「許せ、シャド、この力は本来、王室の外に出してはいけないものなのだよ」
 あの時の言葉、まるで昨日のことのように覚えている。貴女もそうでしょうかね、師匠。
 「陛下は大層お怒りで、お前を断罪すると仰せられた。命を永らえたくば、ここから消えろ」
「・・・・・・そうか、要するに、俺は殺されたんだな。師匠、俺は貴女のことを心から尊敬していた。しかし今では、王宮に囚われている貴女のことが、とても憐れに思える」
「ふざけるな。お前ごときに憐れまれるほど、私は落ちぶれてはいない」
 身分も愛しいものも護りたかったものも全て奪われて、身一つで放り出されて、何のために生きろというのか。
 腕を焼いた烙印の痛みも、あの頃は二度と忘れるものかと思ったものだが。
 今となってはもう、笑うしかない。ああ、ずいぶんくだらないなと。
「どうか元気で。シャド」
 錬金術師。それが何だというのだ。
 師匠。それならそれでかまわない。俺は、金細工師のマイスターになってみせる。地位も身分も力も全て失ったとしても、王宮付き錬金術師に劣らないほどの力を手に入れてみせる。
 あのお方のために、黄金の花を造る。
 でなければ、何のために生きればいいのかわからないんだ。
 
 少なくともあの頃は、そう思っていたはずだった。



   ☆



 「ああ、こんな窮屈な格好、滅多に着るもんじゃないから、早いとこ帰ってソファーでゆっくりくつろぎたいなぁ。シアンが淹れてくれる、熱いハーブティーでも飲みながら、砂糖菓子つまみながらさぁ。マイスター様もそう思うでしょ」
「ふん。帰りたいならさっさと先に帰ってしまっても構わんぞ、カーマイン。猫を被るのはお前の特技だと思っていたが、もう音をあげるのか」
「いやいやとんでもない。僕はただ、マイスター様の心情を察して代弁しただけですよ。そうじゃないですか。本当はこんな堅苦しい礼服なんかさっさと脱いでしまって、よれよれのシャツと黒ベストの格好で、泥みたいに濃いコーヒーすすりながら、だらだら過ごしたいでしょう」
「馬鹿言え。それに窮屈なことに文句をつけるな。色だけはお前の好きなように合わせて仕立ててやっただろう」
「はいはい。もう何も言いませんよ」
 螺旋階段を一段一段登って、王妃の待つ鏡の応接室へと向かう。途中で目にかかる柱や燭台、置時計の飾りも、かなり豪奢に添えつけられていた。
「しかし当然と言えば当然かもしれませんが、王宮の中はずいぶん豪華ですね。綺羅綺羅しくて目が痛くなりそうだ」
 横目でちらちらと周囲を見回しながら、カーマインが感嘆の息を漏らす。噂で話に聞いているのと、実際に手の届く距離で目の当たりにするのとではだいぶ違うはずだ。
 壁にかかった黄金細工の獅子の飾りが、今にも猛々しい唸り声を上げそうな生命力溢れる造りで、目の前の壁の途中に居座っていた。その上には、滑らかな曲線の花の形をした、金の燭代が添えつけられている。鈴蘭を思わせる形の花に、そっと散りばめられているのはオパールとアメジストの飾り。露骨に派手過ぎず、且つ目を離せなくなる華やかさを秘めていた。
「こういったものを造るのが、王宮錬金術師の仕事だよ。このくらいは造作も無いことだ」
「へぇ、職人が作るんじゃないんですね」
「手が足りないときは、人員補助として宮廷の外からそこそこ手際のいい職人を招くこともあるが」
「錬金術師ってのは、『マイスター』の称号を持つ職人への賛美の言葉かと思っていたけど、実は違うんですね」
「どちらが正しいというわけではない。卑金属を貴金属に変える力、あるいは金属を自在に形を作り出す力のことだ。金細工職人への尊称として使う言葉のほうが後だとは思うが」
「へぇ、じゃあ、マイスター」
「なんだ」
「マイスター・カゲ様は、錬金術師なんですか」
 私は返答の代わりに、形ばかりの微笑を返した。それきりカーマインは特に深く追求しなかった。
 いずれわかることだ。
 呼び出しの令状を確かめた後に、シアンが話していたのを思い出した。
「ねぇ、私は正直あまり詳しくはないのですが、パレミア王妃様というのはどのようなお方なのでしょう。ご存知なのですか、マイスター」
 竃では紅蓮の炎が燃え盛って、合金を溶かしていた。赤い炎に呑まれて、ゆるゆると形を変える塊が流れる。金属でさえこんなに容易く形を変えてしまうのに、生きて呼吸をする人間が、歳月の中で変わらないということは全くありえない。そう思うしかなさそうだ。
「ルヘルス国王エント陛下が即位の前年に、婚姻なさった妃殿下だ。その美貌から、貴族間では生きたダイヤモンドと称されることもある。が、気位が高く、このお方のご機嫌を損ねると失脚するという話をよく聞く。三年ほど前に、遠征から陛下が体のお具合が良くなく、政務はほとんど陛下ではなく王妃が取り仕切っているという話だ。その厳しさから、近年では氷の女王と呼ばれている」
 文献の一説を読み上げるみたいにして、シアンに答えていた。
 螺旋階段を昇りながら、ちょうど、壁に王妃の肖像画がかけられているのが目に入る。壁一面を埋める大きさの、錦織物の絨毯のような肖像は、金色の蔓薔薇の装飾の額縁に収められている。
 パレミア様。蜂蜜色の髪。アクアマリンのような透き通った蒼い瞳。薔薇の蕾のような唇。今年でもう三十半ばを過ぎるはずだが、歴代のルヘルス妃の中でも随一と賞賛された美貌は、決して肖像画にて美化されているものではなく、紛れも無く本物の生きた美しさ。
 貴女は今も、宝石のようなお方だ。
「マイスター・カゲが参りました」
 侍女が告げていた。
 応接間の壁際に控えて立ち並ぶ宮女達が、恭しく頭を下げた。蒼いドレスがするするとビロードの絨毯の上を滑る。レースの飾りが垂れている扇が、静かに首から胸の下の位置まで下がる。顔半分を隠していた扇が音も無く閉じる。私を見下ろすのは、氷の宝石。無感情な瞳。
 突如、手元の扇が私の額に向かって投げつけられていた。ピシリと鞭が唸るような音を立てて、扇は床に落ちた。
「―――わたくしは決して誤魔化されないわ。シャド、あなたなのでしょう」
 蒼い氷の奥に、炎が閃いていた。
 額をさする。別にたいした痛みではない。ただ、私の昔の名を呼ぶ貴女の唇が、震えていることが痛々しい。
 侍女達が、怒りの感情を露にしている王妃の様子にざわめいている。
「どうして、今までわたくしの前に現れてくれなかったの・・・・・・」
「王妃様、お許しください。私にはもう、地位も身分もありません。ただの気の狂った金細工師。マイスター・カゲという男です。私ごときが、貴女のお心を受け取ることなど、どうしてできましょうか。貴女のお探ししている男はどこにもおりません」
 本来ならば、私は殺されていてもおかしくはなかった。王の婚約者を連れて、国外へ逃亡しようとしていたのだから。それがどうにか、錬金術師の力の封印と、貴族の身分の剥奪という処置でこうして恥ずかしくも生きている。
 恨んでくれて構わない。仕方がないんだ。
 私は、貴女を助けることを諦めた。だから、こうして今も生き永らえている。
 貴女に、幸せでいてほしかった。
 王妃は、幾許かの無言の後に、静かに私を見つめて微笑んでいた。
「そうね。かつて王宮にいた錬金術師など、今更もう必要とされていないわ。しかし、わたくしがあなたを招いたのは、あなたの金細工の腕がとても優れているとのことだったからよ。しかし、わたくしのために造るのではありませんわ。わたくしの大切な王女のために、冠を拵えていただきたいの」
「ミラジェ王女の・・・・・・ですか」
「ご存知でしょう。王女はベイント公国の公爵の息子と婚約させます。残念ながら陛下はもう既にお体が弱っておられるわ。次に王位を継げるのは王女のミラジェしかいませんの。後ろ盾が必要なのよ」
「しかしながら、王女はそれを納得しているのですか。まだ齢十二の王女が、国の王になると? そのために近隣の国を味方につけるために婚約すると」
「それの何がいけないのです」
 執務官のウィスが、侍女と共に紅茶を用意している。白い陶器のカップとソーサ、銀のポッド。淡い色の薔薇の絵柄が描かれていて、縁には金箔の装飾が施されている。香草を数種合わせたお茶の香りがふわりと漂っていた。
「王宮の錬金術師にももちろん、素晴らしい物を造らせるわ。身につける宝飾品はもちろん、香水箱や小さなスプーン一つに至るまで。王宮錬金術師でなくても、庶民の金細工師でもかまわないの。マイスター、あなたにも、貴族の爵位と同等の身分を授けましょう。王宮に自由に出入りしてくださってよろしくてよ。ルヘルス王家の名にふさわしい、華々しい金飾りを拵えてちょうだい」
 部屋の片隅にある置時計が、時計の針が動くのと同じく、からくり仕掛けで動く鈴の音を歌っていた。
「王妃様、貴女が命じるならば、もちろん従いましょう。私ごときの手で造れるものでよければ、いくらでも捧げましょう。しかし、貴女はそれでよろしいのですか、パレミア様」
パレミア様は、カップの底をすくうように滑らせた銀のスプーンを置いて、注いだ紅茶のカップを傾ける。
「召し上がりなさい。誰かと共にお茶を飲むのは、久々のことだわ」
「久々というのはどれほどのことでしょう、二十年ぶりくらいですか」
さらりと問いかけると、王妃の冷たい蒼い瞳が私を刺した。冗談とは受け取ってもらえなかったようだ。
琥珀色のお茶に口をつける。香りはとても良いが、私には随分と味が薄く思える。もっと苦く煮出した茶が飲みたいものだ。
「ルヘルス国とベイント公国の国交のことはご存知かしら? 金細工師というのは、工房に篭りきりで世の中のことはあまりご関心はないのかしら」
「そんなことはありませんよ。それなりに存じております」
 話しながら、王妃が紅茶のカップの横に、角砂糖を並べているのに気づいた。
 王妃がシュガーポッドからすくいあげた角砂糖は、四角い立方体ではなく、花の形をしていた。紅茶にそっと浮かべると、白い花びらが散るように溶けていく砂糖粒だ。
「先代陛下の時にはあまり国交がよろしくなかったのですが、エント陛下の度々の来訪と尽力によって、幸いながらいさかいなく過ごしております。そのベイント公国が、近年政権交代なさったそうです」
「そうですか。先代の頃のことはある程度存じておりますが、近年の政権交代とは」
「これ以上は私の口からは申し上げられません。ミラジェの婚姻と共に明るみになればよろしいと思うのだけど」
「つまり、王女の婚約が何か関連していると?」
「さぁ、どうでしょうね」
砂糖が紅茶に溶けたとき、ふわりと花の香りが漂った。どうやら形だけではなく、香りを閉じ込めた角砂糖のようだった。



 





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