んだ微笑は。
崩れた羽で空をさまよう蝶。
「いいよ」
口づけをかわした。
その時にそっと手を伸ばした。
薬。
アナタ ト オナジ 夢 ガ ミタイ ・・・ ・・・
聴いてあげるよ。
君の歌声を。
* * *
あれからずっと。
サフラを探して地上の街をさまよった。
探さなきゃ。探さなきゃ。探さなきゃ。
心が薬に蝕まれて、壊れてしまう前に。
重くよどんだ空気が、灰色の空の下に滞っていた。
心が正常に動く時間は限られている。薬の幻覚作用から覚めて、徐々に禁断症状が起こるまでの、ほんのわずかだ。
動け動けうごけうごけうごけ・・・
手にも足にも変な痺れが残っていて、思うように動いてくれない。
シュエ、どこにいるの。
心の中ではどうしてもまだ信じられなかった。
シュエは死んだはずだった。
薬の副作用・・・そう、最初に作ったあの薬。アズラエルの元になった薬のせいで。
あたしが渡していた薬を服用し続けて、そしてあの子は、やがて目を覚まさなくなって・・・。
そして触れた時の、冷たい手の感触を覚えている。
自分も全身が凍りつく思いがした。
ふと・・・自分の首筋に触れた。
もう跡は消えているけれども、サフラが薬を注射したとき、指先が首に触れた。
確かにあの手は冷たかった。
それでも彼女は、シュエだ。ずっと、生きていた。
あの子は一体どこに消えていたのだろう。この荒廃した街でたった一人で。
薬で自由に動けなくなっていたはずの体で、一体どこに潜んでいたの・・・。
サフラ。
あなたは一体誰だったんだろう。今まで一緒に過ごしてきたあなたは。
最初に出会ったときのことを覚えてる。
あたしが、麻薬の取引をしていた連中を見つけて、打ちのめしていたとき。
脅されてここに来たと言ったあなたは、あたしの手伝いがしたいと言ってくれたじゃない。
悪夢を招く薬と戦いたいと。
一体、どこからが偽りだったんだろう。
髪の色も、瞳の色も、背格好も、話し方も、声さえも・・・
数年前の、あたしの記憶の中にあった様子とは違っていた。
だから気づかなかった。
「どうして気づかなかったんだろう・・・・・・」
悔恨の言葉を口にすると、涙がこぼれた。
目をそむけていたのかもしれない。
自分のせいで死んでしまった友人のことを。
もし仮にシュエが生きていたら、どうしてあたしが、シュエと会うことができるだろう。
会えるはずもない。
もし仮にサフラが実はシュエだとしたら。
きっと一番考えたくないことであり、考えられないことだった。
シュエが自分を偽ってあたしに近づいてくるとしたら。
それはきっと・・・復讐のため。
あたしのせいで死んでしまったあの子が、あたしを恨んでいるのではないかと。
きっとあたしは、それを一番恐れていた。
『私はリズを信じているよ』
いつだったか、サフラがあたしに言ってくれた言葉。
『きっとリズが・・・悪夢を癒す薬を作ってくれるって。信じてる。リズが必ず、病んだこの街の薬になる。
だから私はその時まで、ずっとリズを支えてるよ・・・』
あなたの薬になってあげたかった。
そうすることでしか。
許されないのだろうか。
「う・・・・・・」
体が重い。自分の周りだけ、重力が何倍にもなっているんじゃないかと思うくらい。
引きずるようにして、手足を動かそうとする。
漆黒の蝶が宙を舞う。
毒の鱗粉を散らして、寄ってくる。
紅い蜜を吸いに来る。
「やめて・・・・・・!」
幻覚。
目の前がぐにゃぐにゃに歪む。
「大丈夫か」
灰色の瓦礫の上に黒い影が立つ。
黒衣の魔法使い。
この人はいつも、足音もなく現れる。・・・影のように。
そして、つかみ所のない笑みを浮かべている。
普通に話しているときは、子供のように無邪気な目をして笑うのに。
暗闇の中では、老獪な狂戦士のような表情を見せる。
「そろそろ薬が切れることだろうと思って探しに来た」
「別に・・・まだ平気よ、歩けるもの・・・」
「目の焦点が定まってないぞ。ちゃんと前見えてるか」
手を差し出してくる。
あたしの腕を掴もうと。
やめて。触らないで。
まだ諦めるわけにはいかないんだ。
サフラに、どうしても伝えなきゃいけないことがあるんだよ。
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