王妃様が、マイスターと呼ばれる金細工師を王宮に呼び寄せたのですって?
 やめたほうがいい。あの男には怪しい噂が沢山流れている。例えば、地下には生き物の心臓を、ずらりと瓶詰めにして棚に飾っているという。
 あいつの造る金細工が、信じられないほどに精巧な出来栄えをしているのは、本物の花や鳥を呪術で金に変えているからだよ。
 実は、金塊を人間の生き血に浸すと、あんなに美しい形が生まれると聞いたよ。

 そんな噂話が、街ではひそかに流れているらしい。
 たいしたことではない。よく言われることだ。

 市場をふらりと見にいった。
赤いレンガの道の左右には、様々な小物の雑貨を売る店が並んでいる。
陶器のポットを並べた店。凝った形の家具を売る店。造り物の花を飾る店。銀細工の髪飾りや貝のボタンを出している店。ゆらゆらと流れる人の流れをすり抜けて、ひっそりと佇む店に入り込んだ。書物を売る店だ。
 無口な店主が店番をするその店で、私は探し物をする。
 王妃と錬金術師の戯曲。
「今日は魔術書を見るんじゃないのかね」
 珍しい物を見るように、店主がぼそりと囁いた。丸い眼鏡の奥の小さい目が、こちらを見ている。
「戯曲集はあるか。・・・それと、魔術書を見ているわけじゃない。普段取り寄せてもらっているあれは、科学書と言うんだ」
「対して違いがあるようには見えないよ。おいらのような庶民にはね」
 そして、ぷいと顔を背けて、手元のぼろぼろの背表紙をした茶色い本に目を向けた。が、覗き見るような目線が再びこちらを見る。
「なんでまた今日は、あの青い服の小娘じゃなくてお前さんがじかに来てるのかね」
「そちらこそ、老いぼれのくせに珍しく口数が多いじゃないか。別にひまだから遊びに来ているわけじゃないんでね。話す口があるなら、店の案内でもしてもらおうか。戯曲集はあるか」
 禿げ上がった頭を揺らして、店主は、あごで方向を指し示す。あちらの本棚か。
「貴族が好んでよく見るような戯曲がいい。そんな本はあるか」
 返事はなかった。私が普段と違う本を探していることには珍しさを感じたようだが、それ以外には興味はないらしい。
 見つけた本は、劇作家フェア・トルネーが書いたもので、喜劇悲劇合わせて十余編ほどが収録されていた。
 ぱらぱらと少し弄ぶ程度に開いてみて、代金を支払って持ち帰ってきた。
 賑やかな表通りは苦手だ。路地裏を通って工房へ帰ることにする。

  
 予想外だ。
 王女がまさかまたここまで押しかけてくるとは。
「わぁ、素敵ね。どうしてこの人形が動くの」
「ここに糸をつけているのよ。これが手足に縫いついているから、引いてみてくださいな」
 無邪気な笑い声がこぼれているのが聞こえる。侍女の服を着ているものの、今度は金色の髪も真珠の肌をした顔も、特にごまかしを入れず、ただ目深に被ったフードで顔を隠すだけでこんなところまで来てしまっている。よくそれで王宮の見張りに気づかれないものだ。彼女の周りの侍女がうまく手回しをしているのだろうか。
「何故またわざわざここに来るのです。仮に名指しで呼び出されたら私には断る権限などない。いつでも参りますよ」
「私が命令してあなたを呼び出したりしたら、お母様に知られてしまうでしょう。私は秘密であなたにお会いしたかったの。大丈夫よ。侍女も、それに執務官のウィスも、私の味方なの。私がお忍びで外出するのが好きなことは承知してくれてるわ」
「ずいぶん大胆でやんちゃな姫様だ…」
「王宮でお会いしたときのルグレ様、まるで伯爵様みたいな格好でとても似合っていたわ。本当に貴族のご身分のお方みたいよ。普段からそういう格好でいればいいのに。私が侍女に命じて、毎日衣装をお届けさせましょうか」
「やめてください。こんな汚い場所でそんなもの着ても」
「マイスター! 汚いとかご自分で仰るくらいなら、たまにはお掃除してくださいよ! 毎日苦労してるんですから! ……ああ、ミラジェ様、もう少しお待ちくださいね、もう少しで床磨きが終わりますから」
「あら、いいのよ。最初はびっくりしたけど、お邪魔するのは二回目だもの。もう慣れたわ」
 慣れたなどという発言はかなり問題かと思うが。カーマインがいそいそとテーブルや椅子の埃を払って、布で磨き上げている。
 私はそれを人事のように眺めながら、立ったままソーサを手に持ってコーヒーを飲んでいた。今日のコーヒーはずいぶん薄い。ざらりと濁ったような舌触りがする。
「ねぇ、ここに並んでいる氷のような石は何」
「石英ですよ。加工する前の水晶です」
「不思議な形……。私ブレスレットにはめ込まれてる透明な石よりも、こちらの、搭みたいな形をしている石のほうが素敵だと思うわ」
「そうか。ならば、姫君、王宮ではあまりお目にかけることがないような、宝石の原石を見せてあげましょう」
 ああ、どうしてこの少女は。こんなにも、あのお方に似ているのだろう。自分が生まれる前のことを知っているわけでもあるまいに。そんなことを思って、胸の中にさざなみを感じている自分もどうかしている。どんなに大人びて見えるとしても、まだ何も知らないほんの子供の姫君だ。
「ミラジェ様、石英にご興味があるなら、ほら、これを差し上げますわ」
 シアンが楽しそうに微笑んで、戸棚から取り出した何かを、小皿の上に並べて差し出した。それは小さく砕いた石英によく似ていた。
「まぁ、頂いて良いの? 嬉しい、私こっそり持ち帰って小箱に隠しておきます」
「隠しておくよりも、お一つ、おくちに入れて味を見てみてくださいな」
「味?」
「これ、宝石に似ているかもしれないけど、本当は砂糖なんですよ」
 王女は目を丸くして、氷砂糖の欠片を一つ小さな指先でつまみあげた。恐る恐る口に含むと、目を輝かせて顔をほころばせる。
「甘いわ。キャンディーなのねこれ」
「キャンディーとは加工の仕方が少し違うのだけど、まぁ大体そうですね」
「あ、僕のおやつ・・・・・」
「うるさいわカーマインはちょっと黙ってて。甘いものは女の子が優先されるのよ。これは太陽と月の法則なのよ」
「それ何の法則、初めて聞くんだけど、ちょっとシアン」
 シアンとカーマインの二人がいてくれてよかったと改めて思う。年齢も近いし、身分差に臆することなく普通に馴染んで話しかけてくれている。氷砂糖を口に運ぶミラジェ王女を見て、王宮でパレミア様が紅茶に添えていた、白い花の形の角砂糖のことを思い出していた。あの人は、微笑んではいなかった。
 くだらない。どうして。
 王宮のことなど、私には今更何も関係がない。
 何も気にかけることではないんだ。
「あら、こんなところに結晶が飾ってあるわ。これもお砂糖?」
「それは実は塩の結晶ですよ。濃く溶かした塩水に、糸を垂らしておくと少しずつ塊ができるのです」
「お塩? 塩って、食べるときに使うお塩?」
「そうですよ。こちらはミョウバンで作った結晶。色をつけてみたものもある」
 幾何学的な形になった透明な塊を、王女は不思議そうに眺めている。
「やっぱりあなた、普通の金細工師じゃなくて、錬金術師なのね。ティルディランやルネ様と同じだわ。そうでしょう。こんな結晶が、ダイヤモンドに変わるのね」
「残念ながら違います。これは興味で造っているものでね。眺めていて面白いでしょう」
 できないとは言わないが。
 知られるとまずいことは心の中で言う。一応私は、あの時にルネ師匠の手で錬金術師の能力は封じられていることになっている。
「これは何? お菓子が凍りついてるみたいな」
手にとって、カツンカツンと指先で軽く叩いて見る。王女が掌に載せているのは、一口大の焼き菓子、しかしそれは石のように硬い。その色や形の精巧さは作り物ではありえない。紛れもなく小麦粉を焼いて作ったもの。
「溶かした水晶で塗り固めたものです。こうすると、どんなものでも時が止まったみたいに何年でもこの形のまま保たれるんですよ。本当は、水晶ではなくて、透明な樹脂なのですけど・・・・まぁ説明するのは難しいので」
「食べてはいけないのよね」
「です」
「舐めてみたら甘いかしら」
「いけません。毒ではないのでかじってみてもかまいませんけど、がっかりしますよ」

「・・・・・ねぇ、ルグレ。もう一度訊くわね。あなたは錬金術師なの?」
 ひそやかに囁く甘い声音。
 陽の光の中で揺れて咲きほころぶ淡い色の薔薇。
 私は唇に小さく笑みを貼り付けて、無言のまま、ミラジェ王女の眼前に右手を伸ばす。
「王宮付き錬金術師には、手の甲に刻印があるのを知っていますか。卑金属を貴金属に変える力、金属や鉱石の形を意のままに変化させる力、そういった錬金術の力を、王宮以外の場所で使うことがないように制約を交わすのです」
「そうなの?」
 王女は、青紫の瞳を数度瞬かせて、私の右手に手を伸ばす。白い指先が手の甲を撫でる。
「あなたの手には、何もないわ」
「そうだ。以前はあったけど、消された。パレミア様を手に入れようとして、そしてその罰として、王宮に出入りする権利も錬金術師の力も剥奪された」
一瞬、私の手に触れているミラジェ王女の小さな掌が、凍りついたように強張った。
 ライトアメジストのような瞳が、私の顔を見つめる。苦笑するしかない。
「今では、私のようなものがそんな大それたことをせずによかったと思えます。パレミア様が王妃になって、そのおかげで今、こうしてあなたのような素晴らしい姫君がいるのですから。ミラジェ王女様」
「いや、そんな恭しい口調になられると哀しくなってしまうわ。私にも、そこの青い女の子や赤い服の男の子に話してるみたいに、もっと親しげに話しかけてちょうだい。金細工師のルグレ」
 綿布を詰めたような柔らかくて繊細な手が、包み込むようにぎゅっと私の手を握りしめる。小猫が擦り寄ってきたときのようなくすぐったさだ。逃げて振り払うわけにもいかないし、ただ戸惑う。
「私ね、あなたがもし本当にただの金細工師ではなくて、優れた錬金術師だったなら、あなたにお願い事をしたいと思ってここへやってきたの」
「お願い事とは」
「私のことを、あなたの、触れた物を黄金に変える力で、黄金の像に変えてほしいの」

「あなたは、私のお母様が、私に婚約を取り付けようとしているのを知ってる?」
 もちろん知っている。
 その婚約を祝福するための、申し分ない金細工を仕立て上げるようにと、そんな風に王妃からじかに頼まれているのだから。
「こんなことを正直に言うと、私のこと、子供染みていると笑われてしまうかしら。私、まだ恋をしたこともないの。ルヘルス国王の娘として生まれたのだから、仕方がないのかもしれない。そんなこと望んでもできないのかもしれないわ。
 でも、人を愛することを知らないまま私が仮に女王になったとしても、きっと私は、あの人のように、私のお母様のような女王になるのだわ。

黄金の像に変えてくれというのは。
そうだ、確かこんな物語があった。
身分違いの恋に悩んだ侍女が、錬金術師に頼んで、自身を一輪の黄金の薔薇に変えてもらおうと頼んだ話だ。
そうすれば私は、いつまでもあなたの側にいられます。
口づけも愛の言葉もいりません。
ただ、あなたの側にいさせてください。あなたの姿を見つめていたいのです。
私はただ、あなたのお側にいます。

錬金術師が金かあるいは貴石で造った花を贈ることは、忠誠の証とされている。

「あなたのために、この世界で最も美しく輝く、黄金の薔薇の花を造ります。あなたにこの身も心も全て捧げる証といたしましょう」

楽しみにしているわ。
あなたの魔法使いのような手がとても好きよ。
わたくしにはわかる。心の汚れている人には、こんなに素晴らしい金細工はきっと造れないもの。

私が何故錬金術師になることができたのか、意味があるとしたら、それは間違いなく、貴女に会うためだったのでしょう。
私の力は全て貴女のためのものです。

今更ながら思う。
パレミア様は、黄金の薔薇など求めてはいなかった。
そんなものがなくとも、私達の心が通じ合っているのは間違いなかったのだから。

「私、あなたのことが好きよ。愛してるの。お願い、私、王宮には戻りたくないの」
「かといって、貴女をいつまでもここにいさせるわけには。戻らなければ、侍女が探しにくるでしょう」
「戻れば、クトルフ様との婚約が決まってしまうの。お会いしたこともない人なのに」
「王女、それはもう決まっていることです。ご自身でもわかっているでしょう」
「私、恋がしてみたかった。ルグレ、私、あなたのことが好きよ。本当よ」
「王女……、お芝居遊びであればいずれまたお相手しましょう。だが、仮にも貴女のようなご身分ある方が、戯れとはいえ、簡単にそういった言葉を口にしてはいけない」
「いいえ戯れじゃないの。あなたを最初にここで一目見たときからそう思っていたの」

戯れだ。
王女は作り物語の中の恋に憧れて、自分の立場や運命から目を背けて逃げたいだけだ。
そう思うのに、どうしてこんなに、胸が痛むのだろう。
同じ痛みを昔感じたことがある。
思い出すまでもない。
あの頃のことだ。
まだ若かったあの頃、いくら望んでも手に入らないものがあるのだと知って、世界に絶望したものだ。
そのくらい苦しかったのに。
ああ、まだ私は。
平気な顔をして、生き永らえている。

「そんな目で私を見ないでくれ、ミラジェ……」

いつしか身分を憚る礼の口調も崩れていた。
言葉が魂と繋がって呼びだされる。

「貴女が王女だからというそればかりではない。若すぎる、幼い方だからというばかりでもない。
私の手をよく見てくれ。
もう錬金術師の力は無い、金属を炙って溶かしたり、槌で伸ばしたり曲げたり、そんな作業を繰り返した。
火傷や傷のあとばかりの醜い手だ。
住んでいる世界が違うことがわかるだろう」
「そんなの関係無い。あんなに綺麗な金細工を造り出す、魔法使いみたいな手だわ」

彼女の言葉の一つ一つを、一笑に付して、あっさりと振り払ってしまうことができたなら、きっと物事はもっと簡単だった。
そうするには、この王女は、パレミア様と似すぎている。
彼女と話していると、悪魔が用意した置き時計が、私の横に現れて、カチリカチリとあざ笑う声をたてながら、少しずつ私から奪い取った時間を巻き戻してしまう。

ーーなぜ私は身分を奪われるのです。
ーーお前がいると、パレミア王女が婚約を承諾しないからだよ。お前が目の前から消えれば、泣いている姫君も流石に諦めがつくだろう。王女の幸せを願うというのなら、お前は消えろ。未熟な錬金術師。
ーー私のしたことは、そんなにも罪ですか。
私がいなければ、誰があの方を幸せにするのです。
誰が彼女の涙を止めてあげられるのですか。

錬金術師、
あなたにはあなたの世界がある。
こちら側に来てはいけない。












BACK TOP NEXT





inserted by FC2 system