王女をどうにか送り返した。身代わりの侍女は何人もいるらしく、彼女の行動を把握している侍女が、すぐに迎えに来てくれた。内緒に、という話だが、随分堂々としたお忍びであることだ。少し萎れた笑顔を残して、ミラジェ王女はこの場を離れていった。もう来ることはないだろう。それはそうだ。本来、一国の正当な王女でありながら、こんな埃まみれの狭苦しい職人の工房など、覗きに来てはいけない。
 何とも言い表しがたい疲労感ばかりが、心身に重くのしかかる。いや、虚無感。そういうほうが正しい。
 静まり返った自分の工房の中に立ち尽くして、しばらくぼんやりと部屋の中を見渡す。片隅に埃の積もっている床。ソファーの足元に隠された散らばった書物。置きっ放しの工具。汚れて使わなくなった炉鍋。点々と並ぶ机の上には、様々な鉱石の破片、原石がそのまま置いてある。ガラスの皿の灰、溶けた錫、配合の違う合金。戸棚には硫黄鉄、水銀、薬品類。これも鉱石や金属の性質を調べて形を変えるのに役立つかどうかの研究をするために使ったものだ。
 そんな雑多な元素の坩堝のようになった空間の中で、ただ異質に見えるのは、窓際に活けられた清楚な白い花。掃除のたびにシアンが飾ってくれているものだ。三日もすれば枯れてしまうのに、いつのまにか新しいものに取り替えられて、瑞々しい花弁を香らせている。
 あまりにも、儚い。
 急に体の力が抜けて、ソファーに腰を落とした。そして深く息を吐く。
 あの表情が、この目の前から消えない。脳裏に焼きついてしまった。いいや、ずっと昔から、消えることはなかったのだ。アクアマリンの色をした瞳。泣き出しそうな目をして。ああ違う、あの幼い王女はもっと紫の色をした、ライトアメジストの瞳だ。どちらだ。私の心を惑わせているのは。どちらであっても同じことだ。
「マイスター、お顔の色がよくないですよ。お疲れですか」
 不安げにシアンが私の顔を覗きこんでくるのを、ただ言葉もなく首を横に振って、やんわりと遠ざける。彼女は先ほど王女に見せて手に触れされた、クリスタルの細工のお菓子を棚に片付けていたところだった。特に見せるほどでもないと思っていたが、あんなに瞳を輝かせていたなら、もっと他にも目に触れさせてやればよかった。今頃、あの王女の興味を引きそうなものの心当たりが次々浮かんでくる。
 私の造ったものを見たいと、最初にここに来たときからそう言っていた。どうしてだ。わざわざ侍女に成りすましてまで彼女自身がここに足を運ぶほどの興味があったのか。あの夢見がちな姫君が期待するようなものがここには置いてあるか。そうだ。王宮が彼女の世界の全てであるなら、こんな職人の工房など、何を目にしてもまるで異世界の代物だ。
 所詮、今の私はただの金細工師。それ以外の何者でもない。望んだ何もかもを差し出せる、御伽噺の魔法使いではないのだよ。幼い幼い、ミラジェ王女。
「気分転換にお飲み物でもお持ちしましょうか」
「ああ、頼む……」
 カーマインがコーヒーを用意し始めたのを見て、
「待て、コーヒーはいい」
 呟くと、カーマインは手を止める。
「紅茶をくれ」
 そして、驚きで目を丸くしていた。
 コーヒーは、苦ければ苦いほどいい。毒のように苦いくらいに、濃いほうが良い。頭がよけいなことを考えずにすむ。しかし今日はあえてぬるい甘美な香りに浸りこむ。紅茶に落とす角砂糖の味を試してみよう。
 何なんだろう。
 この、水面に波紋が揺らめくような感情は。
 どうも調子が狂って仕方が無い。
 あの王女のせいか。
 紅茶を淹れたカップの側に、砂糖を並べる。白い角砂糖。それと、硬い氷砂糖。
 あの王女はまるで砂糖菓子のようだ。
 私が手を伸ばして触れていいものではない。かつてのパレミア様と同じだ。摘み取ろうとしてそれができずに、棘がこの手に刺さった薔薇の花だ。
「愛していたよ……」
 紅茶の、赤く揺らめく水面に、溜息が届く。
 永遠に変わることがないものが欲しかった。
 この心臓も、金の塊に変えてしまうことができたらいいのに。
 そうしたらこんなに苦しむことはないだろう。
 痛むことがないように。
 壊れてしまったら、メッキを塗って飾っておこう。
 貴女に二度と会えないならば、生きている意味などないとさえ思っていたのに。
 変わらないものなんかこの世にはない。
 過ぎたことは全て幻。
 儚いガラス細工だ。
 そうだ、私にできることは、ミラジェ王女に冠を作って差し上げることだ。あの方の未来ができ得る限り輝かしいものであるように。
 自分の手を見つめる。
 あれからどのくらいの時間が経ったか。
 ルネ師匠、それに錬金術師ティルディラン。
 彼らは以前私が得ようとしていた力を意のままに操ることができる。
 卑金属を黄金に変える力、掌で金属や貴石を思いのままに形を変える力だ。それが錬金術師。
 この力は、パレミア様に捧げるためのものだとかつては信じていた。
 金、銅、錫を炉で溶かして型に流す。紅い灼熱が指を焼く。
 それでも造る。
 人間は、形の無いものを表したがる性分なのだ。
 忠誠、恋慕、貴賓、親愛、身分。心の距離と距離。その掴むことができない姿形、色や輝き、淀みさえも。
 火傷の跡ばかりになった自分の手を見つめる。
 あの頃は、宮中の庭園に咲いた花をこの手に摘んで、パレミア様に差し出していた。
 貴女に、永遠に枯れることの無い黄金の花を差し上げます。
 それが私の使命であると感じていた。






「わたくしは、ミラジェの代で王政を廃止させます。ベイント公国は、身分制度を改めるというお話を、ストー公爵から聞いておりました」
「そんな込み入ったお話を、私などに話してしまってよかったのですか、パレミア王妃」
「じきに知れ渡ることです。問題ないわ。ベイント公国では、貴族が衰退して平民からの叛乱が度々起こるようになっていて、没落も時間の問題だという危うい状況で。しかし、今回の縁談によって、わたくし達ルヘルス国にて公爵方の血筋を匿う形で最悪の事態を免れようという判断でしたのよ。
 公家が廃止されることで、ベイント公国の貴族階級に付き従う錬金術師が行き場を失うということを恐れているとの話をと聞いています。ティルディランに交渉させておりますが、ルヘルスにも王宮に錬金術師を召し抱える習慣があります。こちらの王宮にお招きすれば問題ないでしょう」
 王妃はそう囁きながら、薔薇色の紅茶の中に角砂糖を落とす。
 神殿に飾られる美の女神の彫像のような、恐ろしいほどの完全なる美貌。珊瑚色の唇に、白い陶器のティーカップが口付けられる。そして柔らかな吐息が零れる。その呼吸を見るときに、ようやくこの人は大理石の彫像ではなく、生きて息をする女性であると気づく思いがする。
 淡く白い薔薇の花が、王妃の傍らで揺れていた。庭園内に設けられたティータイムの席は、柔らかい陽の光が心地良く注がれている。
 私も自分の紅茶に口をつける。素晴らしく良い香りが立ち込めている、が、相変わらず味が薄い。 
「ルグレ、あなたに一度、お話したいことがありましたの」
「なんなりと。何でもお申しつけください」
「実は、陛下がお具合がよろしくないのはご存知でしょう。なぜ陛下が、わたくしと婚姻したか、あなたは知らされてはいなかったでしょうと思って」
 蒼い瞳が、深い湖面のように見えた。透き通っているけど奥が見えない。淡いアクアマリンの瞳の奥に、見えないものが沈んでいる。
 返答はしなかった。ただ王妃が語る次の言葉を待った。
「本来ならわたくしの姉、ビアネスと婚約をしていたのだけど、姉は不幸にも病で命を落としてしまって。それで代わりに、姉とよく似ている私が王妃になったの」
 ええ。知っているとも。王家の血筋を引く貴族の娘、王宮への出入りも自由で、それなりに厳しいながらも自由に育てられてきた。それが心の準備もなく、重い責任と立場を背負うことになる妃殿下になるなど、とても苦しい拘束でしかなかったこと。あの頃は傍でその姿を見ていたのだから、よくわかる。知らないはずがない。
「わたくしは姉の代用品だったのよ。哀しかった。そしてとても恨んだわ。姉の代わりを求めて、無理やり鎖で縛るかのように婚姻させたことも。
それだけでなく、わたくしのことを助けてくれなかった、あなたのことも恨んだわ。あなたは約束を守ってくれなかった」
 そうだ。あの頃は、私は錬金術師の称号と共に授けられた爵位もあったし、彼女の手を取るには不相応なものはないと思っていた。この心さえ届いていると信じていたのだ。だから、貴女のために貴女が望むものをこの手で造りますと、そう誓ったはずだった。
 申し訳ありませんパレミア様。私はもう、貴女の傍に仕えることはできません。貴女とずっと共に居ますと約束したのに。
 最後にそう伝えたときに、貴女の瞳が凍りついたのをよく覚えている 
「でもね、陛下はあるとき、わたくしにこう言ったの」
 哀しい思い出し語りをしているはずなのに、僅かに目を伏せて言葉を紡ぐ彼女の様子は、まるで恥じらいがちな少女のように見えた。明るい薔薇の花の庭園の中で、まるで木漏れ日の女神のようだ。
 ああ、この方は。
 私は思い違いをしていたかもしれない。決して、心を閉ざした氷の女王ではなかったはずだ。
 そして王妃は、珊瑚色の唇に、控えめな口調で、長い台詞を乗せる。
「『私のことはどれだけ恨んでくれても構わない。だけど私は、あなたがいてくれないと生きていけない。私の孤独を救ってくれるのは、あの女性しかいなかった。ビアネスさえ私の隣にいてくれるなら、私は彼女のために、そして彼女と暮らすこの国のために、善の王にも、あるいは悪の支配者になったとしても構わなかった。彼女がこの世界からいなくなってしまったことが、どうしても認められなかったんだ。認めれば、私は狂ってしまうかもしれない。
 パレミア、私は国を守ることで精一杯で、あまり沢山の時間を共に過ごすことはできないかもしれない。だけど、あなたの望むものなら、何でも用意させよう。どうか王妃として、私の隣にいてほしい』」
 言葉を途切れさせてから、しばらく沈黙が流れた。流れ去った長い時間の隙間を、木漏れ日が注いで満たすような、そんな無音だった。
「そうでしたか、王はそんなことを」
「ええ」
「望むものはなんでも手に入りましたか」
「さぁ、どうでしょうね」
 白いレースの手袋をした指先が、静かにソーサの上にカップを置く。
「先日、ミラジェ王女とお話したときに、私はこのようなことをお話しました。私はパレミア様を手に入れることはできなかったが、今ならようやく、それでよかったと思える。そのおかげで、ミラジェ王女、貴女のような素晴らしい姫君がいるのですから、と」
 それは、皮肉が無いとは言い切れないかもしれない。しかし、心からの事実だ。
「よく似ていますよ、昔の貴女と、あの王女は」
「そうでしょうね」



 ☆



 冠の形をどうするか。王妃は私に一任すると仰せられたが、できることなら彼女の望むものを造りたい。最も、彼女がそれ自体を望んでいないというのは、先日話したときに既によくわかっているのだが。
「ねぇ、私ってそんなに、お母様に似てる?」
「そっくりですよ。昔の肖像画でも見てみるといい」
 香水瓶を入れる小箱を手で触りながら、王女が私に問いかける。木の実が零れているような装飾が施されていて、実の飾りの部分にはごくごく小さなオパールがはめ込まれている。これが王女のお気に良りらしい。
「あなたは哀しくなかったの?」
 少し拗ねたような表情をして、王女は俯いていた。この小さなおつむりに乗せる冠とあらば、どのくらいの装飾がふさわしいだろう。大仰過ぎず、小さすぎず、彼女の生来持つ薄い金色の髪の色も引き立てておきたい。
「あなたはお母様のことを好きだったのでしょう。知っているわ。それでもかまわないの。私のこと、恋人だと思えないのならば、娘のように思ってくださったってかまわないわ。あなたの心のほんの一欠けらでいい。私にあなたの心をちょうだい」
 王女はすがるように私の腕を握り締める。謁見室ではなくわざわざ王女が、ごく限られた者でしか出入りを許されないはずの私室で会いたい伝えたのは、二人きりで話したかったからだろう。それはわかっていた。だけどこんなにも彼女は、率直に心をぶつけてくるものなのか。
「私はずっと、戯曲の中の錬金術師を夢見ていたわ。あなたに出会ったときに間違いないと思ったもの。私はあなたに恋をしてしまった」
 戯曲の中の錬金術師。身分違いの恋に悩んだ少女を、黄金の花に姿を変えて、手元に隠してしまう物語。そんな神話めいた話を、恋焦がれていたと言う。
 幅の広い鏡が据えられた、背の低い箪笥の上に、男女一対の陶器の人形が飾られている。あれももしかしたら、戯曲の一場面を模ったものかもしれない。
「私はパレミア様のことは守ることはできなかったが、まさかミラジェ王女、貴女からそんなお言葉を頂くとは思わなかった」
「嘘よ・・・・・・あなたは心からそんなこと思ってなどいないでしょう」
 とうとう王女の瞳から、水晶の粒のような涙が溢れる。白く柔らかな頬を伝って、砕けた破片のように零れていく。
「あなただけじゃないわ。どうして、どうして、誰も、私の言葉を聞いてくれないの。いつだってそう。私はきっと、お母様の人形でしかないのだわ。私だって生きているのに。金細工師、いいえ、かつての錬金術師、あなたなら、私の声を聞いてくれるかと思ったのに」
 はらはらと、白い花びらが散るように零れ落ちてくる哀しい言葉は、もはや私に向けられているものではなく、ただ止め処なく溢れ出す彼女自身の抱え続けていた叫びだった。
「きっと、私は人を愛することはできないかと思っていたわ。あの氷の女王の娘ですもの。そんな心なんか持ち合わせていないと、周りからも思われているのよ。そんなことない。私はあなたと出会えるのをずっと待っていたの。あなたが私の恋を叶えてくれる錬金術師だわ。ルグレ。どうか私の声を聞いてほしかったの。あなたを愛しています」
「・・・・・・ありがとうございます。ミラジェ王女。貴女が真剣にそう仰るのなら、それは間違いないあなたの心なのでしょう」
 私は小さく微笑んで、彼女の小さな御手を掌に載せて、そっと口付けを落とした。錬金術の力を失っても、魔術ではなく冶金術で黄金の花をこの手で造ろうとした。そのために私の手は、生きてきた年数の分よりも、もっと年老いて見える醜いものに成り果てているだろう。そんな手で、この歳若い王女の手に触れようなどと、よくよく考えれば呆れた笑い話だ。だが間違いなく、彼女は美しい。胸が痛まずにはいられないほどに。もし本当に、永遠に朽ちることのない黄金の像にそのまま姿を変えさせて、ずっと手元に置いておくことができたなら、幸せだろうか。
「パレミア様の時とは違い、貴女はまだ幼く、恋を知らなかった。だから、会ったことのない公爵子息と婚約を結んでも、貴女の心はそれほど傷つくことはないと、パレミア様はお考えになったのかもしれない。しかし、私と出会ってしまったことで、王女、貴女にそのような苦しい思いをさせてしまったのなら、本当に申し訳ない」
 貴女は貴女のままでいてほしい。枯れてしまわないことを祈る。
 孤独な王女の報われない恋物語。


 ☆



 王宮を自由に出入りすることは許されている。宮中の装飾を見て回ることができるようにとの計らいなのだが、正直なところ、王宮を出入りする爵位の貴族と顔を合わせることは煩わしいので、避けたいところだ。よくこんな息が詰まりそうな場所に、私自身も昔は自由に行き来できたものだと思う。いっそ床も壁の全て金箔で塗り固めてしまいばいい。そのほうがわかりやすい。
 どこからか歌声が聴こえる。渡り回廊の向こうの庭園からだ。
 宮殿の外に囲むように造られた庭園は、様々な種類の花を抱えている。王の私室に近い西側の庭園には、華やかな紅い薔薇の花が植えられ、その庭園に出入りしやすい渡り回廊の周辺には、淡く清楚な白い薔薇が並んでいる。そして逆側に対になるように設けられている東の庭園には、薔薇に限らずに多くの種類の季節の花が、年中通して咲き誇っている。
 目に入るのは、黄色い花。
「誰の声かと思いましたよ」
 私が声をかけると、低い声で歌を紡いでいた彼女が、声を途切れさせた。黒髪の流れる背中が、ゆっくりと向きを変えて振り返る。
「なんだ。また来ていたのか」
「ええ、師匠。貴女がご存知の通りに」
 大袈裟に見えるほどの仕草で、彼女の前で恭しく一礼する。藍色のローブを身に纏い、艶やかな黒曜石を梳いて流したような黒髪を持つ彼女。錬金術師の本来あるべき姿とも言える。歳をとることのない永遠に朽ちることのない姿だ。
「結局、ミラジェ王女の婚約の儀の宝石細工を造れと、その件は引き受けたとのことだな」
「ええ。敬愛なるパレミア様の命令とあらば、避けるわけにはいきません」
「本来ならばそういった重大な宝飾は、私が手がけるべきだがな。お前があえて請け負うというならそれもよかろう」
 そしてルネ師匠は、目の前に咲く黄色い花を指先に乗せる。見たことのない花で名前はわからない。八重咲きの花弁が幾重にも咲いていて、品種改良された薔薇の花かもしれない。その花が、ルネ師匠の掌でそっと撫でられると、シトリンの欠片になってほろほろと崩れ、もう一度同じ形になって掌の上に咲いた。久々に見た。触れた物を貴石に変える錬金術。透き通った輝きを持ち、繊細な花弁の形を保つ細工は、実に見事で目を奪われた。
「お見事」
「好きに言え。だがな、残念ながら、こういったものをいくら造りあげても、あの王女はお気に召さないのだよ」
 長い睫の瞳が、数度瞬いて伏せられる。その視線はじっと自分の手の中の、黄水晶の花を見つめている。唇には僅かな苦笑。
「先々代の国王の御世からこの王宮に仕えているが、私の造り出す黄金細工に関心を示さなかったのは、ミラジェ王女が初めてだった。困ったものだ。もう何十年もこの錬金術の力を抱えているが、とうとう私の腕も衰えかけているのか」
「滅相もない。王宮の中で見かけるどの宝飾も、一切非の打ち所のない神がかったものばかりです。貴女の他に誰がこんなものを造りだせると言うのか」
「しかしそれでも、王女は私の術が造る飾りよりも、お前が造ったという、黄金細工の花飾りに、瞳を輝かせていたよ」
 するりと滑り落とすように、シトリンの花を地面に散らす。小さな細かい欠片になって、足元に零れる。そしてその手は私の腕に向かう。
「私の封印は解けていないはずなんだが、どうして、あんなものが造れるようになった」
「一度死んだつもりになって生きてきたからですかね。気がついたらここまでたどり着いていた。これも運命でしょうかね」
「馬鹿言え」
「師匠、お尋ねしたいことがあります。・・・・・・王妃から私へ届けられたあの手紙に、隠し文を書いていたのは貴女ではないですか?」
 薄桃色の艶やかな唇が、意味ありげに微笑む。
 孤独な王女の報われない恋物語。未完成な戯曲にもう一つの結末を。
「どうしてそう思った」
「初めは、王妃が自ら書き記したのかと思いました。だけど、それならばわざわざ一見わからないように書く必要はない。私が気づかなかった可能性もある。それならば、パレミア様ではない誰かが、紙に仕掛けてあの文章を潜ませたはずだ。そんなことができるのは、王妃にごく近い立場の者で、薬の知識のある貴女の他にない」
「やれやれ」
 錬金術師ルネは、退屈そうな小さなため息を一つ吐いた。
「もし、ルグレという金細工師が、シャド、本当にお前であったなら、気づくだろうと思ったのだよ」
 確かに気づいた。手紙に仕掛けられていた文章を見落とさなかった。しかし、なぜ。
「戻ってきてほしかった・・・・・・お前に。私の次の代を任せられる者がいてくれたらと思っていたのだよ。正直なところ、私のこの錬金術師の力も、私の師であった先代の命と引き換えに手に入れたようなものだ。私ばかりがずっと抱えているには些か重い。もしお前が、追放された身分を許されることがあるのなら」
「孤独だったのは、王妃よりも王女よりも、貴女のほうだったのでしょう。それも、随分と長い間のこと」








 ☆ 



「マイスターがミラジェ王女様に言い寄られたですって!」
「まさかマイスターが、王女と婚姻を結んで、ルヘルス国王ルグレ一世になってしまうなんてことに!?」
「なるわけないだろう、馬鹿者が」
今日もただ、金細工の試行に挑む。より理想の形を造りだせるかどうかだ。
「これは戯曲の本ですね、マイスター、少し見てもいいですか」
「ああ」
未来のことはわからない。
ただ願う。
あの王女が、笑顔で咲いていてくれるように。










BACK TOP 



inserted by FC2 system