【 broken beat - other - 3 】
「おーっ、すげー、面白いなそれ。さっすが”魔法使い”」
カルマがギルに、トランプを操る術を見せている。
右へ左へ、上へ下へ。
消えたかと思えばまた現れて。
一瞬で裏と表と、描かれている図面が変化する。
彼の手の中で、四方形の薄い紙が自在に踊る。
素直に面白がってはいるが、”魔法使い”と呼ぶ響きには、少しばかり皮肉がある。
こんな程度のもの、「魔法」などではなく、ただの手品にすぎない。
もちろんカルマもそのつもりだ。
賞賛の声を聴きながら、煙草をくわえた口元を笑みの形に動かす。
「メイキング・ジョーカー」を訪れた二人の黒衣の男、ラックとカルマ。
近くにいても、影のような気配がする。
ふっと目を逸らすか、一度瞬きをすれば、そのすきに姿を消してしまいそうな希薄な気配。
ここにいるけど、それは必ずしも確かではない。
現実味の無い存在感。人間としての匂いがしない。
”魔法使い”と呼ばれる人間は、御伽噺じゃなくて確かにどこかに存在するらしい。
だが別にそれは、何か人助けをするわけでも、利益や害をもたらすわけでもない。
ふと気まぐれに現れてはすぐに姿を消す、蜃気楼のようなもの。
赤毛の少年は、にやにやと口元に笑みを浮かべて、熱心にカルマの手元を眺めている。
まだ若く、線の細い顔立ちには、あどけなささえ見えるほどだが、眼には狡猾そうな鋭い光を宿していた。
「サフラがさぁ、あんたのこと気に入ってるみたいなんだよね、
なんかさぁ、楽器? みたいなの持ってるらしいじゃん。あれがすごいんだって。
俺にも見せてくれよ」
きょとんと、”魔法使い”の手が一瞬止まる。
立ち上がっていたトランプが、ぱらぱらと指の間を滑ってテーブルに落ちた。
肉付きの薄い唇が、わずかに両端を釣り上がらせて。
「これのことかな?」と、声無くささやいて動く。
指先で指し示したのは、カフスに付けた、小さな銀の十字架。
彼の手の中に落ちたとき、それは姿を変える。
なめらかな曲線を持った。六本の弦を張った”剣”。
小さな装飾品が、一瞬で一抱えの弦楽器に姿を変えた様子を見て、あどけない瞳はしばらく瞬きを繰り返していた。
「へぇ・・・本当だ。すげぇ」
カルマは小さく息を吐き、抱えた”魔法の杖”を椅子の間に立てかける。
短くなった煙草を灰皿に押し付けて、グラスのウイスキーを口に運んだ。
苦味のある琥珀色。喉に逆流する吐息が熱く燃える。
「俺も魔法使いになれるかな。なぁ、魔法ってどうやって使うんだ。教えてくれよ」
ビロードの椅子の背もたれにひじを乗せながら、ギルが身を乗り出してくる。
カルマは小さく手を横に振る。
返事はノーということらしい。
「ちぇっ」
どこか楽しんでる様子で舌打ちをして、頬杖をついている。
「魔法ねぇ。そんなもんがあったら面白いだろうな。
何だって手に入るだろ?」
金も、人の命も、快楽も。世界も。
「そういや、あんた達も最初は”アズラエル”を探してここに来たんだっけ?
それとも、麻薬密売の賞金首目当てか。
ここの店ではこんなことしてるけど、薬買える場所なんかいくらでもあるよ。
なんだったら俺が案内してやろうか、身の安全は保障しないけど」
アズラエル。
その名前を出すときに、少年の顔は、さも愉快そうに歪む。
くくくっと、息を殺したような笑い声が漏れた。
「ああごめんごめん。いやさ。ここの店にいると、いろんな人間が出入りしてて面白いなって。
あんたもさぁ、ちょっと気にならないか?
なんで、リズやサフラが、こんな店かまえて、アズラエルの流通を潰すとか言いながら、この地下街で『薬屋』なんかやってんだろうって」
緑色のレモンをかじって、テキーラのグラスを豪快にあおる。
ずいぶん饒舌だが、酔ってるのかもしれない。
「俺さ、前までは、ちょっとした密売グループのヘッドやってたんだよね。
手下もいっぱいいてさ。
いやもう、正直面白かったねぇ。薬を仕入れて、さばくのがさ。
どうしてどいつもこいつも、薬に飢えてるもんかな。
・・・・・・ところがだよ」
皿から直接指先に、塩をすくって放り込む。唇についた白い粒を舌先で舐める。
野良猫が餌をむさぼる様に似ていた。
「驚いたことに、たった一人の女に全部潰されちゃってさ。
組織も、苦労して築きあげた裏取引ルートも、利益も、全部パァだよ。
いっそあれはかえって笑えちゃったね。まぁもともとほんの遊びみたいなもんだったけどさ。
命知らずも無茶も、大胆すぎてかっこよかったね。
あ、要するにそれが、リズなんだよね、ここのねーさん」
くくくっと。
更に笑いがこぼれる。
『今ここで死ぬか、あたしの手下になって協力するか決めなさい』
銃口を眼前に突きつけられたときの台詞は、きっと一生忘れられない。
そして思い出すたびに笑いがこみ上げて止まらない。
『あなたの病気はあたしが治してあげる。そのほうがきっと、楽しいわよ?』
退屈という病を癒す、狂気。
☆
「もうこんなことよせ・・・。お前が戦い続ける必要は無い。こんなことばかり繰り返していても、何も解決しないし、お前が傷つくだけだろう。
アズラエルのことはもう諦めろ」
聞きたくない。そんなの聞きたくない。
あたしが傷つくかどうかなんて、そんなのは問題じゃない。
「・・・笑いたければ笑えばいいじゃない。あたしのしていることは全部無駄な悪あがきだって」
「違う、俺は・・・!」
スタリオの手が、あたしの腕をつかむ。痛いほどの強引な力だ。
「俺はお前にまでユーナのようになってほしくないんだ!」
「離してよ!」
全てを諦めて、目の前に撒き散らされている苦しみに目をつむれというのは、あたしに死ねと言うのと同じだ。
何もするなというのはそういうことだ。
「怒りを抱え続けていても、虚しいだけだった・・・。こんなことばかりしていても、どこにも終わりはない。
リズ、だからもう、過去のことなんか忘れよう」
「馬鹿なことを。
アズラエルはまだ過去にはならない。今も、薬に手を染めて苦しんでいる人が増えている。
あたしは、やめない」
お願いだよ、スタリオ・・・今更そんなこと言わないで。あたしには、これしかできない・・・。
心の奥に灯した炎は、いまだ消えることは無い。
体を引き裂かれるような、酷い苦痛ばかりが胸に刻み込まれている。
そう。自分の苦しみなんか、何も問題にならない。
「諦めろ」なんて、そんなのは嘘だ。
スタリオの眼は、いまだ鋭い刃のままだ。
他人を傷つけることで己が血を流すことをためらわない、獣の牙。
なのに、あたしへそれをやめさようとすることは、少なからず、自分の苦しみも自覚したんだろう。
この傷を治すには、どうすればいい。
流れ続ける血を止めるには、どうすればいい。
応急処置にしかならないとしても。
荒んだ傷に寄り添う包帯が必要だ。
「スタリオ・・・・・・」
手を伸ばす。唇を寄せる。
冷えた心を温める手になろう。たとえ、血に汚れたとしても。
「別にあたしは、戦ってるとか、償いのためだとか、自ら傷つこうとしてるだとか。そんなややこしくて面倒なこと考えてるわけじゃないわ。
そんなことが理由だとしたら、それこそ、エゴだと思うもの・・・。
本当にただ、こうするのが好きだからやってるの。やりたいからやってるのよ。
あたしがやってることは、今も昔も同じだよ。
『人が幸せになる薬を作りたかった』。
あたし・・・お酒造るの、楽しいよ?
美味しくて、綺麗で、いい香りがして。
アルコールが喉を通ると、胸が熱くなって、気持ちがふわふわして、凄く楽しくなるの」
薬は、苦い。化学物質の合成物。人の体を攻撃する武器。
あんなものじゃ、人の心までは癒せないの。
「そんなものが、人の悪い部分を治す薬になったら、素敵じゃない?
だからあたし、お酒を薬にしたかったの」
どうか、この悪夢を癒せますように・・・・・・。
「あなたには、どんな薬が必要なんだろうね。
もう・・・待ち続けるだけじゃ、治せないのかな・・・・・・」
怒りが生むのは、虚しさという後遺症。
悲しみが遺すのは、心を凍てつかせる傷跡。
完全に癒えることはない。
ならばせめて。
薬になることができないのならば。
傷跡を包み込む絆創膏になりたい。
「好きにしていいよ。それでどうかもう・・・あたしのことは、忘れてほしい」
人は、簡単に寄り添うことができる。
冷えた体を温めたいと思うように。
離れることもまた、簡単なんだ。
諦めるのと同じように。
忘れることだけが、ただひたすら難しい。
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