魔力とは何だ。
それは『知識』だ。


この世界のことを知り尽くしたものが、全ての力を手に入れる。


探すんだ。
不可能を可能に変える力を。



そして『賢者』が生まれた。


















「へぇーー・・・・・・・、よくもそんな、僕の愛するレフラに、そんな大胆なことを」
「誰がお前のもんだッ!!!」


ドゴッ!


ほとんど八つ当たりに等しい、レフラのパンチがエクセルの左頬に炸裂した。


「うん・・・・・・まぁそれはいいとして、結局ルルーナには誤解されたままなのかい?」
「多分ね。ああーーーもう、かなり腹立つ」




中央庭園の片隅のカフェテラスで、遅い昼食をとりながら、作戦会議である。
カフェと言っても学食のようなものでメニューも豊富だ。羊の焼肉と野菜炒めがとても美味しい。
畜産や農作物の培養にも研究を注いでいるらしいから、食料は豊富である。


「気にかかるな・・・・・・『賢者の選定』か」


エクセルはすぐさま、ポケット・ディクショナリーをぽちぽちっと指で叩いて、単語を検索する。


「調べたところだと、ユグドラーシルで定めてる学位の一つのようだね。オーディーンの星階級のようなものだよ。
 研究を認められると、『賢者』の称号がもらえる。この位を持つと、魔導師と等しい地位を得られる。
 例えば、連邦の公式な政治に参加する権限や、アルティメイトの国境間の移動や、各地域で進められてる学術的な調査など、いろんな自由や権利を得られる」
「それってそんなにすごいことなの」
「ああ。そのためにレフラだって今、オーディーンで魔導師になるための修練をしてるんだろう。
 そもそもレフラはオーディーンにいるのが当たり前だったから、よくわからないかもしれないだろうけど。
 オーディーンはアルティメイトで唯一、魔導師学科がある学術都市だ。
 ごく限られた人間しか、この世界を動かす力を持つ『魔導師』にはなれないんだよ」
「そっか・・・・・・」


カプチーノの泡を、スプーンでくるくるかきまわす。


「・・・・・・その、ルルーナの研究が気になるな」


エクセルが、肩肘をついてぽつりとつぶやいた。
今は女装の制服スカートではなく、普通に男でも女でも通じるような裾の広いズボンをはいている。脚の長い者がこういうのを着るとたいそう見栄えがいい。ロングヘアのウィッグだけつけたままにしている。


「螺旋の指輪も、そのためにわざわざ、美月竹の美弥乎姫から借りてきていたんだろう?
 それをあっさり切り捨ててしまうって。
 以前の研究も気になるし、今現在、ランゲルと共同でやってるっていう研究も、ちょっと見ておく必要があるかな」

「まー、あたしは面倒なことあんましやりたくないからね、螺旋の指輪が取り返せたらどうでもいいつもりだったんだけど」


そこまで言って、一旦カプチーノのカップを置くと、ガタン! と拳をテーブルに叩きつけた。


「ランゲルの奴だけがとにかく腹立つから、何が何でも痛い目見せて、泡吹かせてやりたいね!!!」


いきなりキスされたことが、真剣に腹立っているらしい。


「おーいレフラ・・・、ランゲルよりも先に、カプチーノのほうが泡こぼれてるよ・・・・・」


ついでに、角砂糖のポッドも揺れて倒れている。
何とかしてレフラの機嫌を直さないと、身が持たないかもしれない・・・・・・と、エクセルは危険を感じていた。
さっき殴られた頬も、腫れないように濡らしてきたハンドタオルで冷やしているところだ。


「なんとかして、ランゲルの研究、妨害してやろうぜ!」

「でもどうやって? そいつの研究は、ルルーナが今とりしきって進めてるんだろう?
 しかもルルーナももう、君の話しに耳を貸さないようじゃあ」


「あのさ、聞いた感じだと、優秀な研究だったら賢者?の、称号? をもらえるんだろ?」


少し冷めて、泡も減ってしまったカプチーノを、ごくごくと豪快に飲み干した。


「だったら、ランゲルの研究よりももっと優れた研究を用意して、奴のこと蹴落としてしまえばいいんじゃないかな」

「なるほどねー、まぁ、そういうのも面白いけど。
 多分ね、僕が思うに、それが一番手っ取り早いのは『パンドラ』だと思うんだよね」

「パンドラ?」


たびたび聞く単語だが、結局ないがしろになっていた。
またそれか、という思いと同時に、何か不可解で不安な気持ちが無性に胸の中にさざめく。


「やっと見つけたんだよね。古い文献の中にさ、『パンドラ』の詳細についてたどりつけそうな手がかりが」






















あの声が好きだった。



『大好きだよ、ルルーナ』



だめだ。
忘れないといけないのに。



『本当に賢いんだね』



やめて。
もう何も言わないで。


本当に嬉しかったのに。

あの声が。
あなたの言葉が。



『もっと大きな世界を見に行きたいんだ』



あなたが語る、世界の話が好きだった。



『一緒に見に行こう』



幸せだった。嬉しかった。
仮にあなたの言葉が全部偽りだったとしても、この気持ちはどうしても、消せない。

好きだった。




頭の中でリフレインする走馬灯。
鉛筆を持つ手が震える。
真っ白な紙の一片に、文字にならない線が走る。
資料の記述を書き写さなくてはならないのに、それさえできない。


あの声はあんなに優しかったのに。
あの手はあんなに温かかったのに。


一体どこからが嘘だったの。



「できない・・・・・・・・・」



筆記具を手から落とし、顔を覆った。
どうすればいいのかわからない。今まで一度も、こんなことはなかった。
勉強することが苦しくて、全く何もできなくなってしまうなんて。



「自分が壊れるまで無理することはないよ、ルルーナ。あんたは怠けられない性分だろうから」



気配もなく、寄り添うように傍らに立っていた人影に、ルルーナは弾かれたように顔を上げた。



「カーローザさん・・・・・・」

「あんたを見ていて、いつか、こういう事態になるんじゃないかと思っていたよ。あんたは、あたしと似てるから」



手入れの荒い艶の無い黒髪を、ぞんざいに一つに束ねた髪型。部屋着の上からマントを引っかけただけの姿。
身なりに気をつければ、もう少し若く、もっと美人に見えるだろうに。
何か大切なものを投げ捨ててきてしまったこの人は、いつも、諦めたように覇気の無い姿で日々を過ごしている。


だけど、この日は少し違っていた。
ネイビーブルーの瞳の奥に宿るのは、深い憐憫の情。


「今日は課題はもういいから。一度鏡で自分を見てみな。酷い顔してるよ」

「そんなこと・・・・・・」

「何があった。自分の軸が揺らいでしまうような、よほど酷いことがあったんだろう」


カーローザに何も言い返せずに、自分の前に広げられた、白いままのレポート用紙を見つめる。
何を書き進める予定だったか、頭の片隅ではきちんと理解している。理性の上では、何を書くつもりだったかわかっている。
でも、書けない。
最悪の時には、手が震えて、鉛筆さえ持てない。
無意識のうちに左手には、不可解なひっかき傷がいくつもできていた。
文字を書けない右手が苛立って、はけ口を求めて自分自身に攻撃を向けてしまっている。


勉強がしたいのに。
どうして、できない。


「どうしても、思い出してしまうんです・・・・・。私にとっては今まで、それが頑張る理由になっていたから」




賢者の選定の日が迫る。
ユグドラーシルに属する者達にとって、最高の栄誉ある称号が手に入るのに。
この世界を構成する叡智の一部を手に入れた者の証。



「脆い・・・・・・・どうして・・・・・・こんなに・・・・・・・・」



世界を構成する整然とした秩序。
空を巡る星の軌道。
地形が起こす風と水の波動。
眼に見えない力の魔力。


それらを知ることが、この世界を手に入れることだ。


だけど、今まで自分の中に組み上げてきたものが、整列を乱して崩れようとしている。
物を積み上げるように、頭の中に作り上げてきたものが。
心がかき乱されて、思考のパズルを何も並べることができない。

元に、戻らない。


感情の崩壊という、エラー。




「頭の中ではわかってるのに・・・・・・今から何をやらなきゃいけないか・・・・・・。
 私が思い出していることと、今研究しようとしていることは全く関係が無いのに・・・・・・どうして、どうして、平静でいられなくなってしまうのかわからないんです」


カーローザの手が、そっとルルーナの髪を撫でた。
ルルーナは驚いて、びくりと肩をこわばらせた。何度も瞬きながら、カーローザを見つめる。
そういえば、人に触れられることには慣れていなかった。
いつも、一人だったから。
研究をしていられれば、それで幸せだった。


「おかしいことじゃない。それが普通なんだよ。人間は、足し算や引き算じゃない。間違っているとわかってても、正しい答えが出てこないことがある。
 1+1が2になるように、必ずしもいつも同じではいられないんだよ。
 あんただってもう気づいているはずだ。
 間違っているとわかってても、違う答えを選ぼうとした、そんなことがあんたにだってあるだろう」


間違った答え・・・・・・。


ぼんやりと脳裏に浮かんだのは、どうしても心から消すことができない、あの人の顔だった。



「気づいて・・・・・・いたと思うんです。
 ランゲルの言葉に、どこか不自然な部分があるということ・・・・・・
 きっと・・・・・・・本当には、私に心を預けてくれてはいないんだと・・・・・・・・

 でも・・・・・・・・
 でも・・・・・・・・

 私は信じたかった・・・・・・・・・・・信じたかったよ・・・・・・・・」



騙されていると思っても。
偽りだと知ってしまっても。


あの人がくれた笑顔を、声を、言葉を、手のぬくもりを。
こんなにも愛しいと思ってしまった。
どうか本物であってほしかった。



「私は・・・・・・未熟ですね」

「そうだろうね」

「課題の答えを探すことはできても・・・人の心を理解することができない・・・自分の気持ちさえ、整理できないなんて」
「そういう点では、あんたは全く子供だろうね。いくらあんたが勉強に優れていて、学士の称号を得たとしても、それじゃあ賢者にはなれない。そういうことだよ。
 あんたは気づいていなかったのかもしれないけど、この世界の中では、人間そのものが一番謎に満ちていて理解するのが難しい存在だよ」

「カーローザさん」



泣き出しそうな目をしたルルーナが、恐る恐る顔を上げた。



「私は、破門されますか?」

「そんなことは言ってない。でも、あんたがそうなりたいなら止めはしないけど。
 今のまま研究が進められずに苦しんでるあんたを見ているのは、見るに耐えないね。正直なところ。休養を勧めるよ」

「そんな・・・何もできない私なんて、ここにいる意味がありません、新しいことを知ることが私の喜びだった。
 研究も学問も何も手に付かないなんて、死んでるのも同じなんです・・・・・・・・!」


何かのバランスが、ルルーナの中で崩れた。
顔を覆って、呻くように、肩を震わせた。
指の隙間から、透明な筋がいくつもこぼれてくる。

カーローザはただ、頬杖をついて、胸のうちの苦しみを吐き出すルルーナを見つめていた。
こういうときは、どんな慰めの言葉も励ましも何の意味も無いと知っている。
昔、自分がそうだったから。
ふと思う。
この胸の空虚を埋めるにはどうすればいい。カーローザ自身は、結局何一つ解決を見つけられないまま、もう十年余りの年月を過ごしてしまった。
無為で堕落した、怠惰な日々。この子もそうなってしまうのだろうか。心が壊れてしまったら、きっとそうなる。
できることならそうはさせたくない。




「だったらあたしとおいでよ、ルルーナ」



扉が、開いた。
北の国からやってきた、金色の髪の魔導師の少女がそこにいた。


顔を上げたルルーナを見て、レフラが一瞬、ぎょっとしたように表情を変えた。


「何・・・・ルルーナ、たった数日でそんなにやつれちゃって」


つかつかと、無遠慮に研究室の中に踏み込んでくる。
制服はいまだに着慣れないようで、わずらわしそうに裾を引きずっている。


「実は、あんたに頼みたいことがあって来たんだよ、ルルーナ。
 もしまだあんたがあたしの話聞いてくれないようなら仕方ないと思ったけど、さっきから外で立ち聞きしてた分には、どうやら話が通じなくもなさそうだと思ったからさ。
 あんたに、力を貸してほしいんだ。あたしだけだと絶対にできないことだから」


「レフラさん・・・・・・」


平然とした様子で現れたレフラの様子に、カーローザはにやりと微笑んで脚を組みなおす。
いい退屈しのぎが現れた、と思っているときの表情だった。


「おやおや、留学生、この時間は語学の講義じゃないのかい」
「固いこと言わない言わない。どうせあたしの頭じゃ授業聞いてても聞いてなくても変わらないんだし」


ますます面白いことになった。
くっくと笑いをかみ殺して、レフラの言動を楽しんでいた。
型にはまったような優良生ばかりのユグドラーシルじゃ、皆、生きてるのか死んでるのかわからないような生徒ばかり。
たまにはこういうのが出てこなければ、教員なんて退屈すぎてやってられない。


















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