私がこの手に触れたものを、黄金に変えて見せます。
 貴女が心を奪われるような、この世のものとは思えないほどの美しい宝飾品を差し出しましょう。
 そう言って跪くと、蒼い瞳の王女は、花が綻ぶように微笑んだ。
 私の心は私だけのもの。誰にも奪わせないわ。それでもあなたにはできるというの。
 ええ。奪って見せます。私は、貴女の錬金術師ですから。
 ダイヤのついた髪飾り。サファイヤをあしらった薔薇の花。肖像画のレリーフを刻んだ白金のブローチ。
 全て貴女の望むままに。
 それとも、こんな玩具では、貴女の心は満たされないのでしょうか。
 永遠に枯れることの無い花を貴女に差し上げましょう。


 馬車を降りてすぐ、待ち構えていた黒い燕尾服の男が私に恭しく一礼した。
「ようこそおいでくださいました。マイスター・カゲ様。私は執務官のウィスと申します。これよりパレミア王妃がお待ちの、応接間までご案内いたします」
 華奢ですらりと背が高く、まだ二十かそこらくらいの歳だろう。
「カゲ様、失礼ながら、その隣の少年は?」
 容姿端麗の若い執務官が、私の横に侍る赤尽くめの小姓服を着たカーマインを見て、露骨に不審そうな顔をした。
「私の付き人です。お目にかけるための作品を持参したのですが、私一人では手が足りないので。なに、怪しい者ではありません」
「・・・・・・承知しました」
 執務官に向かって、にこりと形ばかりの愛想笑いを浮かべて一礼している。衣装の色が少々毒々しい以外には、きちんとした正装であるので、私がそう介添しておけば、さすがに追い返しはしないだろう。
 床は磨かれた大理石で、靴音が高く響く。アーチを描いた円柱は、鳩のレリーフが装飾されていた。回廊をたどっていくと、広々とした宮中庭園が見えた。柘榴石のような色をした薔薇の花が咲いている。
「ウィス殿、お尋ねしてよろしいか」
「はい」
「ハルトという侍女はこちらにいますか。青紫の瞳の、若い侍女が」
「ええ? 確かにハルトという侍女ならいますが、彼女は」
 わずかに表情が曇り、何か言いかけて彼は口をつぐんだ。少なくとも私にはそのように見えた。それきり彼は何も言おうとしなかった。
「ところで、ミラジェ王女の婚約とは」
「ええ、当然もうご存知ですよね。ベイント公国のストー公爵の子息、クテルフ様です。お歳は十三。ミラジェ様の一つ上になります。どちらもまだお歳がお若いので、正式な婚姻は三年後と定めているそうです」
 ここを通る前に拝見した、王女の肖像画のことを思い出していた。金色の髪をして、飾られた人形のような幼い少女だった。あれが今年で齢十二か。
「周知のとおり、王には第一子のミラジェ王女の他にご世継ぎはございませんでした。二年前の遠征よりお体を崩されてより、政務は事実上、王妃パレミア様が全て執り行っています」
「それで、王女に婿をとらせて、クテルフ公爵を王に据えると」
「それはまだわかりかねます。王妃は、ミラジェ様を女王に据えるご意向のようです」
 随分距離のある回廊を歩き終えて、応接間にたどり着いた。
 礼服を着ている、政務官と思われる男性が数名。その傍らに侍女らしき女性が若干名。そして、一見神官か何かのように見えるゆったりとした灰色のローブを着込んでいる若い男。
 王妃も、王女らしき人物もこの場には見当たらなかった。もちろん、そのように予想していたが。王妃が一目のある場所でじかに私と対面するはずが無い。
 注がれる視線から感じ取れるのは、私に対しての好奇と、蔑視。
 作法に則って、彼らの前で立ち止まり一礼する。
「ルヘルス北のキンス郊外より参りました、金細工職人カゲと申します」
「堅苦しい挨拶は必要ない、ここに呼ばれた理由はわかっているだろう。貴殿の腕前を見せて頂きたい。技術師の頂点を意味するマイスターの称号を持ち、錬金術師の異名を持つ貴殿のことだ」
 右目にモノクルを着けている、貴族と思しき男が口を開いた。
「まさか、とんでもありません。私は気ままに作りたいものを形作っているだけの、粘土細工の遊び人のようなものです。仮にマイスターと呼ばれていたとしても、このようなご身分の高い方々の前で、ひけらかすような大層な腕など持っておりません」
「わざとらしい謙遜などしなくてよい。貴殿の場合は口で語るより、己が作ったものを見せるほうが、貴殿のことを雄弁に語ってくれるのだろう。さぁその持って参った代物を見せてみよ」
 私は顔を上げて、にやりと口角を釣り上げた、貴族の奢りの含みが、言葉の端々に潜んでいる。
 ならば見てみるといい。
 身分の無い一介の職人に、どれほどの物が作れるのかと貶めているその視線で、具現化した金色の炎を目に焼きつけて見るといい。
 目配せをするとすぐにカーマインは、運んできたビロード張りの小箱から、金細工を取り出して、用意された漆黒の漆の卓上の上に並べ始めた。
 真珠をはめ込んだ象牙細工の猫、トパーズを使った宝石の花束。純金の鸚鵡。
 立ち並ぶ人々の目の色が変わった。まるで幽霊を目にしたようだ。
「これはまさか、ありえない。どうして王族と血縁でもない平民の技工師が、これほどの物を作り出せるのだ」
「おやおや、これは面白いお言葉ですね。まるで王族と血縁でないと、金細工を生み出せないとでも言いたげだ。そういえば、王家専属の金細工師は、必ず貴族出身であるとのことですが」
 政務官らしき男が、金細工の一つを手にとって眺めている。手に触れることができない幻を掴むような手つきだったが、指に触れれば、金の重みも、象眼した宝石の光沢も本物だということがわかるだろう。
 そして、傍らで見ていた神官風の男が、口を開いた。
「これは本当に素晴らしい。彼は間違いなく、マイスターと称されるにふさわしい腕前を持っています。これほどに精巧で、命を吹き込まれているかのような輝きの細工は、とても並みの職人には作れるものではありません。この私、ティルティラがしかとこの眼で拝見したしました。王宮付き錬金術師の一人である私の名において、彼は王妃のお目どおりにかなう人物であろうことを保証いたしましょう」
 王宮には、専属の錬金術師がいるのに、なぜ平民の金細工師などわざわざ招くのか。恐らくそういう話がされているに違いない。
「あなたは王宮錬金術師に匹敵する腕前を持っている金細工師だ。もしあなたの作品が確かなものなら、私の師がお会いになる予定。お目にかけるに充分であったと私がお通しします。・・・・・・ああ、これは大変失礼を。申し送れましたが、私めは王宮付き錬金術師ティルディランという者です」
 こちらが何も答えていないのに、随分と一方的にぺらぺらとよく喋る男だ。それに本来、王宮錬金術師が一介の金細工師の腕前に相当するなどと、軽々しく口にしていいものか。何のための錬金術師であるかと、彼らの護るべき権威が台無しになってしまうだろうに。にも関わらず、立て板に水のような賞賛の言葉をすらすらと投げかける彼の様子は、正直不気味に見えた。ティルディランと名乗る彼は、肌の色が白く一見女性的な容貌で、目つきが尖っていて唇も薄い。二十手前のようにも見えるが、見方によっては四十過ぎにも見える。
 眺めていた政務官と侍女達は、ティルディランといくらか言葉を交わした後に、すぐに応接間から立ち去った。そして彼自身も一度部屋から姿を消す。
 参上するのは、王宮付き錬金術師。
 一刻も経たないうちに、ティルディランの代わりに、藍色のローブを着込んだ、長い黒髪の女が現れた。白皙の肌と、アベンチュリンの深い翠の瞳を持っている。一見少女の容貌だが、生命の薬エリクサーによって、不老長寿を保っている錬金術師の頂点。錬金術師ルネ=スピネル。
 背丈ほどの長さのある黄金の杖が、カツンと大理石の床を叩いた。黒髪がわずかに揺れて、私の方をじっと見据える。
 翠色の瞳が、針水晶のような鋭さを持つ。
「やはり、お前だったのか・・・・・・生きていたとは」
 口を開いた彼女の第一声に。
 思わず私は唇に笑みを零した。自らを嘲る微笑を。
「お元気そうで何よりです、師匠」
 錬金術師ルネ。まさか私のことを気づかないはずもない。
 本来ならば、貴女の傍らに付き添う王宮錬金術師は、あんな軽々しい男ではなく私であったはず。・・・・・・いや、そんなこともないか。本来という言葉はありえない。私はこの王宮にいるべき存在ではなかった。
 あのお方と出会ったことが、いっそ間違いであればよかった。そうであれば、周囲の人間の運命をことごとく狂わせてしまうこともなかっただろうに。
「どうして戻ってきた」
 もう二度と現れるな。あの時確かに貴女は私にそう告げた。脳裏に蘇る、淡々とした冷水のような、貴女の声。私に注ぐ言葉の一言一言は、あの時と同じ色をしていた。
「私の意思ではありません。王妃より呼び出されたのです。金細工師、マイスター・カゲとして」
「それでもこうして宮中に足を運んできたのは、他でもないお前自身。何が金細工師だ。私が何のために、お前の力を封じて、お前の存在を宮中から隠したと思っているのだ。まさかお前、あの封印を」
「ご安心してください、師匠。私はただの金細工師です。錬金術師ではありません。王妃にほんの一目、お会いしたらすぐ帰ります」
「会うつもりなのか、パレミア様に。王妃はお前のことを知っているのか」
「さぁ、わかりません。私はただの金細工師です」
「やめろ、会うべきではない。いくら時間が経ったと言っても、なぜお前が立場を追われたか忘れたのか。お前の身に何か起こったとしても、私には対処できないぞ」
「ええ、必要ありません。偉大なる錬金術師ルネ様。私と貴女は今日初めてお会いするのですから。仮に私に何か咎められるような何かがあったとしても、貴女に助けて頂く必要も義理もございません」
 深い翠の瞳が揺らぐ。哀しげな色を映して。そして、珊瑚の唇は、かすかな声で、かつての私の名を呼んだ。
 私はその名前を聞こえなかったふりをして、小さく哂う。あのお方も、私の姿を見たら、その名前を口にするだろうか。
「私のことをよく見てください、師匠。あれからもう二十年も経ったのです。さすが二十年経過しても、貴女は一切お姿が変わらない。私はこの通り、愉快なくらいに老け込んでしまいましたが。私の顔や手を見てください。しなびた林檎のようでしょう。パレミア様が見てもがっかりするかもしれない。巷で評判のマイスターも、会ってみればただの語路付きのような愚鈍な男だと」
「お前が愚鈍であるはずがない。私が見込んで育てていたのだからな」
「ええ、そうですね。全て投げ捨ててしまう結果で大変申し訳ない。
 ・・・・・・人間は必ず歳をとるものです。それに、苦いなりにもそれなりに人生の味を楽しんできました。明日にこの命が朽ちたとしても、私は後悔しないでしょう」
 時間とは酷いものだ。
 何もかも、ガラス細工のように朽ち果てて砕いていく。
「王妃にお目通り願いたい」
 生きたダイヤモンドと称された、かつての麗しの姫君。
 今は氷の女王の名を持つ貴き人。
 孤独な貴女に、枯れることの無い黄金の花を捧げよう。







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