トントン。
 扉をノックする音が聞こえて、手を止めた。私が頼むまでもなく、すぐにシアンが扉に向かう。本当に彼女はよく働いてくれるので助かる。

「マイスター・ルグレ様のご住居とお見受けいたします。どうかご面会いただきたい」

若い女性の声のようだ。シアンが応対に困っている様子で話す声が聞こえる。
砂金を分けていた作業を中断して、扉の方へ向かった。
研究室は二階に設けていて、一階は本来居間だったが、ほとんど一階に降りることはなく、シアンとカーマインの生活空間となっている。
人の気配のない薄暗い一階を通り抜けて、ようやく玄関にたどり着く。
シアンの立っている前の扉の、わずかに開いた隙間から覗くのは、フードを被ってマントですっぽりと体を包んだ人物だった。

「どうか、マイスター様の作品を一目見せていただきたいのです」
「お仕事の依頼であれば私が代わりに承ります。しかし、工房にお通しすることはできません。ご用件があれば私から主にお繋ぎいたします」
「いいえ、どうかマイスター様に会わせてください。お会いしないことには私も帰ることはできません。不躾は承知の上でお願いいたします」

 木の葉のそよめく音のように控えめな声でありながらも、その口調には確かに真に迫った熱を帯びていた。
 どういった人物が訪問してきたのか、少々気まぐれな好奇心が心に持ち上がってきた。

「貴女は、私の所持しているどういった品々を作品だと思っているのでしょうか。私のコレクションに興味をお持ちのようだ」

目深に被ったフードの下に、麦穂の色をした茶色の髪と、薄く雀斑の浮いた幼い顔立ちが見えた。
現れた私の姿を見て、丸く目を見開いて硬直する。瞳の色は、淡い青紫色をしている。まるで、思いがけず奇妙な生き物にでも遭遇したかの様子だ。

「どうしました、私の顔に、何か奇妙なものでもついていますか」
「いえ、お話に聞いて想像していたお方と、少々違っていたので・・・」
「無骨な白髪頭の老人が、仏頂面してかまえているとでも予想していたのですか。世間に流れている私の噂とは果たしてどんな印象になっているのか」

「そこまで予想とは違わないでしょう、マイスター様、そんな風に若作りしててももう歳も歳だし」
「口調だけ紳士を気取ってみても、奇人変人なことには間違いありませんし。あ、ごめんなさいお嬢さん怯えないで。それでも良い人ですよマイスター様は。こう見えても」
「シアン、カーマイン、お前達は、私のことを敬いたいのか貶めたいのか、一体どっちなんだ」
「残念ながらどちらでもありません。本当のことをお話しただけです、マイスター」

私の左右に侍る二人が、まるで道化のような仕草でそろって一礼する。その様子を見て、来客はまたもや物珍しげに目を丸くしていた。

「彼らは?」
「ただの助手兼家政婦のようなものです。右の青いのがシアン、左の赤いのがカーマインと言います。少々お喋りのすぎるところが玉に傷ですが、とても役に立つ二人です」
「ああ、ごめんなさい、ついじろじろと見てしまって・・・・・・その、とても職人のようには見えなくて、まるで」
「まるで、見世物人形のようですか?」

うろたえて目を伏せた彼女に向かって、私は軽く微笑みかけて腕を組んで見せた。両隣で、二人も同じようにそろった微笑を浮かべている。

「昔、旅芸人から引き取ってきた子供達でね、未だにその頃の癖が抜けないんですよ。お気になさらず。別に、呪術をかけて動いている機械人形などではないので。さて、こちらの自己紹介はこのくらいにするとして。そろそろ貴女がどういった用件で私のもとを訪れたのか聞かせていただきたい。これでも、気がかりで仕方ない鉱石の分別を置いたままにして、作業を放り出してこうして話しているのだから。私の、何を見せてもらいたいだって?」

 訪れた少女は、目深に被っていたフードを頭上から取り払って肩に落とした。まだあどけなさの残る顔立ちの中に、気の強そうな瞳があった。芯の強さを映すその真っ直ぐな眼には、見るものを挽きつけるものがあった。

「私は王宮より遣わされて参りました、ミラジエ王女の侍女、ハルトと申します。単刀直入に申し上げます、マイスター。なぜ王宮からの呼び出しに応じないのです。私はあなたの様子を見てくるようにと申し付けられて参りました」

 流れるように名乗る口上には、控えめながらも凛とした気性を感じさせた。しかし全く心当たりのないその話に、私はただ首を傾げるより他に返す言葉はない。

「呼び出し? 待ってくれ、一体何のことだ」
「もう七日も前に、手紙が届いているはずです。ルヘルス王家の蝋印の封がされた封筒で、中にはパレミア女王よりあなたに宛てられた文面で」
 怪訝に顔を曇らせている傍らで、シアンとカーマインが互いに顔を見合わせている。

「・・・・・シアン、直ちに、研究室の机の上に積んである書類の束の中を、洗いざらい確認してみてくれ」
 仕方なく、王宮からの使者を証する彼女を室内に招き入れた。二階にたどり着いて、散らかって混沌とした室内を一望して、物珍しげに目を丸くしている。

「そこだ。その本の下かもしれない」
「うわぁ、ありましたよ、マイスター、もしかしてこれでしょうか」

 シアンが頬を引き攣らせて、指先でつまみあげたものは、端が僅かに曲がっている一片の紙切れ。もとい、やや大きめの真白い封筒。そしてその封に見える蝋印は、確かに。

「あらら、まさかの」
「待て待て。シアン、それはちなみに、いつごろ届いたものだ」
「さぁ、私はついぞ覚えがありませんよ」

 うろたえて手をぱたぱたと上下させているシアンの傍らで、のほほんと傍観していたカーマインが、急に表情の色を変える。まるで、うっかり口にしたクリームケーキが、腐ってしまっていたかのような顔だ。

「あ・・・・・思い出した」
「何が」
「そういえば届いてたの見たな・・・・・・。あとでマイスターに伝えておこうと思って、その辺にぽんと置いたままにして、綺麗さっぱり忘れちゃってたや」
「とりあえずカーマイン、少なくとも一週間はおやつ抜きだから」
「うえええ」
「そんなことより、そいつをちょっと開いて読んでみてくれ。何が書いてあるんだ」

 素早く取り出したペーパーナイフで、上質な紙でできた封筒を切り開く。その中からは、これまた高級そうな紗のような紙が出てくる。


「親愛なる錬金術師、マイスター・カゲ様。貴殿の日頃のご健勝何よりに存じます。さて、この度、愛する王女ミラジェが、婚約の儀を執り行います。その日にふさわしい黄金細工を、貴殿に仕上げていただきたい」

 
思わずがっくりと肩を落として額を押さえた。
仮にも王宮からの呼び出し令状を、うっかり放ったらかしにして目を通すのを忘れていたなど、とても大っぴらにできるものではない。

「ハルト殿、大変失礼をしたようだ。どうかこのことは内密にして、仕事が立て込んでいて伺えなかったということにしていただきたい。用意ができ次第参上することにする」
「本当ですか。必ずいらっしゃってくださいまし。その代わりというのも無礼かとは思いますが、私が先ほど申し上げたとおり、どうか、あなたの作品の一つをしばしお貸しいただきたい」


「私の作品とは・・・・・・貴女はどれのことを仰りたいのか」


 低い声で囁いて、口角を吊り上げて見せると、侍女を名乗った少女は身じろぎして後ずさる。

 恐れている。
 私のことを一体何者と思ってこの場所へ踏み込んできたのか。


「・・・・・その書簡はあくまでも建前なのです。その手紙をしたためたのは、女王パレミア様。しかし、私をここへ遣わしたのは、私のお仕えする主、ミラジェ王女様です。パレミア様はあなたと対面することを望んでいます。しかし、それ以上に、王女ミラジェ様が、あなたの手が作り出す金細工を早く一度見てみたいとのお言葉です。この場所になら、王宮では出せないような、もっと毒々しいものも隠しているのでしょう。錬金術師の異名を持つ、マイスター。それを調べることができるなら、私は我が王女のために、どんな対価もお支払いしましょう」


 錬金術師の異名を持つ者。

 それは、まるで戯曲の一説のように、あらかじめ用意された述べ口上のように聞こえた。すらすらと滑らかに申し立てる言葉の羅列に、胸の中がすっと冷めていく。
 シアンよりもカーマインよりも更に一回りは小柄に見える彼女の、着込んでいるマントの襟元に見える紋章は、確かに王宮に仕えるものが身に付ける、獅子と盾が組み合わされた図案のもの。手の込んだ悪戯と想像するには、その銀細工は明らかに精巧な代物だった。その紋章が本物であろうことは、彼女の姿を最初に見たときから気づいていた。
 王宮からの使者を称するものが、あなたは王宮ではとても見せられないようなものを隠しているでしょうと言う。そして、それを見せてもらいたいからここで出せという。

 おやおや。
 これは、どういう筋書きのくだらない喜劇か。

 錬金術師か。手紙の文面にもそういう呼称で書かれていた。それであえて私を王宮という場所に呼び出そうというのか。


「カーマイン。私が作っている『枯れない花』を、どれか一つだけここに持ってきてくれ。それで充分だろう。ああ、水晶の方ではなくて、金細工のものだ。そちらの方が、身分のある方々には目に留まるだろう。私が今出せるものというのはそのくらいだ」
 赤毛の少年はこくりと大人しく頷いて、研究室の奥の作品棚から、金の塊を一つ掌に載せて運んでくる。
 金色の炎の煌めきを、そのまま形を留めて残したようなものが、目の前に咲く。音も無く、声も無く、ただ一つそこにあって、存在という光を奏でるもの。

「このようなものを差し出せば満足でしょうか、ハルト殿」

 小さな薔薇の蕾。緩やかな曲線は今にもふわりと零れていきそうなたおやかな花弁の姿を作り、波打つ一枚一枚の重なりは、濃厚な香を抱くように見る者に囁く。
 ハルトは、差し出された黄金の蕾を見て呼吸を忘れて魅入っていた。

「まさか、こんなものを人の手で作れるなんて・・・・・・」

 まるで生きているみたい。天使の住む世界の花壇から摘み取ってきたもののよう。似たような賞賛なら聞いたことはあるが、別に私はそんな虚無な言葉の羅列など求めていない。

「蛙や髑髏の形をした金細工でもご披露してみせたほうが、わざわざ貴女がここへ足を運んでくださった意に叶っていたのでしょうか。そうでないことを祈りますが」
 嘲笑を込めて囁くと、青紫の瞳が怪訝に顰められた。冗談です、と、すぐにさらりと言葉を付け足した。

「王宮には必ず参ります。今日のところはそれでお引取りください」
「ええ、これを見せれば、王女もあなたが間違いなく随一の技巧を持っている職人であると安心なさるでしょう。訪れが遅れてしまっていたことも私が上手くお伝えしましょう。それでは明日、お待ちしております。必要であれば、馬車と従者もこちらに手配して遣しましょう。それと、身なりを整える正装の一式も整えさせましょうか」

 彼女の視線が、ちらりと私の姿を一瞥する。私の皺のよれた、埃で汚れて黒色がやや灰みがかって見えるベストを眺めている。その姿を見て、シアンが危なっかしげな表情をして口を半開きにしていた。だから言ったのに、と、声に出さなくてもそう言いたげなのが一目瞭然。はっきり言おう。余計なお世話だよ。

「不要で。貴人の前でご無礼のないよう身なりを整えますのでご安心を。一介の職人風情でも、礼儀作法くらいは存じ上げておりますので」
「そうですか。差し出がましいことを申しました。ではお待ちしております」

 淡々とした口調で、マントのフードを被りなおして、襟元を引き寄せて一礼する。ハルトという少女の、桃色をした唇が、フードで陰になった表情の中で笑みの形を描いていた。


 ―――貴女は何者だ。


 率直に問いかけようか否か、一瞬頭の中を選択肢がよぎったが、立ち去る歩みも素早く、軽やかに身を翻していってしまった。
 残されたのは、切り開かれた真白い封筒。


「シアン、もう一度、その手紙をよく私に見せてくれ」
「はい、マイスター」

 ふと、手にとって間近に眺めてみる。一見、普通の白い紙だが、かすかに、紙から何か薬品の匂いのようなものが漂っている。私はしばらく文面を眺めたのち、平たい皿に水を入れたものをシアンに持ってこさせた。おもむろに、ゆっくりと便箋を水の中に浸してみる。
 水に濡れて色が変わった部分が浮かび上がってくる。紙のインクは滲まない。水に濡れることをあらかじめ予見した、溶けることの無い特別なインクであることはすぐわかる。水を弾いた紙が、ゆらゆらと揺らぎながら、隠された言葉を詠う。


『孤独な王女の報われない恋物語
 どうかこの命が尽きる前に
 心を永久の黄金の花に変える
 貴方の手で添えて頂きたい
 未完成の戯曲にもう一つの結末を』 


 詩のような、あるいは暗号のような、それともただの言葉遊びのような。文字の羅列。
 これはまた。
 随分と奇妙な。



「愉快な喜劇だ」



 分胴皿と砂金の重さはなかなか釣りあわない。













 



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