・第二十二章





静寂は哀しい歌になり
悲鳴は地獄へ届くレクイエムになる
遺された生ける者達の声はどこへ消えてしまうのか
つぐんだ助けを求める声は届かないのか
誰か 誰か
あの哀しい声を聴くことができたなら
終わりの無い物語に
幸せな結末を書き添えてください









無音の静寂
無明の暗黒


凍りついた世界を溶かすのは

唇から漏れる吐息
胸から疼く祈りの声

ココニイル ト 唄ウ 叫ビ




(無残だな・・・・・・)




カツン・・・・ピシャン・・・



一歩歩み寄ると、鈍い音を立てて足音が響く。
冷えた血溜りに横たわる朽ちた亡骸。
時間の概念で測るならば、「死」というものは過去だ。
通り過ぎて消えうせた暗黒。


空間の狭間に身を潜め、影を翻すだけで、どこへでも姿を隠すことができる。


わざと、ただ傍観していたわけじゃない。
ずっと待っていた。
探し続けていた、たった一言の歌声が届くのを。


だけど聴こえなかった。
最期まで聴こえなかった。
そして彼女は亡骸になった。
血溜りに無音を横たわらせた。


「リズ・・・・・・」


名を呼ぶ声に応える声は無い。
傍らに立って、物言わぬ血の残骸となった彼女を見下ろしていた。
床の上に投げ出された手足は、青く、白く、痩せ細っていた。
切り裂かれた傷から溢れた体液は、広く彼女を包んで赤黒い絨毯を敷いていた。
胸には黒い空洞が開いていた。
血の赤と、その中に覗き見える骨の破片の白。それらを覆う影の黒。
紛れも無く彼女は朽ちていた。
青く、冷たくなっていた。

血の気の引いた唇は、薄く開いた形をしていた。
威勢の良い、弾けるような声音で活発に喋っていた彼女のことを思い出す。
あの声はもう途切れてしまったのか・・・。

切り開かれた胸の空洞に向けて手を伸ばした。
何か。
何か聴こえないか。
耳をすませた。



その返答は、俺の胸から聴こえてきた。



「時計が・・・・・・動き出した」



動き始めた秒針。
噛みあって回り始める歯車。





「ラック、そいつどうする気だ?」




降って沸いたように聴こえてきたのは、カルマの声。
いつもどおりの飄々とした、ぼんやりした口調。何か面白がっている風でもある。
姿がここから見えなくても、指先で遊ぶ弦の音が共に聴こえてくる。
にやりと、あいつを挑発でもしてやりたい気持ちで、自然と俺にも笑みが浮かぶ。
彼が望んでいる結末は、多分、俺の描いてるものとは違うから。
だから、試してみたくなるんだ。
ささやかで無謀な、賭けを。



「治すよ、俺が」



俺が選んだ物語の続きを、唇に載せて告げる。
着ていたジャケットを脱いで、血溜りに横たわる遺体へ被せた。



「これはきっと必要なことだ」



狂った歯車が、何かのきっかけで元に戻った。
今なら、助けられるかもしれない。
この世界は、正しい時を刻む。一秒。一秒。一秒を、必要なだけの速度で測る。
今と現在と、過ぎた過去をつないで、正しい未来へと運ぶことができるかもしれない。


「正気か」
「もちろん」
「できるのか」
「わからない」


俺達は、音を操る魔法使い。
互いに声を聴かせるくらいは造作ない。
離れた場所にいるが、あいつがどこからかこちらの様子を伺いながら、楽しげに眺めている様子が俺にも見えた。
きっと、サフラのいる場所にいるのだろう。
あいつはあいつで、この物語に必要な音色を探し続けている。
見つけることはできたのだろうか。
運命を狂わせる軋みの棘を、消すことはできるだろうか。


「そいつに惚れたか」
「ただの気まぐれだよ」


・・・・・・やれやれ。ずいぶん高くつく酒代だな。
まぁ仕方ない。俺が自ら望んでやることにはかわりない。


『アズラエルから、この街を救うのに、協力してほしいの・・』


最初にこの店に来たときの、リズの言葉を思い出す。
凛としてそれでいて悲しげな声を覚えている。


『あたしは『薬屋』なの』


リズの声を覚えている。すべてこの胸の中に刻んである。
グラスとグラスが奏でるメロディー。色とりどりのアルコールが魅せるノクターン。


・・・・・・リズ。

君が歌を望むのならば。
奏でてあげよう。
聴いてあげよう。
物語の終焉を見届けに行こう。


「・・・君の作ってくれる酒、美味かった。ありがとう」


棚から一つ、小振りのブランデーグラスを取り出した。
リズはたびたび、自由にグラスを選んでは、その日の気分によく合う酒を注いでくれていた。
その礼を返すよ。
グラスに三分の一くらい、ホワイトリカーを注いだ。カクテルの配合は見よう見まねだが、こんなものかな。


「灯れ」


唇を近づけて、囁く。
ほうっと、熱を孕んだ息が炎になる。グラスの中に橙色の火が転がる。
小さなバラを一つ中に置いたように、幾重にも重なりながらひらめく炎だ。


「リズ・・・聴こえるか」


今はまだ、聴こえない。
鼓動の音は途切れてしまった。
ならば。
もう一度呼び起こしてみせよう。


「今・・・生き返らせてやるからな」


返事の無い、リズの亡骸の前で跪いた。


良い曲が作れそうなんだ。
そのためには君の声が必要だけれども。
君が作ってくれた酒は美味かったよ。君の奏でる”魔法”、確かに受け取った。
そのお礼に、今度は俺の魔法を見せよう。奇跡という魔法を歌おう。




乾いた唇 途絶えた鼓動 届かなかった君の声
大丈夫 大切なものはどこにも消えやしない 


俺が受け止めてあげるから
そうして君の中へと還そう

君の魂はまだ 君の中につなぎとめられたままだ
なら もう一度呼び起こせばいい

流れ落ちた血 欠けた心 開いた傷口
大丈夫 君は何も失ってはいない 

俺が補ってあげよう
手を貸してあげよう


心無い狂気も 幻想の毒も 
君の体をどんなに傷つけたとしても
君の魂までは壊すことはできなかった

君の声は俺が聴いてあげよう
俺が奏でる音できっと呼び覚ましてあげよう



さぁ 目を覚ますんだ。
今夜のスペシャルライブは今から始まる。
ボーカリストは君だ。

手にしたグラスを傾けた。こぼれおちるはずの液体は、床に届く前に淡い光を放つ。
そして形を持って、六本の弦を持つ楽器になる。
人の心に魔法をかける杖になる。


目を閉じて、気持ちを集中させる。
リズの声、リズの言葉、リズの涙・・・・・。
大丈夫だ、覚えている。
それらすべてが俺の中で、音を導く譜面を描いている。


滑らかな曲線を持ったボディーの弦楽器。六本の弦がピンと張ったネックを左手でつかみ、しっかりと抱え込む。大切な武器だ。
現に触れただけでもう、これから導くべきメロディーは、自分の中に溢れてくる。
そうだ、こいつを外に出してやらないといけない。
暗闇の中で眠ろうとしている彼女に、聴かせてやらないと。
リズ。君が内に秘めている音が、どんなに魅力的か、おそらく君自身はまだ気づいていない。
だから、俺が形にしてあげるよ。
奇跡を起こせるかどうかは、君しだいだ。
君は何を望むだろう。このまま眠ることか、それとも、救いか。
俺の魔法で君に問おう。


弦は、こんなに良い音をして震えている。
心地良い振動が指先を伝わって、胸にも層にも響いてくる。
・・・・・・この魔法がどんなに難しいか、わかっている。
だけど、試してみよう
それが、今の俺にできることだ。



さぁ、リハーサルは十分だ。
本番のための準備をしよう。
それまでもうしばらく待っていてくれ。


ジャケットの内側から、ガラスの小瓶を取り出した。
一見透明で、何も入っていない。
手を掲げ、目線の高さまで持ってくる。後ろの景色が曲線で歪んで見えた。
この中に、今の目の前の世界を閉じ込めた。
円を描くように軽く振る。
蓋を取ると、俺は瓶の口に自分の口を当てた。目を閉じて、首ごと傾けて瓶を逆さにする。
入っているはずだ。魔法の種が。頼む、出てきてくれ。
俺の中に留まっている雫を、祈るような気持ちで探した。
時をさかのぼって、思い出せ。
リズを呼び覚ますための奇跡の欠片は、どこにあるんだ。
息を止めているほんの数秒が、ひどく長く感じた。
不意に、何か小さな塊が、口の中に落ちた。
これだ!
俺は全神経を集中させて、奇跡の糸口を舌の上で転がしていた。


よかった。
君の求めているものが、ちゃんと見つかった。


口の中で溶けたものを、喉の奥へ落とし、胸へと送った。
さて次は、失ったものを与えてあげよう。
呼び起こしてあげよう。



 トクン トクン トクン ・・・・・・



胸の中で鼓動が騒ぎ出す。














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