【 broken beat - silvia - 5 】






暗闇に佇む二人の人影。
黒いコートに身を包んだ男。

魔法使い。


「やぁ。また、会ってしまったな。自称・薬屋の、バーテンダー嬢」


灰色の瞳が、私を見つけた。
皮肉げな口調の、歌うような声音。
それともう一人。同じく、裾の長い黒いコート姿と、灰色のインナー。少しはねている茶色の髪。
手には、白く細い煙を浮かべる煙草。
長い前髪で目元が隠れているけれど、笑みを浮かべた口元ははっきりと見えている。

「ラック・・・それに、カルマ」

私がその名前を呼ぶと、魔法使いは・・・ラックは、少し哀しげな笑みを浮かべた。

「ああ、やっぱりお前は覚えていたんだな。俺達の名前を。本来ならお前は、俺達のことを覚えていてはいけなかったんだ。俺達は、ここの世界には存在しない者だ。
それが何を意味するのか、つまり」



ラックは、私に向けて右手をかざした。
キィン! と。耳鳴りのような、激しい弦の音色が響く。
暗闇に奏でる不協和音。


「リズ、お前は、俺達の持つ歯車に触れてしまった。お前自身の歯車が狂いはじめた」


赤い蠍(サソリ)が這っていた。
異臭の毒は音の振動に吸い取られて、空気は蠍の形となって床の上をうごめく。


やっぱり彼らは・・・
この世界から外れた存在(もの)達。


「聞け、リズ。お前は"歯車"を持っている」


軋んだ歯車。
小さな歪みはやがて大きな波紋を引き起こし、世界を壊す。


「別にお前が全て悪いわけじゃない。だけどお前は、何を作ってきた?」


それは私の薬のことを言っているのだろうか。
黒衣の魔法使い、音と声を操る彼の言葉に、今までのどの尋問よりも、まっすぐに胸を射抜かれる。

「必ずしも意図したわけじゃない、だけど思わぬ破壊や不遇を生み出してしまう。この世界に波を起こす何かが、いつしか必ず生まれて来る。リズ、お前もたまたまその一人だっただけだ」



ラックの指先は、ゆっくりと虚空を泳ぐように軌跡を描いて、そしてまっすぐに私の胸を指し示す。


「聴け、お前の内側の軋みの音を。お前は俺の魔法で歯車を軋ませた。赤い雫で甦った鼓動の歌声がある」


知っている。
切り裂かれた傷口が塞がって、えぐり取られたはずの心臓が、いまだ私の胸の中で脈打っている。


トクン トクン トクン トクン


この音が、私を縛っている。


「リズ、お前が『正常』を望むなら、お前のたどる道は、恐らくこの場で途切れる。この灰色の壁の箱の中が終着点だろう。それは死という名前の幕切れになる。
だがもし、お前が物語の続きを望むのなら。
俺はお前のその手を取ろう。
もしお前が、自分の在るべき道を外れることを望むのならば、お前は、『俺達と同じ存在』になる」


同じ・・・存在・・・・・・?



複数の世界を渡りさまようもの。
幾重にも平行に重なった時空を歩むもの。
それは確か、こう呼ばれていた。

魔法使い、と。



「歯車を外れたものは、世界に存在する別の歯車の流れを変えることができる。
世界には多数の歪みが存在する。そのまま黙認していれば、やがて確実に時計の針は進み、終末を呼ぶ。
お前はそれを変えることができるかもしれないんだ」



にやりと口元に笑みを浮かべた彼の言葉は
まるで悪魔の囁きのようだ。それともはたして、現れたメシアの言葉なのか。




「選べ、お前は平穏と引き換えに世界を壊すか?
それとも、歯車から外れた世界の狭間で永く苦しんで、破滅を変えてみるか?」


遠い未来を垣間見た。
私が生きていた、灰色の街だ。あれが、軋みつづけた世界の末路だ。
やがてすべてあんなふうに壊れてしまうんだ。
色彩も光も、音も声も、消え去って朽ちた世界。

嫌だ。
それだけは嫌だ。
私のせいなの?
何かを変えたい。


胸の中の鼓動が軋みつづける。


薬を。この世界に、痛みを和らげる薬を。
癒したい。助けたい。
笑顔を忘れてしまったのなら、安らぎのカクテルを・・・・

それが私に、できることならば。


幸せになるための薬を作りたい。



「ラック・・・・」


そして私の唇は、静かに彼の名前を呼ぶ。
『欠落』という名前。
音を与える魔法使い。


私のこの胸が、彼の声に合わせて歌いつづけている。


生きたい、と。



「私にもし何かできることがあるのなら、私、まだ・・・死ぬわけにはいかない」


この鼓動が歌い続けている限りは。
戦うことは苦しい。
生きることは痛みを伴う。
それがこの先、永く永く、螺旋のように続いて、きっと容易には抜け出すことができない。


それでも。


私の中の赤い雫。この一滴に、魔法をかけよう。



「ようこそ。俺の魔法を、お前にあげよう」




ラックはジャケットの内ポケットから、小さなガラスの小瓶を取り出した。
てのひらで包み込める程度の大きさの瓶の中には、透明なビー玉のようなものが入っている。


君の声が届くように
形を与えよう
誰かの手に拾ってもらえるのなら
色を与えよう
誰かの目に止まるのならば

震えていた涙の雫
その手のぬくもりで溶かされたなら
雫は流れて糸になって
紡いでいく
その心がたどる道標を
君の指先は
透明な糸を掴んで手繰りよせればいい


「これは・・・?」


現れたのは、ブランデーの瓶。
知ってる。私の好きな。
カクテルにもよく使っていた。

なぜ、これが現れるの?


「それがリズ、お前の『魔法』だからだよ」


枷はすぐに溶けて外れて消える
君の心が歌を紡ぐのなら
閉じ込められた壁は砕け散って消える
君の声が反響するなら

夢と幻が交錯する



「リズ、見せてみろよ。お前の魔法を。それを使ってどうすればいいのか。自分の胸に聞いてみるといい。お前は、自分が奇跡を起こせることを知ってるはずだ」



私が、何をすればいいのか。
何ができるのか。


ああ、そうだ。わかる。
私が叶えたいと願っていたことだ。


「薬は・・・まかれた薬は、消えたのかな」


私が囁くと、ラックの後ろに立っているカルマが、うなずいていた。

「ほとんどは。俺の魔法で処理したよ」


そう。よかった。


私、あの時願ったはずだ。
助けて。
助けてほしいと。
そうしたら、この二人が現れた。
私の声が、届いたんだ。

祈りは叶う。
だから私は、今度は自分で届ける番だ。


「スイング・・・」


空気中にまかれた毒を吸い込んで、倒れ伏している彼がいる。
体が動かなくなりながら、それでも、私を一緒に連れていこうとしてくれた。


ありがとう。
私、あなたに会えてよかった。
私のことを覚えていてくれてありがとう。
信じてくれてありがとう。


私が、あなたを助けるから。





あの頃、私の見えるものに彩が無かったのは、
私自身が透明だったから。

何の音も彩も無かった。


だけど、あなたと出会った。
その時から、私の日々の中に、メロディが生まれた。


これはある種の魔法なのだと、ようやく気づいた。

何かを変える力。
何かを与える力。
何かを動かす力。


薬を毒に変えることも魔法ならば、
毒を浄化する癒しも魔法。


それは生きていく時間の中で、波打ち、絶え間無く溢れ出す。


リズム。



自分の胸の中の旋律に耳をすませる。
私も、奏でてみよう。
もしも何かを変えることができる力があるならば。



指先に垂らした、ブランデーの雫が濃く香る。
アルコールが、空気を変えていく。


夜の来ない白い部屋。
星の無い夜の蠍は、弦の音に誘われて、巣の中へ帰っていくだろう。


あなたの体を縛る毒は、ただの幻。
この音色で、目を覚ましてほしい。
無音の夜が消えて、月が去ってしまうまえに。
伝えておきたいことがある。




「スイング、大丈夫・・・?」

空気中にまかれたのは、恐らく体の機能を麻痺させる神経毒だと予想はついていた。
すぐに死に至るものではなくとも、多量に吸い込むとやはり危険なものだった。

屈み込んでスイングの肩に手を触れる。
小さく呻いて、数度目を瞬かせた。
顔色に血色が戻っているのを見て、ようやく、胸を締め付けていたものが解けたような気がした。


「リズ・・・」
「ごめんなさい、スイング。私やっぱり、死ぬわけにはいかない。守ろうとしてくれてありがとう。あなたが信じてくれたように、私のしたことをすべて語ることができなくて、ごめんなさい」


この部屋にいたはずの、白衣の男の姿がどこにもなかった。
軋むような不協和音の男。
自分自身は毒を逃れて、あとで獲物を手に入れるつもりだったのか。

でも決して、こんなところに閉じ込められるつもりはない。


「スイング、私ね、大切な人を助けたかったの。幸せにするための薬を作りたかった。
でも、それができなかった。私の作った薬は、麻薬として広まってしまったの」


ぼんやりと、夢を見るように私のほうを見つめていた彼の目が、少しだけ色を変えた。
自分の仕事をするときの彼の表情だ。
少し頼りなく笑うあなたの、その真剣な目つき、嫌いじゃないわ。


「それが、罪状に書かれていたあの薬か・・・?」
「薬を作ったのは私、間違いない。研究所を焼いたのも私。教授は麻薬を地下街に流すと、私に共犯になることをすすめて。どうしても許せなかった」



一度起こってしまった出来事を変えることはできなかった。
私にできるのは、この先のことだけ。



「あなたにはあなたの正義がある。・・・私のことを信じるといってくれて、嬉しかったよ。
もし私がここで姿を消しても、スイング、あなたは許してくれるかしら?」
「ここを・・・?それはどういう」


あなたには信じてもらえないかもしれない。
私は、魔法使いに出会った。








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(2012/11/9)
















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