応接間から退室して、待機していたカーマインの元に戻る。螺旋階段を降りたところの回廊の片隅。門に飾られる騎士鎧の飾りのように、きちんと姿勢を正して待っていた彼が、私の姿を見つけて、気の緩んだ笑みを零す。
「退屈しすぎて立ったまま寝てるんじゃないかと思っていたよ」
「いえいえ、はっはっは。さすがに退屈でも、王宮でそんな立ったまま居眠りなんか。確かに随分待ちましたけどね」
「王妃様より、金細工を造る参考のために、王宮の中を見回って歩いてもよいとお許しを頂いたよ。少し見ておきたいところがある。お前もついて来い」
「え、本当ですか。いやっほぅ。もちろん見にいきますよ」
 大理石の廊下を歩くと、カツンカツンと靴音が高く響く。カーマインは私の斜め後ろを、仔犬のようにくっついてやってくる。
「カーマイン」
「はい」
「今の私の話、聞こえていたか」
「ええ、マイスターのお声はいつでもどこでも僕に届きますから」
「そうか」
 カーマインのほうには顔は向けず、独り言のように話しかける。
 あれからおよそ二十年か。もっと感慨にふけるものがあるかと思ったが、それほどでもなかった。もう一度、扇をぶつけられた額をさする。自ずから苦笑が零れる。どんな顔をして会いに来たかと責められるならば妥当なところだ。だけど、王妃は開口一番こんなことを言った。
 どうして、今まで会いにこなかったのかと。
 彼女は知っていたのかもしれない。身分を剥奪された後も、ルヘルス国内の片隅で、金細工師としてひっそりと私が暮らしていたことを。
「ところでマイスター、見たいところっていうのは」
「庭園の薔薇の花壇だ」
 今も昔も、時代に関わらず薔薇は王宮で非常に好まれるモチーフだ。見ておく必要がある。来るときに一度通った長い回廊から、庭園が見渡せる。そのまま外に出て歩いてみることもできたはずだ。回廊の造りは少し変わっているが、庭園は今も変わらない。
 庭園に出たとき、回廊を小走りの速さで歩いて、侍女がこちらにやってくるのが見えた。薄紫のドレスを着た、小柄な少女だ。
「マイスター・ルグレ様とお見受けします。よかった・・・まだお帰りになってなくて。あの・・・・実はミラジェ王女が、あなた様をお呼びです」
 恥らうようなか細い声で、息を切らしながら、どうにかそれだけ告げていた。その麦穂色の髪には見覚えがあった。
「あの、どうかしばらくお待ちください。ちょうど王女も、庭園にあなた様をお招きしたいと仰っていて」
「いいえ、お待ちにならなくてけっこうよ。待ち切れなかったから、私のほうからきちゃったわ」
 淡い紅色の蕾をつけている薔薇の木の陰から、小鳥が囀るような高い声が聞こえた。
 蜂蜜色の金の髪、透けるような真白い肌。そして、アクアマリンの色を更に深くした、青紫の瞳。瑞々しい果実のような、珊瑚色の唇が微笑を浮かべた。
「はじめまして、マイスター様。ルヘルス第一王女のミラジェですわ」
「はじめて会うのではないでしょう・・・・・。やれやれ、貴女でしたか」
「あら、気づかれてしまったの」
「わかりますよ。上手に変装なさったようだが、瞳の色は隠せなかったようですね」
 十二歳とは思えない艶めいた笑みを浮かべている王女の傍らで、侍女がおどおどと視線を彷徨わせている。恐らく、こちらがハルトという侍女だ。並べて立つと、背丈が同じくらいだ。髪の色と化粧で誤魔化して、逆の影武者にしているのだろう。
「王女が侍女に変装して、成り代わって使いとしてやってくるなんて、聞いたことがない」
「どうしても、あなたにお会いしてみたかったの」
「なぜ」
「王宮で見たお芝居でね、王女と錬金術師が禁断の恋をするお話があるのよ。知ってる? 私ね、あなたのことかなぁと思っていたの。お母様があなたとお話しているのを聞いて、間違いないと思ったわ。そうなんでしょう」
 王女と錬金術師の戯曲というのは特に心当たりがないが、王女が最後に付け加えた一言に、一気に血の気が引いた。
「まさか、聞いていたのか。ついさっきのあの話を」
「ええ。お母様が、あなたを見た途端に扇を投げつけていたでしょう。面白かったわ。カーテンの陰に隠れて見ていたの」
 紅茶を用意させた以外には、話を聞き取れる距離には立たないように人払いをしていたはずだが。侍女ならまだしも、まさか王女にじかにこんな話を聞かれていたとは。
 ミラジェ王女は、ラベンダーの蕾のような二つの瞳を輝かせている。淡い空色のドレスの裾が翻り、更に私のほうへと近く歩み寄る。少女ならではの、恐れを知らない好奇心が、それに上乗せされている。
「あなたがお母様を、氷の女王に変えてしまった人なのね。お母様はとても怖い人だけど、あなたとお話しているときは、いつもと様子が違っていたわ。あの人でも、誰かに恋をしたことがあったのかしら。だとしたらどんな人だったのか、ずっと気になっていたのよ私。教えて。あなたは、一体どんな人なの。マイスター・ルグレ様」
「誰というほどのことでもない。ただの金細工師ですよ、ミラジェ王女。私が貴女にお伝えするようなお話など」
 やんわりと距離をあけようとすると、彼女は首を傾げて、もっと近づこうと一歩更に足を運ぶ。金色の絹の髪が、白い首筋に波打って揺れていた。神話の中から抜け出てきた、風のニンフのようだと思った。
「ふぅん。私ね、内緒で調べたのよ。昔、王宮には、ルネ様とティルディランの他に、もう一人、錬金術師がいたのよね。それが、お父様・・・・・国王様の結婚前に、突然、除籍されている。それがあなたではないの?」
 恐ろしいほど聡い子供だ。十二歳とは思えないほど大人びている。侍女に化けたり、王妃の目を逃れて隠れて盗み聞きをしていたり。
「お母様のこと、愛していたの?」
 声を潜めて、楽しそうにささやく、王女のあどけない声が、私の耳に棘のように刺さってくる。ぐらりと心が揺れる。何故、たかがこんな問いかけにこんなに動揺しているのか。決まっている。目の前の王女が、あまりにも、過去の若かりし日のパレミア様によく似すぎているからだ。ひとたび心を留めたものには、掴んで離すまいとするようなしたたかさも、好奇心で魅惑的に輝かせる瞳も。
「マイスター様、眉間に皺がよってらっしゃるわ」
 そんなふうに、無邪気そうにくすくすくすと笑う、さえずりのような声も。実の娘である王女からさえも、氷の女王と呼ばれてしまっている。あのお方は、いつから笑顔をすっかり失ってしまったのだろう。
「内緒にしておいてあげる。でもね、私、あなたの造る金の飾りが、とても好きよ。一目惚れしてしまったみたい。見せていただいた黄金の薔薇、とても素敵だったもの。ティルディランも普段いろいろ造って持ってきてはくれるのだけどね、あの人はおしゃべりすぎてうるさいの。作品もそんな感じよ。あなたみたいに、そっと控えめに佇んで、それでいて、一度出会ってしまったら、もう目を離すことができなくなるくらい、うっとりとさせてくれる金細工が見てみたいわ」
 王宮で見てきた、壁や柱、小物で見かけた金銀の装飾の様子を思い返す。もしかしたら、今、王宮付きの錬金術師は、ルネ様を含めると、ティルディランという錬金術師の、二人しかいないのか。
「ねぇ、お願い、私にまた会いに来て。あなたの造るものを、もっともっと私に見せてちょうだい」





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